
這い上がる本能と泥臭さ。サムライブルーに狙いを定める渋谷の捕食者ーー伊藤雄教【UNSTOPPABLES】#4
2025年3月28日
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「這い上がってきたからこそ出せるエネルギーや反骨心、ハングリーさは人一倍あります」
闘争本能を剥き出しにする、渋谷の捕食者・伊藤雄教。学生時代に経験した、幾多の苦悩と、運命を変えた出会い。そのすべてが彼の血となり肉となり、現在の”泥臭さ”に溢れたプレーを生み出している。
【UNSTOPPABLES~止められない奴ら~】
昨シーズン、関東2部への昇格を決めたSHIBUYA CITY FC。その栄光の背後には、勝利以上のものが隠されていた。選手たちの揺るぎない自信と勢いは、彼らの人生に深く刻まれた歩みから来ている。勝利への執念、それを支える信条。止まることを知らない、彼らの真の姿が、今明らかになる。
第4回は、反骨心を燃やし続ける男・伊藤雄教。ゴールへの鋭い嗅覚と、ガツガツとしたフォワードらしさ。その裏には、苦労人としての泥臭い歩みがある。「這い上がってきた」と語る彼の言葉の意味とはーー。牙を研ぎ続ける伊藤の真髄が、ここにある。
伊藤 雄教(いとう ゆたか)/ FW
東京都葛飾区出身。2001年2月13日生まれ。178cm、78kg。川端SCからフレンドリーJr.ユースで幼少期を過ごし、高校は埼玉県の強豪、昌平高校へ進学。1年時からトップチームで活躍し、複数ポジションをこなすユーティリティ性を発揮。3年時にはFWに本格転向するが、選手権では惜しくも県2位。関東学院大学でさらなる成長を遂げ、卒業後はFC刈谷に加入。全国社会人サッカー大会で優勝するなど大きな功績を残した。2024シーズンからSHIBUYA CITY FCに加入。スピードとパワーを兼ね備えたプレーとゴール前での鋭い嗅覚で得点を量産する。
どこまでも暴れ回る”わんぱく小僧”
幼少期は"わんぱく小僧"として、いつも周囲の中心にいた伊藤。5人兄弟の真ん中、兄・姉・妹・弟に囲まれた賑やかな家庭環境で育ち、5歳上の兄の背中を追ってサッカーを始めた。地元の少年団は決して強豪ではなく、「区で1位、2位を取れればいい」というレベル。それは中学時代も同様で、「ぼちぼちでした」と謙遜しつつも、実際にはその中でも目立つ存在だったことを自認する。

昌平高校へ進むきっかけとなったのは、昌平の下部組織・FC LAVIDAとの練習試合。そこで指揮官の目に留まり、昌平の門を叩く。しかし、全国レベルの猛者たちに囲まれ、自らの技術不足を痛感。与えられたポジションはボランチからサイド、前線まで多岐にわたり、「いろんなポジションをやりすぎて、もう覚えていないです」と苦笑するほどだ。
1年時から、6つあるカテゴリーの頂点に位置するトップチームに加わり、順風満帆に思えた高校生活。2年時にはインターハイや選手権で試合に出場していたものの、いつしか下のカテゴリーから台頭してきた選手たちに追い抜かれ、出場機会を逃していった。「当然、それでは出られない」と、今でこそ冷静に振り返った伊藤だが、当時は不貞腐れ、メンタルは崩壊寸前だった。それでも、全国レベルの競争の中で”腐らずにやり続ける”ことの大切さを、痛いほど思い知ることになる。
迎えた3年時、FWからDFまでのあらゆるポジションをこなし、インターハイでは出場時間は少なかったものの、全国ベスト4という結果を残す。1回戦ではFW、3回戦ではCBとしてプレーするなど、持ち前のユーティリティ性を発揮。だが、その心の奥には常に”ゴールへの飢え”が渦巻いていた。
ついにインターハイ後、「FWとしてやらせてください」と自ら監督に直談判し、待ち望んだポジションを手に入れた。その決断が見事に的中したのか、後期リーグ戦では序盤から得点を量産するなど、本格的な転向は目に見える結果を残していった。
「やっぱり後ろのポジションができると思っていなかった。どうしても点を決めたかったので」
その言葉からは、ゴールへの執念、そして”自分の居場所はここだ”という意地が溢れ出ていた。
しかし、伊藤の”わんぱく魂”は最後の最後で牙を剥く。選手権直前に、監督との衝突が引き金となり、メンバーには残ったものの出場機会はほぼゼロ。授業中に居眠りを繰り返し、悪目立ちする振る舞いが影響していた。自らが撒いた種だと「自業自得」と認めながらも、県予選の決勝戦で敗れ、全国への切符を逃した悔しさは、今も彼の胸を締め付ける。
「選手権は途中交代で出て、ほんの数分しかプレーできませんでした。自分が出ないで負けるのが、一層悔しかったです」
ピッチの外から、仲間たちの必死に戦う姿を見つめながらも、伊藤の胸に去来したのは、どうしようもない無力感と、悔しさが入り混じった感情だった。その痛みはただの敗北ではなく、自らの甘えを突きつけられた証だった。
2度目の不完全燃焼
高校サッカーの最後を不完全燃焼のまま終えた伊藤。だからこそ、大学でもサッカーを続ける選択肢を選んだ。
「高校3年の時はもっと試合に出ている自分を想像していた。でも上手くいかなかったので、大学選びは高望みできなかった」
そんな現実を受け止め、最初に関東リーグ1部に所属する大学は選択肢から外した。関東2部の大学に絞る中で、勉強が得意ではない自分にとって「頭のいい大学」は現実的ではなかった。そんな時、リーグ戦で上位に位置していた関東学院大学に目を留め、偏差値的にも「これなら」と思いセレクションに挑む。
高校3年の夏、インターハイが終わったその足で、伊藤は一人セレクション会場に向かった。「他のチームメイトは遠征に行っていましたが、自分は帰ってそのまま大学のセレクションに向かいました」と当時の状況を語る。
後に晴れて関東学院大学に進学。入学当初はAチームに入ったが、やはり関東2部に所属するチーム。競争のレベルは想像以上であり、わずか数か月であっけなく一番下のカテゴリーまで落とされた。そこからの3年間は、まさに”忍耐”の連続。
そんな伊藤に追い打ちをかけたのは、新型コロナウイルスの流行。トップチームが優先的にグラウンドを使用する中、下のカテゴリーの選手はまともな練習すらできず、ボールを使う機会さえ限られた。「練習する場所がない時は、近くの砂浜で走り込みをする日も多かったです」それはプロを夢見る伊藤にとって、あまりにも過酷な環境だった。
「下のカテゴリーだと、サッカーに対する熱量が下がっている選手も多くて。そこで自分の気持ちも下げないようにするのが一番大変でした」
「でも、やっぱりやるしかないんで」そう続けた。親に払ってもらっている費用ーーそれを思えば、中途半端な姿勢で終わらせるわけにはいかなかった。ボールに触れられなくても、走り込みや筋トレをこなし、自主練で黙々と自分を鍛え続けた。

そんな伊藤の努力を神様は見ていたのだろうか。4年目、思いもよらない出来事が訪れた。偶然にも監督が交代し、伊藤の環境は一変する。
「ずっと下のカテゴリーで点を取っていたのですが、前の監督とはプレースタイルが合わなくて。でも、監督が変わったタイミングでAチームに上げてもらえました。それから4年目になってようやく試合に出られるようになったんです」
棚から牡丹餅ーーそう表現するのは簡単だろう。だがその裏には、どれだけ不遇の環境でも腐らずに努力を続けた伊藤の姿があったからだ。
「監督が変わることなんてそうそうない、だから就活をしながらサッカーをやり切って終わるのがベストかなと思っていたんです。でもまさかのタイミングで…すごくラッキーでしたね」
そんな”ツいている”男はさらに幸運を引き寄せた。新しい監督との出会いは、Aチーム昇格という結果だけではなく、伊藤のサッカー観そのものを根本から変えた。
「その監督が自分の価値観をガラッと変えてくれて。『こういうプレーをしたら、こうなる』と細かく指導してくれたんです。それまで知らなかったことばかりで、さらにサッカーが楽しくなりました」
大学4年目にして訪れたこの出会いは、まさに人生を変える出来事だった。もし、あの監督に出会わなければ、そのまま企業に就職し、サッカーとは無縁の道を歩んでいたかもしれない。そうして、高校時代の悔しさをバネに、大学で努力を重ね続けた伊藤は、ようやく”やり切った”と言える日を迎えたーーそう、筆者は感じた。
だが、伊藤の考えは違った。
「逆に不完全燃焼になったんですよ。『もっとサッカーのことを知りたい、追求したい』そう思うようになって」
普通なら”やり切った”と満足して次のステージへ進むはずのところで、逆に飢えを感じた伊藤。新たな知識への渇望、もっと深くサッカーを極めたいという欲求。燃え尽きるどころか、さらに激しい炎を燃やしていた。未知の環境へ飛び込む覚悟を決めた伊藤の目には、すでに次の獲物が映っていた。
泥臭さとゴールへの飽くなき努力
運命とも言える出会いが、伊藤をサッカーの道へと引き留めた。大学卒業後は関東を離れ、東海社会人リーグ所属のFC刈谷に加入。社会人チームでプレーする者なら誰もが直面する、仕事との両立という壁。伊藤もまた、その現実に身を投じた。
「練習後、ガソリンスタンドで12時半から21時まで働く生活を送りました。練習が9時から11時で終わって、すぐ帰って昼食を食べて出勤する毎日。めちゃめちゃ辛かったですね。でも、大学時代の仲間が他に3人いたので、プライベートはすごく楽しかったです。川で遊んだり、バーベキューをしたり、とにかく自然と触れ合ってました」
厳しい環境に身を置きながらも、仲間との時間が心の支えになっていた。そんな彼らとともに挑んだ全国社会人サッカー選手権。タイトなスケジュールの中、見事優勝を果たす。
「正直、そこまで勝てるとは思っていませんでした。でもみんな若かったので、その勢いが要因だったのかなって。テンションを高くすれば勝てるという、変な自信に繋がりました(笑)。技術というより、気持ちの部分で大きく成長できましたね」
新たな環境での挑戦で、気持ちの強さもひと回り、ふた回りと鍛え上げられた伊藤。そして彼の舞台は、再び新天地へと続く。次なる舞台はSHIBUYA CITY FC。地元・東京へ戻りたい気持ちがあったこと、そしてクラブが持つ魅力に惹きつけられたことが決め手だと語る。

「翔さん(小泉翔 代表取締役CEO)の考えがすごい壮大で、楽しそうだなと思いました。渋谷にスタジアムを建てたいというビジョンや、NEW ERAがスポンサーであること、そしてクリエイティブのかっこよさも魅力ですよね。当時、東京都1部リーグに所属していましたが、上のカテゴリーでプレーするよりも、ここでサッカーをする方が圧倒的に面白そうだなと感じたんです」
学生時代は、上から下まであらゆるカテゴリーでプレーし、時には慣れないポジションまでこなしてきた伊藤。そんな彼が憧れるのは、町田ゼルビア所属の西村拓真。
「西村選手のような、戦う姿勢や泥臭さはすごく魅力的です。でも、自分にも他の選手に負けない武器がある。這い上がってきたからこそ出せるエネルギーや反骨心、ハングリーさは人一倍あります」
そのパワーは逆境だけではなく、日々の鍛錬からも研ぎ澄まされている。
「練習から常に周りを見て、スピードに頼らず、間のポジションに立つことを意識しています。一つひとつのトラップにも注意を払う。綺麗なパスからの抜け出しももちろん、混戦の中でこぼれ玉を押し込む瞬間、そこには自分の嗅覚が生きています」

ゴールを嗅ぎ分ける野生の本能。その本能を支えているのは、限界まで自分を追い込む準備の積み重ねだ。入念なストレッチ、体幹トレーニング、そして何よりも夢中になれる筋トレ。
「筋トレをしているときは、何も考えずに自分を追い込むことができるので、めちゃくちゃ楽しいです。特に背中を鍛えているときは、他の部位をよりも、自分が成長している実感がありますね」
無心で重りを上げ続けるたびに増す自信、削ぎ落とされる迷い。その時間こそが、伊藤にとって誰にも止められない瞬間である。
そして、常に向上心を忘れず、自分を磨き続ける伊藤は今季で2年目を迎える。すでにチームのスタイルも理解し、自分の役割も明確になった。今シーズン、彼が掲げる目標は、”2桁得点”。
「昨年はチャンスが人一倍ある中で、どうしても決めきれないところが課題でした。今年はカテゴリーが上がろうが、何があろうが、絶対に決めます。昨シーズンは11点でしたが、今年は20点以上を狙います」と断言する。
また、同じポジションには圧倒的な得点力を誇る政森宗治と、言わずと知れた大ベテランの渡邉千真がいる。
「点を取る部分にはこだわりたいので、どこのポジションを自分がやろうが、この2人には負けたくはない」
彼が狙うのはピッチに爪痕を残し、自らの存在を刻み込む一撃。伊藤は今年も、その飢えた本能でゴールを貪り続ける。
日本代表への誓いを胸に
どんな環境、どんな状況でも、伊藤は”這い上がる術”を知っている。だが、彼がこれほどにまで熱くなれるのには、理由がある。
「サッカーをやるからには、日本代表に入りたい。小さい頃からずっと、一番の目標ですから」
現実的に考えれば、夢はかなり大きく難しい。しかし、伊藤ならそれを現実に変えられるかもしれない。そう思わせるほどのエネルギーがひしひしと伝わってきた。
「家族に自慢してもらえる存在になりたいんです。本当にそれだけ。逆にそれ以外望むことはない。『自分の息子はこういう人だよ』とか、『お兄ちゃんは〜、弟は〜(褒め言葉)』って誇らしく自慢してもらえる、そんな人間に」
その願いを叶えるために、少しでも長くピッチに立ち続けたいーー願わくば、日本を背負い、世界の舞台で戦う姿で。
「小学校のときに大きな大会があって。勝って優勝した瞬間に両親が泣いてるのを見たときは、すごく嬉しかった。それ以外泣いてるところは、ほとんど見たことはないですけどね」
「もし、日本代表になれたらーー」そう問いかけた筆者の言葉を遮るように、伊藤は即座に言葉を重ねた。
「そんなところまで行ったら、すごい泣いちゃうんじゃないですかね」少し照れくさそうに笑いながらも、その目はどこか遠く、サムライブルーを纏った未来を見据えていた。
取材の最後に「つっちーと一緒に日本代表になろうと思います」そうおどけてみせた伊藤。その横から「お前はもう25歳だけどな」と容赦なく突っ込む土田キャプテン。
「いや、まだまだ若いので僕は!」そう笑いながら取材を後にしたが、彼の言葉には理想を語る軽さはない。むしろ、泥臭く積み上げてきた日々の重みが、言葉の一つひとつに宿っている。

渋谷という野生のフィールド。獲物を仕留める瞬間を見極め、牙を解き続ける捕食者。その牙が突き立てられる時、伊藤の本能は完全に解き放たれる。サムライブルーの未来へ、迷いなく。
取材・文 :西元 舞
写真 :福冨 倖希
企画・構成:斎藤 兼、畑間 直英
SHIBUYA CITY FC
渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ。「PLAYNEW & SCRAMBLE」を理念に掲げ、渋谷の多様性を活かした新しく遊び心のあるピッチ内外の活動で、これまでにないクリエイティブなサッカークラブ創りを標榜している。
渋谷駅周辺6会場をジャックした都市型サッカーフェス「FOOTBALL JAM」や官民共同の地域貢献オープンイノベーションプロジェクト「渋谷をつなげる30人」の主宰、千駄ヶ谷コミュニティセンターの指定管理事業など、渋谷区での地域事業活動も多く実施している。
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