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渋谷を背負う責任と喜び。「土田のおかげでJリーグに上がれた」と言われるためにーー土田直輝【UNSTOPPABLES】#1

2025年2月28日

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「なぜキャプテンなのかわからない」

「僕ってキャプテンキャラじゃなくないですか?」


それは謙遜でも照れ隠しでもなく、心の底から不思議そうな言葉だった。


2024年11月、SHIBUYA CITY FCは悲願の関東リーグ昇格を果たした。最後までチームの先頭に立ち、ファン・サポーターに昇格の報告をするキャプテンの表情は晴れやかだった。SHIBUYA CITY FCの2024シーズンのキャプテンを務めた土田直輝に話を聞くと、その冷静な分析力と情熱的な想いが行き来する言葉の数々に驚かされる。


【UNSTOPPABLES ~止められないヤツらの物語~】

昨シーズン、関東2部への昇格を決めたSHIBUYA CITY FC。その栄光の背後には、勝利以上のものが隠されていた。選手たちの揺るぎない自信と勢いは、彼らの人生に深く刻まれた歩みから来ている。勝利への執念、それを支える信条。止まることを知らない、彼らの真の姿が、今明らかになる。


記念すべき第1回は、土田直輝のキャプテン像やSHIBUYA CITY FCへの想いを探る。彼は、なぜキャプテンを任されたのか。仲間たちはなぜその背中を追ったのか。そして、彼が見据える未来とは。

 

土田 直輝(つちだ なおき)/ MF

埼玉県春日部市出身。1998年6月15日生まれ。175cm、70kg。桜井サッカー少年団から越谷サンシンでサッカーを始め、中学・高校の6年間を大宮アルディージャユースで過ごす。東洋大学に進学後、2年時から関東大学サッカーリーグのレギュラーとして活躍。卒業後はヴェルスパ大分(JFL)に加入し、確かな実力を培った。2023シーズンよりSHIBUYA CITY FCへ加入し、翌シーズンキャプテンに就任。高い適応力でチームを牽引し、攻撃の起点となるプレーが持ち味。関東社会人サッカー大会では決勝ゴールを挙げ、クラブの関東2部昇格に大きく貢献した。

 

キャプテンを任される不思議


生まれながらのリーダータイプ。そう言われても不思議ではない経歴を持っている。

大宮アルディージャの下部組織で腕を磨き、その後東洋大学へ進学。中学・大学時代にもキャプテンを経験。サッカー人生の要所要所でチームの中心を担ってきた。その事実だけを見れば、まさに生粋のリーダーに見える。しかし、その歩みを振り返る彼の言葉には、意外な本音が隠されていた。


「どちらかというと右腕気質です。頼まれれば何でもやるタイプ。主体的な行動が求められるキャプテンを任されることが不思議でした。なぜキャプテンを任されるのか」


確かに彼は、圧倒的な発言力を持つタイプではない。指示を飛ばし、声を張り上げ、チームを鼓舞する「ザ・キャプテン」とは一線を画す。むしろ冷静な判断力と、安定感のあるプレーが彼の持ち味だ。


「僕が所属するチームはみんながキャプテンみたいなものです。SHIBUYA CITY FCで言えばアサヒ(山出旭)が指示を出すのが得意だったので、何も言わず静かに見ていました。『アサヒ、今日もみんなに言いたい放題で暴れてるな』と思いながら(笑)。僕以外の選手たちが色々な意見を出してチームがまとまっていきます」


迷いながらも、彼はチームを導く役目を受け入れた。指示を出すことや、強い言葉でチームを引っ張ることは彼のやり方ではない。代わりに、仲間を活かし、流れを作る。自ら前に立つことなく、背中で示すキャプテンとして。


俺が走って、戦って、『土田もやってるし、俺も頑張ろう』って思ってくれたらいい。あまり表に出たくないぶん、違う形でリーダーシップを取れれば、みんなの理想のキャプテンになれるのかなと……。というか、逆にどう思いますか?僕がキャプテンって(笑)」


冗談めかして話すが、彼の姿勢こそが「キャプテンとは何か」を再定義するものだった。そして、そのスタイルが間違っていなかったことは、結果が証明していた。

関東昇格というクラブの歴史を創った成果とともに。



悔し涙が生んだ、未来への覚悟


リーグ最終節、渋谷は因縁のEDO ALL UNITEDに敗れた。昇格戦への参入は決まっていたものの、試合後土田は涙ながらにサポーターにこう誓った。


「この負けが、いい意味だったと思えるように成長します」


その言葉の奥には深い悔しさと、痛烈な自問自答が見え隠れしていた。土田にとって、あの涙の意味とは何だったのか。


「僕、泣くこと多いんですよ。感動した時、ムカついた時、痛い時。あの試合はもう、悔しさと怒りで涙が出てきました」



涙を流すことが多い土田は、自身の感情に正直な選手だ。それでも、あの瞬間の涙は、他のどんな選手にも勝るほどの強い怒りと悔しさが込められていた。試合の結果だけでなく、チームとしての理想が崩れたこと、その無念さが彼を突き動かした。

この強い決意を胸に、全国社会人サッカー大会では各地の猛者と戦い、2回戦で敗北。”いい形で終われた”と振り返るが、それは「敗戦が意味を持った」ことを示す言葉だった。悔しさを糧に、関東昇格という目標を達成することができた。


「数え切れないほど、課題はありました。個人としての基準も上げていかなくちゃいけないですし、コミュニケーションの取り方もまだまだです。でもマスさん(増嶋竜也監督)を中心に、うまく乗り越えられたと思います」


彼にとって、あの涙はただの感情的な表現に終わらず、次なる覚悟への決意の証であった。あの敗北から学び、悔しさを超えて成長を誓うその姿勢が、チームを、そして自分自身をさらに強くしていった。


“渋谷”という選択


中学から大学までセンターバックだった土田は、ヴェルスパ大分で初めてボランチに転向。1年目は出場機会はなく、試合終盤の”クローザー”として短い時間で流れを変える役割だった。2年目になりようやく出場機会をつかみ、天皇杯ではレノファ山口、モンテディオ山形、ガイナーレ鳥取を撃破。しかし、当時J1のサガン鳥栖には完敗を喫した。

大分で過ごした2年間。今もその地への愛情は変わらない。


「大分は本当にいいところでした。観光する時間はなかったけれど、食べ物がおいしかったです。地鶏とか魚とか。温泉もよく行っていました」


その後、JFLに所属するチームからのオファーを受けるも、彼が選んだのはSHIBUYA CITY FCだった。


「最初はJFLのチームに行くつもりでした。ですが、セカンドキャリアも考えて、仕事とサッカーを両立できる環境を選びました。社長(小泉翔 代表取締役CEO)に声をかけていただいたことも大きかったです」



渋谷といえば、日本を代表する街のひとつ。流行の最先端であり、若者文化の象徴でもある。その渋谷の名を冠したクラブでプレーすることには大きな意味があった。


「渋谷ってかっこいいと思うんですよ。ファッションやカルチャー、そこで生まれる空気感や生き方も含めて。もしスタジアムができたら観客もたくさん来てくれると思います。SHIBUYA CITY FCというクラブ自体が、一番の魅力ですね」


クラブの活動は試合だけではない。地域との関わり、渋谷という街のアイデンティティをどうサッカーと結びつけるか。土田はその重要性を強く意識し、その象徴になろうとしている。


「味方を傷つけるやつは許さない」


普段は穏やかで、物腰の柔らかい土田。

だが、試合中、彼の内面に秘めた情熱と闘志が一瞬で爆発する瞬間がある。


「味方が相手に削られた時、それだけは許せない」


ピッチ外の声も聞こえなくなるほど、人が変わるかのように豹変する。仲間が傷つく瞬間だけは、全身が怒りで熱くなる。仲間への絶対的な愛情と、勝利に対する飽くなき渇望が渦巻いている。温厚な性格とは裏腹に、戦場では一瞬でスイッチが入る。その姿は、チームメイトにとっても強烈な印象を与える。そしてヴェルスパ大分時代でも、膝を怪我していた仲間が試合中に再び倒れた経験があった。


「あの時、怒りすぎて、試合中なのに泣いてました」


土田にとって、試合は単なる勝負ではない。仲間を守り、支え合い、共に戦い抜く場所である。そこに全てを捧げる覚悟があるからこそ、彼は一瞬で冷静さを失い、情熱に身を任せるのだ。


「僕が唯一スイッチが入るのが、その瞬間だけ。今年は何回そのシーンが見れるか楽しみにしていてください。なんか怒ってるなって選手がいたら、僕です(笑)」



土田が語るように、彼がそのスイッチを入れるときは、試合の中でも限られた特別な瞬間に過ぎない。冷静な土田が一転して熱くなることで、その熱が周囲にも伝播し、チームが一丸となって戦う力を生み出すのだろう。


「土田がいたから、Jリーグに上がれた」


土田は昨シーズンをこう振り返る。「これから大きくなるようなクラブの、責任のあるポジションをやらせてもらうことは、そう多くない。責任は感じますけれど、もちろん嬉しさもあります。自分がキャプテンであることで、こうやって勢いのあるチームでできたことは、僕の中の一つのいい財産になりました」と語るその言葉には、彼の誇りと覚悟が感じられる。

悲願の関東昇格を達成した渋谷。だが、関東2部への昇格は、通過点に過ぎない。


「まだ都1部から関東2部に上がっただけ。今年は1年で関東1部へ行く。Jリーグまで最短3年。EDOよりかは先にJリーグに行きたいです。絶対に負けたくない」


因縁のEDOに闘志を燃やす土田。今季の目標はシンプルだ。


とにかく勝つ。結果にこだわる。今年こそは10点に絡みます。必ずゴールを決めますし、練習でも走ります!」


ピッチ内外でのリーダーシップ、チームを支える献身性、そして何より「結果」へのこだわり。それが彼のキャプテン像を作り出している。


「渋谷がJリーグに行った時に、僕はまだサッカーを続けているかわかりません。でも、その渋谷のキャプテンであったという自慢はしたい。


『土田のおかげで渋谷はJリーグにあがれた』って思われるぐらいの働きをしたいです」


彼はキャプテンという肩書きにこだわらない。だが、誰よりも熱く、確実にチームを背負っている。その姿勢がJリーグへと導く力になることは間違いない。



そして、数年後ーー。

Jリーグ昇格を果たした渋谷の街で、人々はこう口にするのだろう。


「土田のおかげでJリーグに上がれた」


土田直輝というキャプテンが、どれほど強くチームを引っ張り、その信念で渋谷を導いてきたか。その物語を語り継ぐ日が来るのは、そう遠くない未来だ。


 

取材・文 :西元 舞 

写真   :福冨 倖希

企画・構成:斎藤 兼、畑間 直英

 

SHIBUYA CITY FC

渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ。「PLAYNEW & SCRAMBLE」を理念に掲げ、渋谷の多様性を活かした新しく遊び心のあるピッチ内外の活動で、これまでにないクリエイティブなサッカークラブ創りを標榜している。

渋谷駅周辺6会場をジャックした都市型サッカーフェス「FOOTBALL JAM」や官民共同の地域貢献オープンイノベーションプロジェクト「渋谷をつなげる30人」の主宰、千駄ヶ谷コミュニティセンターの指定管理事業など、渋谷区での地域事業活動も多く実施している。


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