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【MyCITY限定記事】岡野昭仁がSHIBUYA CITY FCに魅了される理由

2023年10月13日

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MyCITY

日本の音楽シーンを牽引するポルノグラフィティのボーカルで、大のサッカーファンとしても知られる岡野昭仁。川崎フロンターレやセレッソ大阪で活躍し、現在はSHIBUYA CITY FCで執行役員を務める田中裕介。音楽とサッカーという異なる業界で活躍する2人の対談が、SHIBUYA CITY FCのオフィシャルファンクラブ「MyCITY」のスペシャルコンテンツとして実現。SHIBUYA CITY FC 代表の小泉翔が対談の進行役となり、2人のこれまでの活動を通じてのファンへの想いやSHIBUYA CITY FCが秘めている可能性を聞いた。


サッカーに本気、音楽は趣味だった時代

小泉:

お二人、今日はよろしくお願いします。念願の対談が実現して嬉しい限りです。


田中:

よろしくお願いします。今日の対談をとても楽しみにしていました。岡野さんのサッカー好きは、サッカー仲間の中でも有名で、現役時代から聞いているアーティストの方とお話できることがまずとても嬉しいです。


岡野:

こちらこそ、Jリーグの第一線でご活躍されて、今は僕も常に気にしているSHIBUYA CITY FCで新しいキャリアをスタートさせた田中さんとお話できるということで、ワクワクしています。よろしくお願いします。


田中:

サッカーにはいつ頃から、また何がキッカケでのめり込んでいったのでしょうか。


岡野:

小学校のとき、実ははじめは野球をやっていたんです。まだ野球の人気が根強い時代だったので。仲の良かった友人が中学校に上がったタイミングでサッカー部に入り、僕も追いかけるようにサッカー部に入りました。そこがサッカーとの出会いですね。地元は広島の島だったんですけど、サッカー部が意外に強くて、全国大会にも出るような中学校でもあり、どんどんのめり込んでいきました。


小泉:

その頃はまだ音楽活動は始めていなかったんですか?


岡野:

月1回、音楽の教室で趣味程度に軽音楽部の活動をしていました。でも全然本気じゃなかった。サッカーに真面目に打ち込んで、音楽は趣味の範囲で楽しむというくらい。とにかくサッカーの情報を集めまくってました。まだテレビでの放映はワールドカップくらいだったので、いつもサッカー雑誌を読んでました。憧れは清商(清水商業高等学校)のサッカー部。藤田俊哉さん、大岩剛さん、名波浩さんあたりがドンピシャの世代です。


田中:

当時は高校サッカーにハマっていたんですね。Jリーグ開幕は岡野さんが大学生くらいのときになりますよね。


岡野:

Jリーグがまだなかったので、自然と高校サッカーに触れる機会が多かったですね。Jリーグが開幕したときはもう音楽の世界に飛び込んでました。田中くんも強豪・桐光学園出身ですよね。選手として何か記憶に残ってることはありますか。


田中:

中村俊輔さんという偉大な先輩の存在がやはり印象に残ってます。在学時期は被っていないのですが、毎年必ずOBとして練習には顔を出してくれていて、ちょうどレッジーナにいた頃だと思います。その後、僕は高卒で横浜F・マリノスに加入しますが、1年間(2010シーズン)一緒にプレーすることになり。偉大な先輩と同じクラブでプレーしていることに不思議な感覚もありましたね。



前例のないワールドカップテーマソング

岡野昭仁とサッカーの出会い、学生時代の話から、話題は日本のサッカー人気、ワールドカップのテーマソングを担当したときの話へと移っていく。



岡野:

Jリーグが開幕したあと、日本代表が初めてワールドカップに出場した1998年フランス大会あたりから、日本のサッカー人気がスタンダードになっていったと個人的には思っています。


田中:

日本人選手もあの頃から海外で活躍するようになりましたね。


岡野:

僕のアイドルは中田英寿さんです。中田英寿さんがいたからサッカーを強烈に好きになったと言っても過言ではない。当時、海外サッカーを観るために自分で家の衛星アンテナを設置して向きを変えたのをよく覚えています。セリエAの試合は毎試合観てました。


小泉:

岡野さんは本当に幅広い年代、リーグのサッカーを観られてますよね。そして、岡野さんを語る上で外せない話がなんと言っても2002年。日韓ワールドカップでNHKのテーマソングをポルノグラフィティが担当することになります。


岡野:

今となっては、ありがたいことにワールドカップのテーマソングを担当していたことが音楽・サッカー業界ともに広く知られています。ただ、当時話をもらったときは、NHKさんとしてもワールドカップのテーマソングをタイアップでつけるということがおそらく初めての試みだったので、僕らもその価値についてはよくわかっていなかったというのが正直なところです。それでも、とにかく「かましてやろう」という気持ちはありましたね。若かったので(笑)


田中:

僕も当時高校一年生で日韓ワールドカップといえばポルノグラフィティの「Mugen」というイメージが焼きついています。現地観戦はされたんですか?


岡野:

それが、当時ツアー中だったんです。テーマソングは担当していたんですが、先ほど言った通り、テーマソングの価値についてわかっていなかったのと、「サッカー好き」として引き受けていたというより「仕事」としてしっかり取り組もうという思いが強かったので。唯一、ベルギー戦だけ現地観戦させていただきました。




世界中から優秀なサッカー選手が集まる都市・渋谷へ

日本代表とワールドカップの話から、田中裕介の海外生活やその経験から来る育成年代に対する想いが語られる。



田中:

日韓ワールドカップもそうですが、日本代表はなかなかベスト16の壁を越えられません。個人的には、海外でプレーする日本人選手がJリーグ経由ではなく、海外で直接プロになる選手がもっと出てくることが今の日本のサッカー界に良い影響を与えるのではないかと思っています。


岡野:

そう考えるようになったのは、やっぱりシドニー(2015シーズンのうち半年間、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに所属)での経験が大きい?


田中:

シドニーへの移籍は現役生活の中で一番と言える貴重な経験でした。日本にはサッカーに集中して打ち込める環境が整っているし、仕事にしっかり取り組む勤勉さもあります。オーストラリアはそうではなく、時間にルーズだったり仕事がアバウトだったりと、全く違う価値観・文化の中で生活している。それでも成り立っているし人々は幸せに暮らしている。自分の足で他国の文化や価値観に触れる重要性を肌で感じましたね。


岡野:

僕も日本で開催されたU-12の世界大会を観る機会があったのですが、日本国内で最強と言われているクラブが、バルセロナに大量得点を許して敗退するという試合を目の当たりにしました。正直、何がここまで違うのかと混乱するくらいレベルが違いました。


小泉:

バルセロナは世界中から良い選手が集まってくる育成システムが出来上がっていますよね。SHIBUYA CITY FCでも将来、育成環境を整え、アジアを中心に世界中から将来有望な選手たちが集まってくるアカデミーを作りたいと思っています。


田中:

僕も育成、教育には以前から興味を持っており、活動の一歩目として育成年代向けのサッカーフェス「KANSAI SOCCER FES」を立ち上げました。渋谷ではなく関西での取り組みになりますが、後々生きてくる経験になればと思って力を入れている取り組みです。


SHIBUYA CITY FCのファンに熱狂を


岡野昭仁と田中裕介、ひいてはSHIBUYA CITY FCが結びつく未来はあるのか。対談の最後は両者を取り巻く「ファン」「サポーター」の存在と今後について話が展開されていく。


田中:

そもそも岡野さんがSHIBUYA CITY FCを知ったきっかけはなんだったんでしょうか。


岡野:

代表の翔くん(小泉)を知人に紹介してもらったのが最初ですね。1年半ほど前だったと思います。


小泉:

その方に、定期的にその方にクラブ経営の相談などさせていただいており、その中で岡野さんをご紹介いただき、何回か食事に行ったり、一緒にサッカーを観に行ったりと、親しくさせていただくようになりました。


岡野:

今シーズンの開幕戦(23年3月12日 EDO ALL UNITED戦)もこっそり観に行ってたんだよね。初めてSHIBUYA CITY FCの試合を観させてもらったけど、こういう地域リーグや育成年代といったサッカーの裾野と呼ばれるところの環境がより良くなることが日本サッカーの発展には必要だなと感じるようになり、チームにのめり込んでいくようになりました。


田中:

数あるサッカークラブの中で、岡野さんはSHIBUYA CITY FCのどういったところに魅力や可能性を感じていますか。


岡野:

まずは、渋谷という街のポテンシャルが計り知れないというところ。そして、東京のど真ん中にあるサッカークラブとして、これからJリーグに上がり、世界に名を知らしめるビッグクラブになっていく姿を想像すると、応援しない訳にはいかないなと。きっと、田中くんもJのカテゴリーから移籍してきたとき、渋谷じゃなかったらきてなかったんじゃない?


田中:

「渋谷にあるサッカークラブ」という点が移籍の決め手になったのは間違いないですね。渋谷ほどヒト、企業、文化、エネルギーが密接に絡み合うカオスな街は世界的に見ても少ない。外国人観光客も戻り始めている。ポテンシャルは計り知れないと思います。


岡野:

SHIBUYA CITY FCは、まさにその渋谷に根を張っているということが、これから色々なところでじわじわと効いてくる感じがしますよね。僕も東京に来て初めて降り立ったのが、事務所のある渋谷でした。そういう意味ではとても思い入れのある街です。


小泉:

そうだったんですね。上京されたばかりの頃の、渋谷の街での思い出はありますか。


岡野:

実は家もまだ決まってない状態でフライングで渋谷に来ちゃったんですよ。事務所の担当の方が「まだ家ないよ!」って焦ってましたね。その夜に事務所の社長と3人で桜丘の居酒屋で呑んだことは今でも覚えてます。あとはライブもたくさんやりました。CLUB asia、O-EAST、O -WESTなどなど。事務所に所属するアーティストを集めた品定めのようなライブではだいぶギラギラしたパフォーマンスを当時はしていたと思います。渋谷は常にファイティングポーズをとってライブをしていた場所ですね。懐かしいです。


小泉:

先日、武道館でのライブにお邪魔させていただいたんですが、きっと昔からポルノグラフィティに魅了され続けてきたであろうファンの方々の心を鷲掴みにされていて、会場が熱狂の渦に包まれる光景は全身に鳥肌が立つ体験でした。僕たちもサッカークラブとしてこれから目指すべき姿だと強く感じましたが、長年活動されている中で、特に大事にしていることはありますか。


岡野:

まず、ライブにお越しいただいて、そう思っていただけてることは本当に嬉しいです。僕らとしては「ファンがいるからこそポルノグラフィティがある」と心から思って活動しています。そういう意味では、ファンの方々に対して丁寧に向き合うことは常に心がけています。それはメンバーだけではなく、ポルノグラフィティに関わるスタッフも意識していることではないかと思います。


田中:

ファンの存在は非常に重要ですよね。SHIBUYA CITY FCでもこれからファン・サポーターが増えていき、一緒にクラブを創っていく存在になっていくと思います。すでに毎試合観戦してくださる方や練習に駆けつけてくれる方も年々増えてきました。


岡野:

まさにこれからファンが増えていくタイミングというのは、本当にエキサイティングですよね。ポルノグラフィティの最初のライブに来てくれていたファンの方の顔はもちろん覚えていて、今でもライブで見かけるととても嬉しい気持ちになります。


田中:

応援スタイルもJリーグと海外では全く違いますし、SHIBUYA CITY FCとして既存の応援スタイルの枠組みにとらわれる必要もないですし、自分たちでも非常に楽しみにしている点でもあります。


岡野:

ヨーロッパだと、やはり文化としてサッカーが根付いていて、文化と歴史とリンクしてサッカーが語られ、スタジアムで応援という形で表現されていますよね。世界有数のカオスが誇りの街、渋谷での応援スタイル、とても楽しみですね。


小泉:

岡野さんとSHIBUYA CITY FCのテーマソングを一緒に創れたりしたら、とても嬉しいです!最後に、岡野さんはこれからの人生で取り組んでいきたいことはどんなことでしょうか。


岡野:

SHIBUYA CITY FCのテーマソング、いいですね!ぜひやりましょう!楽しみにしておいてもらえると。クラブのストーリーを一緒に創っていけるというところも今のSHIBUYA CITY FCの魅力の一つだと思うので、僕も仲間に混ぜてもらえると嬉しいです。


今後取り組んでいきたいことですが、今まで音楽やサッカーを通じて、色々な人と繋がることができました。これまでは本職として音楽をやってきた。そしてこれからは「音楽と繋がっていないと思っていたけど、実は繋がっていた領域」を盛り上げることに挑戦していきたい。サッカーももちろんですし、地域を盛り上げるということにも興味が出てきています。


小泉:

ぜひサッカーと音楽の融合をテーマに、SHIBUYA CITY FCのファン・サポーターをより熱狂させる取り組みを一緒に行っていければ嬉しいです。


田中:

岡野さんと作るテーマソング、とても楽しみです。ぜひお願いします!岡野さんの今後の活動もぜひ応援させてください。今日はありがとうございました。


岡野:

早速、曲作りに取り掛かりたいと思います!そして「MyCITY」メンバーとしてSHIBUYA CITY FCを今後も応援していきますね!今日はありがとうございました。




◼️岡野 昭仁(オカノ アキヒト)

1974年生まれ、広島県出身。ロックバンド・ポルノグラフィティのボーカリスト。1999年9月にシングル「アポロ」でメジャーデビューを果たす。その後も「ミュージック・アワー」「アゲハ蝶」「ハネウマライダー」など数多くのヒット曲をリリース。2019年にデビュー20周年を迎え、同年9月にアニバーサリーライブを東京・東京ドームにて2日間開催した。2020年11月よりソロプロジェクト「歌を抱えて、歩いていく」を始動させ、翌2021年1月に第1弾となる楽曲「光あれ」をリリース。2023年8月にソロプロジェクト初となるアルバム「Walkin' with a song」をリリース。ポルノグラフィティとして、2024年1月より全国10カ所16公演を廻る全国ツアー「19thライヴサーキット“PG wasn't built in a day”」の開催が決定している。


▼19thライヴサーキット "PG wasn't built in a day"特設サイト

https://sp.pornograffitti.jp/19lc/



◼️田中 裕介(タナカ ユウスケ)

1986年4月14日生まれ、東京都出身。 桐光学園高等学校を卒業後、横浜F・マリノスに加入。その後、川崎フロンターレ、 オーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズと所属し、セレッソ大阪時代 にはJ1昇格やJリーグカップ、天皇杯優勝を経験。ファジアーノ岡山を経由し、 2022年にSHIBUYA CITY FCで現役引退後、同クラブの執行役員に就任。主にチーム の強化に携わっている。自身で会社を立ち上げ、育成年代向けのサッカーイベントを 開催するなど、活動の幅を広げている。


◼️SHIBUYA CITY FC

渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ。「PLAYNEW & SCRAMBLE」を理念に掲げ、渋谷の多様性を活かした新しく遊び心のあるピッチ内外の活動で、これまでにないクリエイティブなサッカークラブ創りを標榜している。2023シーズンは現役時代に国内3代タイトル獲得経験を持つ増嶋竜也監督指揮のもと、平均年齢25歳以下の若い選手たちと共に関東リーグ昇格を目指して戦う。

渋谷駅周辺6会場をジャックした都市型サッカーフェス「FOOTBALL JAM」や官民共同の地域貢献オープンイノベーションプロジェクト「渋谷をつなげる30人」を主宰するなど、渋谷区での地域活動も多く実施している。


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