
余裕を求めて、動き続ける。模索の先にある理想へーー宮坂拓海【UNSTOPPABLES】 #11
2025年5月22日
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「すべてにおいて、余裕のある人間になりたい。時間的にも、金銭的にも、人と接するときの心持ちでも」
静かで、人見知りで、内向的ーー宮坂拓海を知る人は、たいていそんな言葉で彼を語る。しかしそれは、彼のほんの一面に過ぎない。取材を進めるうちに、予期せぬ新たな側面を見せてくれた。そして最後にはこう思った。もっと彼の奥行きを覗いてみたい、と。
【UNSTOPPABLES~止められない奴ら~】
昨シーズン、関東2部への昇格を決めたSHIBUYA CITY FC。その栄光の背後には、勝利以上のものが隠されていた。選手たちの揺るぎない自信と勢いは、彼らの人生に深く刻まれた歩みから来ている。勝利への執念、それを支える信条。止まることを知らない、彼らの真の姿が、今明らかになる。
第11回は、大卒1年目のルーキー・宮坂拓海。もがきながらも前へ進もうとする、その成長欲求と多面な顔に迫る。
宮坂 拓海(みやさか たくみ)/ DF
山梨県上野原市出身。2002年4月22日生まれ。180cm、73kg。幼少期はJACPA東京FCからAZ’86東京青梅でプレーをし、選抜経験も持つ。高校はジェフユナイテッド千葉U-18に所属し、その後は日本大学へ進学。トップチームでのプレー経験はなかったが、社会人チーム・FC N.で関東1部昇格に貢献し、ベストイレブンにも選ばれた。今シーズンからSHIBUYA CITY FCへ加入。ヘディングと左足のキックを武器にした守備でチームに力を添える。
自他ともに認める引っ込み思案
「俺、本当に陰キャラなんですよ」
そう言って話す宮坂は、チームでも屈指のシャイボーイだ。陰キャラーー物静かで、あまり目立たないタイプのことを言う言葉のことである。
取材前、他の選手たちからも「ミヤはあんまり喋らないから」「大人しいよね」といった声が聞こえてきた。そんな評判を踏まえ、本人に「周りからはそう言われているけど、自分ではどう思っている?」と聞いてみたとき、返ってきたのが冒頭の一言だった。
「赤面症なのですぐ顔が赤くなっちゃうんです。人前に立って話すときも、最初は『全然いけるっしょ』くらいの軽い感じで臨めても、いざ喋り始めると、自分でも体温が上がってくるのが分かるくらい赤くなってきて。心の中で『これやばいな』とか思うんですけど、止められないんです」
自覚のある赤面症。なりたくてなっているわけではない。けれど気持ちとは裏腹に、体は勝手に反応してしまう。
「それこそ、練習後の締めの挨拶を自分がやると、みんなに『顔、赤くなってんぞ』って言われちゃうぐらいで。つい周りを意識しちゃうんすよ」
実際にクラブのYouTubeドキュメンタリー企画である「INSIDE CAM」第3回では、その様子がはっきりと映し出されている。練習試合後に、山出旭から締めの挨拶を任されると、顔を赤らめながらも言い切った姿に、周囲からは温かい笑いがこぼれていた。

そしてどうやらこの人見知り気質は、ピッチの外でも健在のようだ。宮坂は現在、人材系の企業で営業職として働いているが、現場でもシャイな性格は隠せていない。
「テレアポの仕事をやっているけど、いまだにアポが全然取れないんです。一昨日から新入社員の子が自分のグループに入ってきて、その子に今月のアポ数もう抜かれてて。俺、本当にいる場所ないなって焦ってます(笑)喋るのが得意じゃないから、一番俺に合わない仕事だなって思うけど、職場の人はみんな優しいので助けられています」
だが、中学時代の宮坂を知る人にとっては、今の彼はまるで別人のように映るという。
「中学のときは、後輩たちがみんな俺のこと怖いって言うくらいのキャラで。卒業してOBとして顔を出しに行ったときにも、みんなスッと俺の周りからいなくなりました(笑)」
いまの赤面シャイボーイの印象とは真逆ともいえる、"王様キャラ"。年下からそんなふうに見られていたことには、本人にも思い当たる節があるらしい。
「数少ない後輩たちとの絡みの中で、紅白戦のあとにお互い一発ギャグをやり合う流れがあったんです。自分では全くそんなつもりはなかったんですけど、ペアになった一個下の子がギャグをやった時に俺が全く笑わなかったらしくて。俺はそこで気を遣って笑ってあげる余裕もなかったのと、そのギャグがそこまで面白くもなくて(笑)。そのあと下の学年の中では『やばい、ミヤくん笑ってない。どうしよう』ってザワついてたらしくて」
無意識の無反応が、後輩たちには想像以上に強烈だったらしい。意図せずした彼の沈黙が、王様キャラの名を決定づけてしまった。本人には申し訳ないが、つい笑ってしまうようなエピソードだ。
「これは流石にちょっとやばいなと思って、高校からは積極的に後輩に優しくするようにしました。さすがにまたあんなことになったらまずいので」
同級生たちからは怖いという印象は持たれなかったようだが、今でも「親しく話す友達の数は少ない」と宮坂は言う。
「同い年より、年上と関わることが多いかな。高校の時も一個上の先輩と釣りとか、ご飯に行くことばかり。同期にも一人、めっちゃ仲が良いやつがいたけど、それ以外の人とは遊んだりすることはなくて。自分が引っ張るのが苦手だから、年上の人といた方が居やすいのかもしれないです」

そんな距離感は今いる渋谷でも変わらない。
「まだ1回も(プライベートで)遊んだことないです。たまたま(河波)櫻士くんが同じ店にいたことぐらいで」
そう言って笑うが、そこに寂しさはない。あくまで自分のペースを大事にしているだけだ。
「誘われたら全然行くんですけど、自分から誘うのがめっちゃ苦手で、断られるかもしれないって思っちゃうんですよね。1回断られたら、どうせもう無理なんだろうなって思って、それ以降誘わなくなる。だったらもう一人でいいかなって。
しかも自分の予定が入るかもって考えちゃうから、ギリギリまで空けときたくて。結局、誘うのが直前になっちゃうんですよ。……まずいな、このままだと友達がいないやつだと思われちゃう」と苦笑いする。だが、そこに不満はないようだ。
「練習参加で大阪に行った時も、一人で道頓堀で食べ歩きとかしてました。友達と遊ぶのももちろん楽しいですけど、全然一人でも楽しく過ごせます。一人だったら自由に行きたいところに行けますし、気を遣うこともないので」
誰かと一緒じゃないとできないことよりも、一人だからこそ楽しめる時間を大切にしてきた。それは今に始まったことではない。思い返せば、昔からそうだった。
「小学校のときの選抜チームのセレクションでも、俺は人見知りなので、知らない人たちがいっぱい集まったところに行くのが嫌だったんです。だから受かったときも、入るかめっちゃ迷って、悩んで。顔見知りの人たちも中にはいたけど、入ったあとも一人ぼっちでポツンと過ごしていました。
最初に春合宿があったんですけど、俺インフルエンザにかかって休んじゃって。そこでみんなと仲良くなれるチャンスだったのに、それを逃したから『うわ、やばい。他のみんなは仲良くなってるのにどうしよう』って焦った記憶があります」
初対面に限らず、仲良くなるまでに時間がかかる。その理由について聞くと、少し癖のようなものがあると言った。
「俺、疑い深いんです。簡単に人を信用するのがそもそもできなくて。最初は疑いから入るし、話してて『この人は本音でこれを言ってんのかな?』と思っちゃう。別に騙された経験とかはないんですけど、一発で人を信用できないっていうか。まず疑って何かしら考えちゃう。結構ひねくれているんです」
そう語ったあと、宮坂はこれまでの人見知りな印象を帳消しするかのように続けた。
「でも2人とかで仲良くなったら、めっちゃ喋りますよ。同い年の(青木)友佑と車移動してる時もそうです。全く喋らないわけじゃないし、ちゃんと仲良くなって、2人とか少ない人数とかだったら大丈夫なんです。大学のときも『ミヤは2人だったらめっちゃ喋る』って言われるぐらいですし」
取材が進むにつれて次第に話すようになった彼の姿からもわかるように、距離が縮まった相手には驚くほど饒舌になる。最初は言葉少なでも心を許せば一変し、よく笑い、よく語る。それが宮坂のひとつの面だ。
スイッチは突然に
こんな内向的な性格の宮坂だが、話を聞くうちに、意外な顔が見えてきた。
「俺、めっちゃいろんなことにチャレンジしたい人なんです。できるようになったら楽しいから、いろいろやっちゃいます。だいぶ変わり者だなって自分でも思います」
そう言って少し笑いながら、こんな話をしてくれた。
「最近は英語の勉強を始めました。もともと、高校進学のタイミングでは、海外の学校に行きたくて、そこでサッカーもやりたかったんです。結局その話はなくなっちゃったんですけど、当時は本気で海外で生活したいと思っていました。街も綺麗だし、楽しそうでいいなって」
その言葉通り、今ではTOEICの勉強をしたり、ディズニー映画を英語字幕で観たりと、取り組み方はなかなか本格的だ。
「仕事の募集要件にTOEIC何点以上ってよくあるじゃないですか。だからやっぱり英語って勉強する必要があるんだなって。でも、そこまで喋れるようにまではなっていないんですけどね」
そう謙遜しながらも、地に足のついた学び方を続ける。そしてその追求心は英語だけにとどまらない。
「お金が欲しいなって思って、YouTubeで資産運用の動画を見てお金の勉強をしたり、ドラマの『ドクターX』で麻雀をしているシーンがあるんですけど、その影響で麻雀をやってみたり」
思いつきのようでいて、気になったことはきちんと手を伸ばす。さらに料理や楽器にも興味をもち、友達と一緒にウクレレを始めてみたこともあるという。
「ピアノやギター、バイオリンとかは値段が高くて手が出しにくいので、一番安いおもちゃみたいなウクレレをとりあえず買ってみたんです。でも指の動きが全くわからなくて、これは無理だなって思って諦めました。
ピアノはスマホゲームでタイルを押すゲームがあるんですけど、それをやってみたり。あとは友佑がめっちゃ釣りが好きで、楽しそうだなって思うので今度一緒に行ってみたい。あとはお父さんの影響もあって、ゴルフの打ちっぱなしにも行きますね」
話題が尽きるどころか、次から次へと興味の矢印が飛び出してくる。内向的という印象が強かったからか、そのギャップにただただ驚かされる。
そしてさらに驚くことに、大学4年の頃には、履修の必要がないスペイン語の授業を前期だけ受けていたという。
「他の授業はなかったんですけど、その授業のためだけに大学に行っていました。スペイン語ができるようになったらかっこいいし、せっかく4年生になって時間があるなら、無駄に過ごしたくないなって」

とはいえ、その行動の起点には特別な思いがあるわけではない。
「急にやりたくなってスイッチが入っちゃうんです。そこまで長くは続かないんですけど、ある一定の期間はのめり込んじゃいます」
ただの思いつきで終わらせず、興味をもったことには飛び込んでみる。そして、自分なりに納得のいくところまでやってみる。
「うまくならないなとか壁にぶつかったら、『これ無理じゃん』って思って一旦そこで終わる。でもたまに、『やっぱりできた方がいいかも』って思って再開したり。そういう気持ちがふと来るんです」
すぐ熱中して、すぐ飽きる。でもそれは裏を返せば、行動力と柔軟性があるということ。思い立ったらすぐ動く。必要だと思えばまた始める。
「何かに影響されやすい性格なんです。『これができたらなんかすごくね?』みたいな。ステータスとして身につけたら、すごいかっこいいのでやり始めちゃうのかもしれないです」
理由はいたってシンプルだ。極めることが目的でなくても、動いたからこそ得られる感覚や景色がある。
静かで人見知り、それでも多趣味で行動的ーーそんな二面性が彼をユニークな存在にしていた。
支えに応えるために
少々ピッチ外の話が続いていたので、話をサッカーに戻す。
大学時代は日本大学の社会人チーム・FC N.でプレーしていた宮坂だが、その頃からすでに渋谷の存在は強く意識していたという。
「去年、関東リーグで戦っていろいろな社会人チームを見てきましたけど、渋谷はやっぱりレベルが違うなと感じていました。元プロの選手が多くて、全体の意識も高い。それこそ経験のある(楠美)圭史くんや、ツボくん(坪川 潤之)が引っ張ってくれるのが大きいですね」
ベテランや経験のある選手が多数在籍するなかで、宮坂は年齢的には下から2番目。キャリアもまだ駆け出しで、まさに成長途中にある。
「自分はまだ数試合しか出れていないし、プレーも安定感がありません。自分の中ではやっているつもりでも、周りの選手から『もっと声を出せ』と言われ続けているので、そこの課題はしっかり改善しなきゃいけないと思っています」
引っ込み思案な性格は、プレーにも少なからず影響を与えている。周囲から指摘されるものの、それを受け入れ修正しようともがいている最中だ。

そんな宮坂に、今年頑張りたいことは?と聞いてみた。すると「他の選手は何て言っていました?」と逆に質問が返ってきたので、試合に多く出場することや、点を取りたいという声が多かったと伝えると、「うわ、それめっちゃ言いたい!俺も、試合に出て貢献したいって言いたい!」と思わず素直な本音が漏れた。
それでもすぐに顔を引き締めて言葉を続けた。
「まずは一発目のヘディングを大事にしたいです。それがうまくいけば、試合の流れも良くなるので。今年はまだみんなの中で、ヘディングが強い選手っていう印象は持たれていないと思うんですけど、去年はほとんど競り合いで負けていなくて。そこだけは全然負ける気がしないし、なんなら『俺に来い』ぐらいに思っています」
その一瞬の勝負に、自分の調子を預けている。だからこそ、そこでミスをすれば「あれ、今日はちょっと調子が悪いな」と感じてしまう。その一発目が彼にとって大きな指標であり、スイッチが入る、止められない瞬間だ。
「多分、見てる側からしたらわかりやすいと思います(笑)」
そして宮坂にとって渋谷への加入を後押しした大きな存在が、増嶋竜也監督だった。ジェフユナイテッド千葉U-18時代、トップチームの現役選手だった増嶋監督との接点は、今も記憶に深く残っている。
「当時からマスさんは、自分のことをよく気にかけてくれました。練習後の自主練の時間には『一緒にヘディングやるぞ』って誘ってくれたこともあります。他のユースの同期は『マスさん怖い』って言ってたけど、俺は全然そんなことなくて、めっちゃいい人で優しい印象でした。身長も同じぐらいで、ポジションが一緒だったので、この人を見ておけば間違いないと思える、お手本のような存在でした。
一昨年渋谷と日大が対戦した試合でも、俺のことを覚えててくれていて。卒業後の進路で迷っていたときも、時間を作ってくれて、カフェで相談にも乗ってくれました」
偉大な背中に導かれるようにしてたどり着いた渋谷。自分のためだけではなく、かつて手を差し伸べてくれた増嶋監督のためにも戦っている。

だが彼がサッカーに懸ける理由はこれだけでない。
「やっぱりサッカーはできる年齢が限られているし、一回辞めちゃったらもう先はないですよね。だったら全力でやるしかないです」
その覚悟の裏には、両親の存在がある。宮坂は山梨県出身であり、高校は親元を離れ寮生活を送っていた。現在は実家に戻り、山梨から渋谷まで毎日片道1時間半をかけて電車で通っている。だが、小中時代は東京にあるチームまで親に送り迎えをしてもらっていたそうだ。
「山梨はチーム数が少ないので、小学生のときは東京支部のチームに通っていて、親にずっと車で送ってもらっていました。中学も、平日の練習は学校が終わったらすぐ出ないと間に合わなかったので。だからこそ親の存在はめっちゃ大きいんです。結局、大学でもそんなに大した結果が残せたわけではないし、こんなに時間と労力とお金とかけてきてもらったものを、簡単に辞めるのは違うと思ったんです。だから卒業後もサッカーを続けようと決めました」
そして、こう続けた。
「ありきたりな話になっちゃいますけど、親とか、周りの環境に感謝する気持ちを常に持っていたいです。サッカーができているのも、いろんな人が協力してくれているからこそだと思うので。山梨にずっといたら経験できなかったであろう環境が、こっちでは整っているじゃないですか。だからこそ、環境や、支えてくれる人たちへの感謝の気持ちを大事にしたいです」
支えてくれた家族や、監督、恵まれた環境への感謝。その想いが、彼を今もピッチに立たせている。
未完成が紡ぐ第一歩
内向的で物静か。それでも好奇心は人一倍。感謝を忘れず、成長を望み続けるーーそんな多面性を併せ持つ宮坂は、まだ社会に出て間もない、大卒1年目の若きサッカー選手だ。ピッチの上でも、日常生活でも、これからどんな色にも染まっていける段階にいる。
そんな宮坂に、将来どんな人間になりたいかを尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「すべてにおいて、余裕のある人間になりたい。時間的にも、金銭的にも、人と接するときの心持ちでも」
その想いは学生時代から芽生えていたようだ。
「大学時代にふと、『余裕のある人になることが最終形態かな』って考えるようになったんです。サッカー部はバイトが禁止だったので、どうにかしてお金が欲しいなって思ってて。そんな時に、資産運用の配当金だけで生活できて、仕事をしなくてもいいくらいにお金があって、好きなことができる仕組みを見つけて。そんな状態になれたら最強じゃんって」
そう語る宮坂だが、その目標に向かって焦るように突き進んでいるわけではない。彼の中には明確な道筋というよりも、ぼんやりとした理想像が頭の中に描かれている。
「時間に追われているわけではないけど、それこそやりたいことが見つかった時に時間の余裕がないとそれをする暇もない。お金がないとそれを始めることすらできないし。だからやっぱり何事も余裕が大事だなって改めて感じました」
そして少し照れたように笑いながらこう付け加える。
「……っていうのは、就活の面接で言ったんですけどね。将来どんな人間になりたいですか?って質問されたときに、こんなふうに答えた気がします」
思えば、仕事では同じ職場で働いているチームメイトの大越寛人に何かと頼っているーーそんな話を大越本人から聞いた。その真偽を問うと、どこか誇らしそうにこう答えた。
「コシ君からしたら、全然やってないじゃんって思われるかもしれないけど、俺の中ではわからないことあったら聞くようになりましたよ!(笑)ちゃんと他の社員さんに聞きに行って『すいません』って声をかけられるようになりました。
もう、今までの自分じゃ考えられないことなんです。昔はどうにか自分の中で解決しようとして、人に聞くっていう選択肢がそもそもなかった。だから、これでもだいぶ自分の中では成長してるかなって思います」
社会人としての一歩目。不安や戸惑いもある中で、彼は苦手に向き合いながら、自分なりの変化を積み重ねている。プライベートでも多彩な挑戦をする行動の根底には、やはり「余裕のある人間でありたい」という強い想いだ。
「そうなるために、いろいろチャレンジしているのも、自分に合うものを探しているんです。でも、まだ模索中ですけどね」
手探りのままでも立ち止まらず、さまざまな分野に果敢に手を伸ばす。それは荒削りで、遠回りに見えることもあるかもしれない。それでも彼は自分のペースで、飛び込むことを恐れない。
そして、そんな話の締めくくりには、まっすぐな目でこう語った。
「いろんな面で成長したいです。社会人として、人として、サッカー選手として。自分が成長する意欲だけは、絶対なくしたくないです」

まだ未完成で、不安定な部分も多いかもしれない。だが、それを恐れず受け入れ、一歩一歩前に進もうとする。その姿勢こそが、彼の余裕の本質であり、原点なのかもしれない。
取材・文 :西元 舞
写真 :福冨 倖希
企画・構成:斎藤 兼、畑間 直英
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SHIBUYA CITY FC
渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ。「PLAYNEW & SCRAMBLE」を理念に掲げ、渋谷の多様性を活かした新しく遊び心のあるピッチ内外の活動で、これまでにないクリエイティブなサッカークラブ創りを標榜している。
渋谷駅周辺6会場をジャックした都市型サッカーフェス「FOOTBALL JAM」や官民共同の地域貢献オープンイノベーションプロジェクト「渋谷をつなげる30人」の主宰、千駄ヶ谷コミュニティセンターの指定管理事業など、渋谷区での地域事業活動も多く実施している。
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