
楽しむことを強さに変えて。夢も、欲も、まっすぐに。ーー小沼樹輝【UNSTOPPABLES】#7
2025年4月17日
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「楽しい、楽しすぎた」
序盤はほとんど一問一答の連続で、この調子では取材が10分足らずで終わってしまうのではと、先行き不安なスタートだった。まさかそこから50分も話し込むまでになるとは、到底思えなかった。いざ取材が終わると、無性に原稿を書きたくなった。後日音源を聞き返した際もこの時のやりとりを聞き、思わず笑ってしまったほどだ。決して面白いギャグで笑わせるタイプではない。けれど不思議とその話し方に、声のトーンに、テンポに引き込まれてしまうのだ。
【UNSTOPPABLES~止められない奴ら~】
昨シーズン、関東2部への昇格を決めたSHIBUYA CITY FC。その栄光の背後には、勝利以上のものが隠されていた。選手たちの揺るぎない自信と勢いは、彼らの人生に深く刻まれた歩みから来ている。勝利への執念、それを支える信条。止まることを知らない、彼らの真の姿が、今明らかになる。
第7回は、”楽しい”という言葉を何度も口にした小沼樹輝。何かに抗うわけでもなく、自分のペースで独自の感覚を大切にしながら、本気で夢を追いかける。その強さを、彼はちゃんと知っていた。
小沼 樹輝(おぬま たつき)/ MF
茨城県神栖市出身。2000年5月26日生まれ。174cm、70kg。小学校から高校までの12年間を鹿島アントラーズの下部組織で過ごした生粋の鹿島育ち。高校1年から主力として活躍し、3年時にはプレミアリーグEAST制覇という輝かしい成績を残した。その後は関東学院大学に進学。1年時からリーグ戦のメンバーに名を重ね、安定感あるプレーで着実に存在感を残した。卒業後はFC刈谷に加入し、全国社会人サッカー大会で優勝。2024シーズンよりSHIBUYA CITY FCに加入。鹿島仕込みの球際での鋭さとボール奪取力。セットプレーの場面では正確なキックでゴールを演出し、攻守ともにアクセントを加える。
楽しい。ただそれだけ
「楽しい」
インタビューの定番ともいえる「昨シーズンを振り返ってどうだった?」という問いに対して、多くの選手は勝敗の記憶を辿りながら、チームとしての歩みや自分に課した課題を丁寧に語ってくれる。だが小沼だけは迷いなく、こう言い切った。
あっけないほど簡潔でありながら、言葉の時制すら過去ではない。感想というより、もはや感情そのものだ。何が楽しかったのか、どんな瞬間にそう感じたのか。重ねて問いかけても返ってくるのは、「楽しい、楽しすぎた」と言葉の奥行きを拒むような答えばかり。
挙句の果てに少しばかりニヤニヤしている。戸惑うこちらの反応に気づいたのか、ようやく小沼の口からぽつりぽつりと言葉を語り始める。
「結果的に昇格できたからよかったかなって感じ。でも練習はキツい。キツすぎた」
苦笑まじりにこぼした言葉。ちなみにこの「きつい」という単語は、この後4回ほど繰り返された。しかし、表情に浮かぶのは喜びでも苦しみでもない。淡々と事実を並べるように。
「辛かった時期もないし、別に良い時もなかったかな」
誰にでも多少の波はあるはずだ。そう聞いても「そうなのかな?」と首をかしげた。感情の振れ幅を感じること自体、どこかピンときていないように見える。
そんなつかみどころがない小沼が、今シーズン特に意識すること。
「ボランチだから、ボール奪うところとかアシストとか。セットプレーのキッカーもやらせてもらってるから、そういうところで貢献したい。あとはまあ……(チームに年下が)あんまりいないから、若さと元気で頑張りたい。盛り上げたい」

その意識は試合が始まった瞬間、すぐに体現される。
「"練習から試合と同じように"ってよく言うやん?でも結局試合になったら全然違う。めっちゃ気合が入るし、集中できる。別にアップからそんなに気合い入れてるわけじゃないけど、試合が始まったらスイッチ入るんよ。負けたくないし、勝ちたいから」
そして小沼にはその熱を引き出してくれる相棒がいる。今年チームに加入した河波櫻士は彼にとって特別な存在だ。
「櫻士とはめっちゃ仲がいい。大学の時は家から歩いて15秒ぐらいの距離だったから、毎日ずっと一緒にいたんだよね」
昔からの付き合いだからか、彼の話になると小沼の表情も少し柔らかくなる。そして小沼が河波のプレーをどう表現したかというと、これもまた独特だった。
「スピードが早すぎる。本当にソニック。だから俺はソニックって呼んでます」
大人気ゲームの看板キャラクター、ソニック・ザ・ヘッジホッグ。時速1224kmで駆け抜ける青いハリネズミだ。それに例えて河波の圧倒的なスピードを表現するあたり、絶妙にユニークな感覚が溢れている。「絶対ソニックって書いておいてね」そう強く念を押したときの顔は、どこか誇らしげに見えた。
そして、実は小沼がその"ソニック"の渋谷加入に一役買っていたというから驚きだ。
「昨シーズンの練習中に、裕介さん(田中裕介スポーツダイレクター)との会話の中で、『河波櫻士って選手がいて、、、』と話したことがあった(笑)そしたら今年本当に来たからびっくりした」
「あれ、マジで?」と素直に驚く小沼の顔が目に浮かぶ。
そんな河波の加入を喜びつつも、自身のプレーにも一才の妥協はない。自分のプレーを突き動かしているものは何なのかと尋ねると、少し考えてぽつりと答えた。
「ない(笑)あ……全力かな。その日の自分ができる全力でやること。ちょっとコンディション悪いなって時は、コンディションが悪いなりの全力。毎日全力で頑張ること。楽しむこと」
力みすぎず、肩肘張らず、ただ自分と向き合い続ける。そしてその原動力はやはり"楽しさ"にある。

「サッカー中は全部楽しい。練習も一人じゃできないけど、みんなで盛り上げてやったら結局楽しいと思っちゃう。辛い練習のときは、『なんでこんなことやるんだよ』とか思うこともあるけど、やりきったあとは気持ちいいし」
サッカーを楽しむこと。それは小沼にとって大切な感覚だ。うまくいくかどうかに関わらず、そこにある楽しさを見つけて次の瞬間へと繋げていく。どれだけ苦しくとも、小沼にとってのサッカーは"楽しい"という本質に帰着するのだ。
鹿島じゃなきゃ意味がない
だが、そんな"楽しむ"という感覚は、ただの気まぐれや楽観から生まれたものではない。小沼の中にはもっと深く、もっと熱く燃えるようなルーツがある。プロを目指すようになった背景には、無邪気さだけでは語れない強い想いと、小さい頃から積み重ねてきた記憶が確かに存在していた。
茨城県で生まれ育ち、幼い頃から身近にあったのは、地元の誇りーー鹿島アントラーズ。1歳のとき、熱心な鹿島のサポーターであった祖母に手を引かれ、初めて足を運んだスタジアム。ピッチで躍動する選手たちも、赤く染まるサポーター席の熱気も、小沼少年の胸にしっかりと焼きついていた。気がつけば小学1年時には、アントラーズのスクールに通っており、彼の人生は自然とそのクラブとともにあった。
中学生になるとその距離はさらに近づく。スクールのグラウンドのすぐ隣には、トップチームの練習場があった。
「トップの選手がすぐそこにいたから、コーチに『お前らそんなんじゃ、あそこ行けねえぞ』って言われることも多くて。(プロを目指すことを)勝手に意識させられていたんだよね」
”意識させられていた"という言葉はどこか客観的だが、現実として彼はすでにその道の上にいた。中学時代は常に試合に出場。ユース昇格も「まあ、上がれるっしょ」くらいで誰かと競い合うというよりは、順当に進む感覚に近かった。自信はあったのかと聞けば、「まあ」と一言。その淡々とした語り口に、裏打ちされた実力が滲み出ていた。
高校に進学しても、その歩みは止まらなかった。ユース1年目から全試合に出場。だがそんな彼にも、限界を突きつけられる瞬間が訪れる。
「一年生からずっと試合に出ていて、試合でもそんなにやれてないわけじゃなかったから、そのときは『プロ行けんじゃね?』とか思ってた。でも高3の夏に、トップチームのキャンプに参加したんだけど、その時のメンバーが上手すぎて。そこで『やっぱり俺厳しいな』と感じた」
そこには輝かしい実績と才能を持ち、クラブの顔として存在しているような選手たち。その中に立ったとき、小沼は初めて”差”というものを肌で感じた。自分に何が足りなかったのかと聞くと、「さすがに全部。もう全部上手すぎる。技術もフィジカルも。あとはもともと持っているものも大事だなって」
悔しさだけが残ったわけではない。むしろ、それまで感じたことのなかった本物のレベルに触れたことで、自分の現在地がはっきりと浮かび上がった。

それでもプロへの道は完全に閉ざされたわけではなかった。高校3年の秋、進路を本格的に決める10月、11月の時点では、J2のクラブからも声をかけられており、いくつかの練習参加にも行った。
「その時点ではプロに行けるかもしれないという感覚はあったけど、だんだん怪しくなってきて。行けなかった場合、一応どこかの大学を一個だけ決めておくことになった。1月頃なんて進路を決めるにはもう遅い時期だったけど、関東学院が一個枠を作ってくれて。大学側にも早く答えを出さなくちゃいけなかったから、プロの練習参加の結果も聞かないまま『もうこのまま大学行っとくか』って決めた」
プロの道に賭けきれなかった後悔は、意外にも彼の口からは出てこなかった。むしろ、小沼の胸に残っていたのは、ただ”プロになりたい”という漠然な願いではない。”どこでプロになりたいか”この一点だった。
「アントラーズに上がれなかった悔しさはもちろんあった。けど、他のチームに行けなかったことへの悔しさはあんまりなかった」
だからこそ道が閉ざされた瞬間、どこかで腹は括れていたのかもしれない。夢が崩れたのではなく、一番やりたかった場所で叶わなかったという事実を、静かに受け入れた。"鹿島でプレーすること"。その想いが小沼の中ではずっと変わらなかった。
流れに身を任せても、消えないDNA
関東学院に進学後、すぐに鹿島ユースでの経験が物を言い、小沼は入学当初からAチームに入り、好調なスタートを切った。彼の頭の中には、当然のように「4年後に鹿島に戻る」という青写真が描かれていた。だが、夢は描いただけでは手の中に落ちてこない。
「入学当初はモチベーションは高く入ったんだけど、実際鹿島なんて大学サッカーの中でもトップぐらいじゃないといけない。俺は1、2年から試合には少し出ていたけど、鹿島は1年目から全試合出場で、2年目で大学選抜に入るくらいじゃないと届かない場所なんだよ。だから途中で気づいた。『ああ、もう無理だな』って」
なぜそこまで鹿島にこだわるのか。それを問う前に、その後の彼の言葉がすべてを物語っていた。
「鹿島は厳しいよ、本当に。勝つためなら何でもやれ。勝つための手段として、ちょっと汚いこととかも教わる」
小沼がふとこぼした言葉には、そんな勝利至上主義のリアルが詰まっていた。ここでは書けないような駆け引きの数々も教えてくれたが、それは反則でもズルでもない。常勝軍団・鹿島アントラーズの、いわばDNAなのだろう。小さい頃からその空気を当たり前のように吸ってきた彼にとって、鹿島でプレーすることこそが自然で、他のチームでプレーするという発想すらそもそも存在しなかったのだ。

「鹿島にいる時はみんなそんな感じ。俺は小学生から鹿島にいたからさ、ずっとそういうこと言われて育ってきたんだよね。だからそれが普通だと思ってた。でも、大学とか社会人チームに来たら、『やっぱり鹿島は考え方が違うんだな』って感じた。俺は普通にプレーしてるつもりだけど、練習とかでめっちゃ激しく当たりにいくと、みんなから『うわー、鹿島だなー』って言われるんだよ(笑)だから鹿島はそういうイメージを持たれてるんだなって思ったよね。なんなんだろうな、鹿島って」
ふとこぼれたその問いに、小沼自身も自分の中に染みついた価値観の強さに驚いているようだった。そしてその根底に流れているのは、ジーコが鹿島に根付かせたあの精神ーージーコスピリットに他ならない。
「”献身、誠実、尊重”。このジーコスピリットを小学生の頃からずっと教えられてきた。でも小中学生のときなんて、そんなこと言われてもよくわかんなかった。だから簡単な言葉に置き換えて言われるんだよ。”嘘つかない、やましいことしない、自分のことばかり考えない”。あとは"常に全力"って。でも周りからは『お前それ全然ねえじゃん』ってずっと言われてきたんだけどね(笑)」
そんな勝利の精神を骨の髄まで叩き込まれた少年が、大学で味わったのはまったく違う雰囲気だった。
「大学の最初とかは正直、『うわ、俺こんなところで4年間やるんだ』って思ったけど……結局そこに染まっちゃうよね」
環境が人を変える。高校までの閉じられた競争の世界から、大学という"ちょっと自由で、ちょっと甘い"世界へ。そこには本気でプロを目指す者と、そうではない者の距離がはっきりとあって、それでも周りに流されずにいられる人間だけが、道を切り開いていく。
そして「就活はしていなかった。全くゼロ」と潔く語るように、大学4年の終わりまで彼の視線は最後までサッカーだけだった。プロへの扉が、自分の前でゆっくりと閉じていく気配には薄々気づいていた。それでも保険をかけようとは思わなかった。
「実際サッカーチームって下のリーグに行けば早いしさ。仕事も紹介してくれるし。別にそこまで深く考えていなかった」
拍子抜けするほどの楽観さ。でもそれは真剣に向き合った故の、諦め方でもあった。後に大学卒業後はFC刈谷に加入。
「大学4年の8月〜9月ぐらいに怪我して。Jクラブの練習参加に行く予定はあったんだけど、結局リハビリしてたら翌年の4月、5月とかになっちゃって、もう遅いなって。刈谷は練習参加はなしで『来ていいよ』って言ってくれたから、じゃあそこいくしかねえなって」
選んだのではなく流れの中で決めた。でもそこに不安はなかった。
「次の年まで大学で練習して、またプロの練習参加に行くか?っていう話もあったんだけど、正直それもちょっとダルいなって思って。どうせJ3の下の方に行くんだったら、もう刈谷でもいいかなと思って」
あまりにあっけらかんとしたその言葉に、まだ鹿島が忘れられないのか、そう思った筆者の答えはすぐに否定された。
「そのときはもうJ1とか目指してなかった。もう無理だと思ってたから。J3でもさ、仕事ありきのクラブとかあるじゃん?だったら刈谷でも変わらないんだよね。意外とサポートも多くてすごいんだよ、刈谷。だからいいかなって」

現実主義なのか、面倒くさがりなのか。想像よりずっと肩の力が抜けた選択。
「ははっ(笑)いや、なんなんだろう。適当だよね。流れ?ノリ?多分そんな感じ」と当の本人もよくわかっていなさそうだった。
小沼はどこまでも自然体で飾らない。ただ真っ直ぐに、自分の歩幅で歩いてきた。それでいて自分が育ってきた鹿島という土壌には、今もどこかで敬意を払っている。勝利への執着、歯を食いしばる日々、流れに委ねたようで、芯はブレていない。自分に正直でいること、不安や迷いすら包み隠さず語れること。その姿に小沼という人間のあり方が、ふと見えた気がした。
お金持ちになる夢は、マジ本気
インタビューの最後、録音を止めようとしたその瞬間だった。小沼は突然何かを思い出したかのように話し始めた。エンジンがかかるというのは、こういうことを言うのかもしれない。雑談の皮を被った本編が幕を開けた。どうやら本当に聞くべき話はここからだったらしい。その穏やかで不意打ちのような時間こそが、小沼樹輝という人間の"核"に最も近づける瞬間だった。
その中で小沼は、ある一つの夢を語った。
「俺さ、今の目標があって。30歳までにはお金持ちになりたいんだよね」
あまりに真っ直ぐな目で言われたので、正直笑うしかなかった。いや、笑ったこちらが恥ずかしくなるくらい小沼の夢への想いは本気だった。冗談めかして言っているようでいて、笑い飛ばすには熱がありすぎたからだ。
「今25歳だからあと5年。別に何で稼ぎたいとかは決まってないよ。普通に良い家に住んで~、良い車に乗って~、家族を持って~みたいな。普通の生活はちょっと楽しくない」
目的は明快だった。ただ豊かに、自由に、そして楽しく生きるために。サッカーに打ち込む日々の中で、ふと目を閉じたときに思い浮かべていたのはそんな理想の未来だった。

「大学生の時ぐらいから思ってたよ。高校の頃も『ワンチャン、プロになれるんじゃね?』って思ってたから。それでお金持ちになって成人式でかっこつけてやろうと思ってたから(笑)」
プロサッカー選手=お金持ち。そんな単純な図式を小沼はずっと信じてきた。そしてプロになることはサッカーの夢を叶えることと同時に、現実を変えるための手段でもあった。
「実際プロになりたかった理由も、好きなサッカーで稼げてお金持ちになれるから。良い車に乗って、大きい家に住むとかかっこいいじゃん。だから同級生とかユースからプロに上がった友達を見ると、『うわ、いいな』って思うもん。試合に出ているのもいいなと思うけど、それよりも生活の羨ましさの方が大きい」
自分が夢見た未来と、今立っている現実。そのギャップを彼はもう見て見ぬふりはしていない。そして話は、大学時代へと遡る。
「大学生の時は朝練でサッカーやって、午後昼寝して、櫻士と遊びに行くっていう生活。今思えば、午後の時間とかでもっと勉強して、時間があるうちにいろいろやっておけばよかったな。そうしたら幅が広がったかもしれないし。でもあの頃はただ楽しかっただけだから、そんなことわかんないよね。Jリーガーとかになれれば話は違うけど、実際このリーグでプレーしてても、正直お金持ちになるには限界があるなって思う」
どこかで気づいていた現実。それを口にするのは簡単なことではない。ましてや、まだこの場所でプレーを続けている身であればなおさらだ。けれど小沼は夢から目を背けずに足元もちゃんと見ている。
「そう考えたら、そろそろ自分でいろいろ勉強しないといけないよね。会社員の仕事だけだったらすぐにはお金持ちにはなれないし。今は宅建の資格とか勉強してる」
現実に折り合いをつけながらも、密かに準備を始めていた。サッカーをやめたその先も、まだ自分の人生が続いていくことを彼はもう知っている。
「けど俺本当にバカだからさ、まず漢字が読めないんだよ(笑)。だから本当にきつい」
最後には、またいつもの小沼が戻ってくる。自己否定のように聞こえるその笑いにも、不思議と湿っぽさはなかった。むしろそこには自分を飾らず、どこかで楽しそうに向き合う姿が映っている。
「サッカーを辞めた後の人生も楽しみ。お金持ちになれるための人生が楽しみ」
飾らない言葉の中にあったのは、妙にリアルな熱量と、ちょっと不器用な本気だ。
「俺ガッツあると思うよ。やっぱり見た目で悪く見られることが多いからさ。チャラついてるみたいな。でもお金持ちになる夢はマジ本気だから」
口にする夢はストレートで、その理由も実にまっすぐ。そこにあるのは、派手な演出も美談も必要としない、小沼”らしさ”だった。想定外の雑談が、小沼樹輝という人間の輪郭をくっきりと浮かび上がらせてくれた。

サッカーで結果を残す。いつかはお金持ちになる。夢を変えたわけじゃない。ただ形を変えて、また全力で追いかけているだけだ。勝ちたい。稼ぎたい。楽しみたい。そのどれにも本気だから、夢も欲望もありのままに。
ふざけているようで、実は本気。流されているようで、譲っていない。小沼樹輝の生き方は、いつだって”らしさ”の中に、勝ちを求めている。どこまでも自然体で、まっすぐに。
取材・文 :西元 舞
写真 :福冨 倖希
企画・構成:斎藤 兼、畑間 直英
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SHIBUYA CITY FC
渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ。「PLAYNEW & SCRAMBLE」を理念に掲げ、渋谷の多様性を活かした新しく遊び心のあるピッチ内外の活動で、これまでにないクリエイティブなサッカークラブ創りを標榜している。
渋谷駅周辺6会場をジャックした都市型サッカーフェス「FOOTBALL JAM」や官民共同の地域貢献オープンイノベーションプロジェクト「渋谷をつなげる30人」の主宰、千駄ヶ谷コミュニティセンターの指定管理事業など、渋谷区での地域事業活動も多く実施している。
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