top of page

この愛に、嘘はない。激情と背中で示す覚悟の真意とはーー鈴木友也【UNSTOPPABLES】 #12

2025年5月29日

|

Article

何でもかんでも感情を口に出すタイプじゃないからこそ、自分の中にある思いや決意は絶対に曲げないです。自分で決めたこと、大切にしようと思ったこと、人に対しても、絶対守る。自分に関わってくれる人は、絶対に裏切りません」


ピッチ上で誰よりも声を上げ、体を張って戦う姿とは想像もつかないほど、普段の彼は多くを語らない。それでも胸の内には、かつて味わった苦悩やチームを背負う責任感がある。感情を簡単に言葉にしないからこそ、そのひと言ひと言には、プレースタイルだけでは語れない、揺るぎない信念と優しさが込められていた。


【UNSTOPPABLES~止められない奴ら~】

昨シーズン、関東2部への昇格を決めたSHIBUYA CITY FC。その栄光の背後には、勝利以上のものが隠されていた。選手たちの揺るぎない自信と勢いは、彼らの人生に深く刻まれた歩みから来ている。勝利への執念、それを支える信条。止まることを知らない、彼らの真の姿が、今明らかになる。


第12回は、守備の要としてチームを支える鈴木友也。なぜ、あれほどまで声を上げ、姿で魅せるのか。そして、在籍3年目を迎えた今、彼の原動力になっているものとはーー。


鈴木 友也(すずき ともや)/ DF

1998年8月8日生まれ。千葉県佐倉市出身。幼少期は中志津SCからvivaio船橋で過ごし、関東第一高校へ進学。高校3年時では副キャプテンとして活躍し、総体予選ではキャプテンマークを巻いた。関東学院大学時代も副キャプテンとしてリーダーシップを発揮。2023シーズンより、SHIBUYA CITY FCに加入。持ち味であるカバーリングと対人の強さ、的確なコーチングで味方を鼓舞し、チームに秩序をもたらす。


信頼の上にある、騒がしい日常


普段は寡黙で落ち着きのある鈴木だが、そんな彼が心を許す存在のひとりに山出旭がいる。関東学院大学時代からの付き合いで、かれこれ9年目の仲だ。チーム内では真逆とも言える騒がしく明るい山出との相性は、なぜかしっくりくる。


性格とか遊び方、サッカーの感覚が似ているから空気感が合います。俺が多くを話さなくても伝わるし、別に嫌なことをされるわけでもない。楽しいことは一緒に楽しんで、厳しいことはちゃんと求め合える関係です。よく一緒にサウナやご飯に行くことが多いですね」


大学時代から同じディフェンスラインでプレーをし、何かと行動を共にしてきた鈴木と山出。今ではすっかり信頼し合うふたりだが、山出に対する当時の印象は決して良いものではなかったと、正直に振り返る。


「あいつは1年生の時から試合に出てて、Jクラブの練習参加にも行ってたんです。 だから、天狗って言ったら言いすぎかもしれないけど、本当に自信満々で。よくみんなに怒鳴り散らしていたから、『なんでそんなこと言えんの? 』って思ってましたよ。先輩にもめっちゃ噛みついてましたし、マジで自分に自信しかなかったと思います。今はだいぶ丸くなったけど、あの時はみんなに嫌われていましたよ。これは本当です(笑)


だから俺も2年生になる時ぐらいまでは普通に嫌いだったし『うるせえな』ってずっと思ってた。同じポジションだったし、周りに対しての声のかけ方とか要求の仕方は好きではなかったです。相性悪いなと思ってましたし、今みたいに仲が良かったわけではないです」


そんな険悪な関係が変わったのは、鈴木が3年になり、試合に出るようになってからのことだった。


「俺はいろんな人と仲良くしていたので、旭ともプライベートでご飯にはよく一緒に行っていました。休みの日には鎌倉や逗子が近かったので、原付きとか自転車で一緒に行って、海辺で喋ったりしてましたね」


だんだんと一緒に過ごす時間が増え、関係を深めていった。そんななかで、山出のこんな面白エピソードも教えてくれた。


「あいつ、大学に入学してすぐ地元の彼女ができたんですよ。それで俺らに『俺マジこの子と絶対結婚するから』って言ってきて、自分で彼女との歌詞動画まで作って、めっちゃ自慢してきたんです。でも結局、その彼女が浮気してたらしくて、フラれてめっちゃ傷ついてました(笑)」


茶化しながらも、その語り口からは長年の仲の良さがひしひしと伝わってくる。大学4年間をともに過ごし、別々の道を歩んだのち、渋谷で再会したふたり。その頃の山出についてこう語る。


「めっちゃ飲むの大好きキャラになってて、俺の知ってる旭とはちょっと違う一面が増えたなって思いました。手のかかる、めんどくさいやつだなって。昔は健気だったんですけどね。今は違います。超メンヘラ(笑)。自分のプレーで『あれでよかったよね?』『あれはこうだったかな?』っていちいち確認してきたり、すごい周りの目を気にしてるんです。そのくせしてすごい強気でプレーするけど、気持ちが落ちるときは一気に落ちる。でも、基本は優しくて嫌なこともしてこないし、情にも熱い。根はいいやつだと思ってますよ」


加えて、渋谷のスポンサーである株式会社オーチューで、ふたりは同じ職場でも顔を合わせている。チーム外でも山出のキャラクターは健在だという。


「旭はとにかく仕事がゆっくりで遅いんです。タスクが溜まってくると『なんか俺だけ仕事多くない?俺の分もやってよ』って助けを求めてくるけど、シンプルにお前は仕事が遅いだけだよって言ってやりたいです。やればできるのに、グダグダ文句を言うからどんどん仕事が溜まっていくんです。職場でも相変わらずうるさいですよ」



そんな山出と頻繁に絡む姿が目立つ一方で、チームのエースである、トキくんこと政森宗治とも関係が深い。チーム内で「政森軍団」と呼ばれるグループの筆頭として知られ、周囲から一目置かれる存在だ。鈴木自身も、政森の人柄や振る舞いに強く惹かれているようで、彼のことをこう表現する。


「本当に”殿”ですね。俺が今まで関わってきた人たちとは感覚がマジで違います。フォワードらしい、自分だけの独特な感覚を持ってて、王様って感じ。でも俺らにも良い影響を与えてくれますし、あんな派手な見た目だけど、なんだかんだサッカーがめっちゃ好きで引っ張ってくれる。 俺らのこともちゃんと信頼してくれているはずです。


『お前らが守って、俺にボール預ければいいから』って言ってくるんですよ。試合中、マスさん(増嶋 竜也監督)の指示を聞くか、トキくんの指示を聞くかで、めっちゃ迷うときがあります。トキくんの指示で相手にボールを取られたら、結局俺が怒られるんですよ。でもそれを言うと、『もしそれで成功して俺が点取ったら、お前の良いプレーじゃん。ミスしたらお前が怒られればいいだけじゃん』って。いやいや、そんな無責任なこと言うなよって思いますけどね(笑)でも、上手い塩梅でやってますよ」



言いたい放題の殿に振り回されながらも、プライベートでもその関係は信頼と尊敬の上に成り立っている。


「普段は軍団の活動が多いから大変なんですよね。トキくんに提案したり、トキくんから来た提案をいかにいい案にしてプレゼンするか、それがハードです(笑) 『このサウナ、めっちゃ良さそうだよ』って言ったら、行くまでのレンタカーの手配とか、道中のカフェやご飯屋さんを全部調べて提案するんです。それで『めっちゃいいじゃん、行こうぜ』ってなって決まる感じです」


殿が喜ぶように、周りが自然と動く。その一方で、殿もマメな一面も見せてくれるという。


「トキくんも甘いものが好きだから、自分で美味しそうなご飯屋さんとかカフェとか調べてくれます。俺みたいな生意気なやつをいろんなところに連れてってくれるんです。だから俺らもちゃんと感謝してるし、誕生日は盛大に祝ったりしてます。本当に良い関係を築けていると思いますね」


クセ者揃いのチームの中で、個性をぶつけ合いながらも、信頼を軸に結びついている関係性。それがチームに対しても温かな空気をもたらしていた。



どん底の2年間


社会人1年目、鈴木は当時JFL所属のソニー仙台FCに加入した。なかなかJクラブから声がかからず、進路に悩んでいた中で、自分を必要としてくれたクラブに魅力を感じ、加入を決めたという。


だが、そこでの2年間は、彼のサッカー人生の中において最も苦しかった時期である。「初めてサッカーを辞めようと思った」ーーそう振り返るほどのどん底だった。


「チームの理念が、他のチームとは訳が違ったんです。個人昇格を目指す選手はいたけど、チーム自体は企業クラブとしての立場を貫いていたから、仮にリーグで1位になっても、Jリーグには上がらない方針でした。ソニーという大企業の看板を背負っていたので、サッカーをする上でも、どう見られるかをすごく大事にしてて。今までのサッカーチームとは全く違いました」


チームの方針だけではなく、当時の監督との関係性も鈴木にとっては難しいものだった。


「自分が普通にプレーしてるつもりでも、めっちゃ声出してても、『ナイスプレーだから、わざわざ言わなくてもいいよ』って言われたり。いいプレーができて楽しくなってきたら自然と笑顔が増えるじゃないですか。それでも『笑ってんじゃねえよ』って結構厳しめに言われてました。練習を外されたこともあるし、走りの目標タイムをめっちゃ早められたこともありました」


プレーをすること自体に喜びを感じられなくなっていく日々。自分らしく振る舞うことが許されないような空気の中で、じわじわとストレスを溜めていった。


「先輩も大学のときだったら3つ上とかだったけど、俺が22歳でソニーに入ったときは、一番上がもう32歳とかでしたからね。そんなに年が離れた人たちとサッカーをするのは初めてだったし、経験も性格も全然違う。しかも、みんなソニーで働きながらサッカーをしていたけど、俺は初めて社会人としてサッカーをやっていたから、そのギャップに慣れなくて。初めての地方暮らしだったし、同期は4人いたけど、今までの友達とは違って特別仲が良いわけでもなくて。全然友達ができなかったです。本当に精神的にしんどかったし、 つまらなすぎてもう辞めようかなって思ってました」



そんな鬱憤が溜まる生活から迎えた2年目。監督が交代し、心機一転「あともう一年だけ」と決めた。けれど、その変化が必ずしも鈴木を救ったわけではなかった。


「2年目の監督は、前の監督ほど理不尽なことは言ってきませんでした。でも、1年目は堅守速攻のスタイルだったのに対して、2年目はとにかくポゼッションにこだわるサッカーに変わったんです。 今までずっと走っていたのに、オフシーズンも含めて一回も走るメニューがないくらい。


だから、もともといた選手たちも苦戦してたし、逆に新しく入ってきた選手は、監督が求めていた選手だったから、自分が試合に出るまではかなり時間がかかりました。信頼されてからは何試合かスタメンで使ってもらえたけど、なかなか結果が出なかった。やってて楽しくないなって、どんどん冷めていきました」


ギリギリの精神状態。好きで続けてきたはずのサッカーが、ただ苦しいものになりかけていた。だが、そんな停滞した日々のなかにも、少しずつ変化は訪れ始めていた。


「でも先輩の中に、自分と同じようなプレースタイルで、1年目はめっちゃ試合に出ていたのに、2年目になって全く試合に出れなくなった選手がいたんです。俺からしたら、あれだけ使われていた選手が急に試合に出られなくなることって、相当なことだと思った。それでも練習からめっちゃ声を出して、球際も強くいって、姿勢を見せ続けてた。プライベートでは俺のこともご飯に誘ってくれたりしたこともあります。


正直最初はめっちゃ嫌いだったんですよ。でも2年目になって仲良くなれて、『意外とフレンドリーじゃん』って思うようになって。そうやってコミュニケーションを取れるようになってきたら、自然と自分のプレーも良くなっていって、『やっぱりサッカーって楽しいな』って思えるようになったんです」



そんなタイミングで出会ったのが、とある自己啓発本。読書が趣味だと語る鈴木を救ったのは、『頑張るのをやめると、豊かさはやってくる(アラン・コーエン(著),本田 健 (翻訳))』 という本だった。


「しんどくなって寮の部屋に引きこもっていたとき、いろいろ調べてたらたまたま見つけて。もしかしたら、何かいい影響を与えてくれるかもしれないと思って読んでみたら、気持ちが軽くなりました」


新しい環境になり、やはり試合に出たい想いは強かった。だが、他の選手の方が信頼度が高いという現実。その差を埋めようと必死に頑張った1年目は、どんな言葉をかけられても「自分が悪い、もっとやらなければ」と受け止め、余計に空回りする日々だった。


「でもこの本には、無理に頑張らなくても、十分自分にはできる力がある。情熱を持って行動していれば、いつか報われるって書いてあったんです」


一冊の本が、少しずつ彼を変えてくれた。それでも、あの苦い記憶はどうしても忘れられない。


「2年目のシーズンが始まる前の2月、3月には、もう辞めようって決めてたんです。プレーが楽しくなってきたとはいえ、俺はやっぱり上を目指したかった。どうしても企業チームとしての在り方が自分には合わなかったので」


周囲とは少しずつ近づいていった。だが、学生時代まで泥臭く、熱くプレーをしてきた鈴木には、やはりその環境とスタイルはどこか嚙み合わなかった。だからこそ今、渋谷という場所がより一層心地よく感じるのだろう。そう、彼の話を聞きながら確信した。



let it rollーー内にある秘めた想い


鈴木といえば、普段は静かで落ち着いた姿が印象的だ。打ち解けた相手には笑顔を見せるが、そうでない相手には口数も多くなく、心を開くのに少し時間がかかるタイプだろう。かく言う筆者も話が得意なわけではないので、そんな彼との取材の前夜はほんの少し緊張していた。


「ピッチ外ではマジで喋らないです。実家にいたときも本当に何も話さないので、ずっとテレビ見てるか携帯いじってるか。話かけられても一言返事くらい。意識的にそうしてるわけじゃなくて、完全にスイッチが切れちゃうんです」


そんな姿は渋谷でも変わらない。冒頭で触れた政森軍団のメンバーをはじめ、土田直輝や小沼樹輝など、決まって話す顔ぶれはある程度限られている印象だ。そして当の本人もそれを自覚している。


「第一印象は怖いって言われがちだし、自分でもあんまり笑わないタイプだと思います。でも面白いなって思った時は、ちゃんと心の中では思ってますよ。周りから話しかけてもらった方が、自分的にも接しやすいんですけど……。今でも若手の選手からはあまり来られないです。


ミヤ(宮坂 拓海)とは同じディフェンダーなのでよく一緒に練習しますけど、あいつはまだ何か隠している感じがする(笑)。(青木)友佑は、多分悪いやつなので、俺と同じ匂いがします。話せばきっと合うと思うんですけど、自分からいきなり話しかけたら向こうがびっくりしそうなので、それはちょっと申し訳ないなって。適度な距離感がある方がお互いストレスもないので、来たいときに来てもらえれば十分です。こう見えて面倒見はいいので、『いいやつだな、可愛いな』って思ったら時間をかけてちゃんと接しますよ」


そう語る鈴木だが、ひとたびピッチに立てばその姿は激変する。試合終盤まで誰よりも声を張り上げ、仲間の好プレーには全力で称賛を送り、ミスには容赦なく指摘を飛ばす。どうやらそのスタイルは、幼い頃から変わっていないようだ。



「小学生の頃から、周りにめっちゃ怒鳴り散らしていました。だからあまり好かれていなかったと思います。他のみんなは、楽しくサッカーしようっていう雰囲気だったので、自分でも浮いてるなって何となく察していました。


でも別にいじめたいわけじゃなくて、必要だと思ったから言ってただけなんです。自分なりの表現方法が声を出すことだけだったし、逆にそれ以外で伝える方法なんてないと思ってました。誰かに、声を出せって言われたわけでもなくて、始めた時からずっとこうだっただけです」 


関東リーグ第2節・東京国際大学FC戦では、相手の攻撃に対する寄せや守備の強度がわずかに甘かった後輩の志村滉に対し、鈴木が厳しく檄を飛ばす場面も見られた。


「あれぐらい、俺的にはどうってことないです。全然優しめに言った方ですよ。守備の感覚や対人の距離感って、人それぞれだから自分の価値観だけを全部押し付けることはできないけど、ダメなことはダメって言って要求しなきゃいけない。実際にああいう場面でやられてたら、相手にいけるって思わせちゃうから」


その厳しさの裏には、ソニー仙台時代に培われた経験がある。


「俺はもっと厳しくされてきたので、あれぐらい普通じゃない?って感じです。本当に、想像を絶するような厳しさでしたからね。マジで戦闘集団みたいなチームで、甘さや一瞬の隙も許されない。プレーが切れた後のラインの上げ下げも含めて、絶対に歩かずジョグするのが当たり前。でもその2年間のおかげで球際の強さだったり、高い強度も出せるようになった。それが自分の基準になってるから、つい周りにも言いたくなっちゃうんですよね」


高校、大学では副キャプテンを務めた鈴木。声で、姿で、チームを引っ張ることにはやはり本人も自信があるようだ。


「その経験もあるので、どういう振る舞いをしなきゃいけないとか、見られ方っていうのは分かっています。 別に役職とかに就かなくても、自分で自分を追い込めるし、チームを引っ張ることもできる。仮にキャプテンを任されたとしても、そのスタイルは変わらないです」



そう頼もしい発言をした鈴木は、さらに自らの役割をこう評する。


「自分が一番目立つというよりは、黒子じゃないですけど、縁の下の力持ちのような存在でありたい。守備の一つひとつのプレーや、声でチームを救える選手になりたいんです。『よく見たらあいつ結構いいじゃん』ぐらいでいいんです」


たしかに鈴木のプレースタイルは、華やかさや派手さとは少し距離がある。それを本人もよく理解している。


「ツッチー(土田)や(植松)亮、トキくんみたいに、特別な技術や一発を持ってるわけでもない。でもその分、他の上手い選手がボールを触ってくれている間、自分は一番後ろで声を出して、ちゃんと守備をする。自分のやるべき仕事は絶対にそこだと思ってるし、それをいかに徹底してやり続けられるかが、最終的にチームの勝利に関わってくると思います」


だからこそ、実際に行動でもその覚悟を体現し続けている。


「ディフェンダーとして、やっぱりリーグで一番失点の少ないチームにしたい。でも相手のレベルが上がれば、都リーグの頃みたいに一人では守れなくなる。なので今まで以上に、守備の準備や攻撃時の仲間のポジショニングなども含めて意識して、常に声をかけるようになりました」


だが、そんな中で鈴木自身もだんだんと、壁のようなものを感じてくるようになってきたという。


「今年は特に、サッカー前の準備にめっちゃこだわるようになりました。もともと怪我はそんなにしないタイプだったけど、年齢も上がってきて、きついなって思うことが増えてきて。今まではどんなに疲れてても体が動いたし、無理もきかせてたんですけど、最近は自分の中で老いを感じるようになりました。


『まだ27歳でしょ』って周りからは言われるけど、確実に疲れの取れづらさを感じていて。だから今は、1時間前にはグラウンドに来て、トレーナーさんに身体をほぐしてもらって、そのあとチューブを使って必要な部位に刺激を入れる。練習が終わったら、必ずケアを受けてから帰るようにしています。


もちろん、もっと徹底している人もいると思いますけど、自分の中では大きな変化なんです。限られた時間の中でも工夫して、トレーナーさんに協力してもらいながら、いかに怪我をしないで長くプレーできるか、すごくこだわるようになりました」


だが、自身がどれだけ準備にこだわったとしても、それだけでピッチに立てるわけではない。サッカーは常に、結果と競争の世界だ。


「やっぱり厳しい世界だから、どんどんメンバーが入れ替わるし、今年は特に上のカテゴリーから経験のある上手い選手が何人も加入しました。だから1年目のときと比べて、自分が絶対に出られるっていう環境ではもうなくなっている。一回一回の練習のレベルも質も上がってるから、まずはそこできちんとやらないとチャンスをもらえない。その分、自分の立場もどんどん厳しくなってきているなと感じています」 


厳しい現実と向き合いながらも、鈴木は自分のことを「前向きなタイプだ」と語る。実際、誰にも止められないような瞬間が、彼の中にはある。


「でもサッカーの時は、めちゃくちゃ苦しい練習をしているときの方が大好きなんです。きついことをやらないと、絶対に強くなれないから。自分は強くなれるって、心から信じてやっています。 そういう瞬間は、マジで最高に気持ちがいいです」



寡黙な印象とは裏腹に、胸の内には燃えるような熱さがある。その象徴が、鈴木が大切にしている言葉である、「let it roll」ーー”やってやろうぜ”という意味らしいが、その言葉にはかなりの思い入れがある。


「これはサッカー漫画の『アオアシ』に出てくる、大友っていうキャラクターが言ってた言葉で。他の漫画でも”やってやろうぜ”みたいなセリフはあるんですけど、久々にアオアシでその場面を見たら、めっちゃ食らっちゃって」


なぜその言葉がそこまで刺さったのか。そう尋ねる間もなく、彼は続けた。


「大友って、試合前はめっちゃビクビクしててネガティブなんですよ。でも、いざ笛が鳴ったら一切緊張しないで堂々とプレーする性格で。先輩に向かって『やってやろうぜ! 』って言ってたシーンがあって、それがめっちゃかっこよかったんです。


なんか、自分と似てたんですよね。俺も試合前はめっちゃネガティブなんです。『今日も何かやらかしちゃいそう』とか『試合やりたくないな』、『相手のフォワードめっちゃゴツいし、こんなの絶対無理じゃん』って弱音吐いてばかりのときもあります。でも、試合が始まると何も気にならなくなる。無意識に自然とそうなってるんです」


ピッチで見せる強気な姿勢とは想像もつかないが、鈴木にはそんな一面もあるのかと驚かされた。そして話の最後にはやはり、あの存在が登場した。


「ちょうどそのシーン、旭も見てたらしくて同じことを言ってきたんですよ。『めっちゃかっこよくね?』って」


ーー共感し合ったということですか?そう尋ねると、少し照れくさそうに笑って、


「これはカットで。あいつまた余計に反応するので(笑)」と言いながらも、こうして話してしまうあたり、なんだかんだ山出は鈴木にとって大切な存在なのだろう。


……ということで、載せておくことにする。



愛こそが人生の原動力


自分は熱いものを秘めていると語ってくれた鈴木だが、実はこんな一面もあるのだと教えてくれた。それはある意味では予想通り。けれど、話を聞くほどにそれは想像を超えてくるものだった。


「こう見えて、チーム愛はめちゃくちゃ強いんです。だからこそ、チームで決めたルールをちゃんと守らないやつがいると、すごくイラっとするタイプで。そんなに文句を言ってる暇があったら、普通に守ってやればいいじゃん。何で守らないの?って思っちゃうんですよね。規律を守らない人がいるとめっちゃストレス抱えます。


先輩に厳しくされてきたからこそ、それをちゃんとできない人に対しては、『やって当たり前のことをやれないならチーム辞めれば?』って思っちゃうくらい、正直腹が立ちます。 どんなに仲が良くても、ルールを守れない人には結構冷めますね。……これって律義ってことなんですかね?」


事実として、とりわけ仲のいい山出に対しても、そのスタンスは崩さなかった。


「旭が『なんでサンダルダメなの?』って言ってきたときも、ちゃんと説明しました。『チームみんなで話し合って決めたルールだから。それでもサンダル履きたいなら、ちゃんとした靴で来て、グラウンドで履き替えればいいじゃん』って言いましたよ」


厳しさの裏にあるチーム愛。甘やかすことだけが優しさではない。言い合える関係の方が、きっと強いチームになる。そう信じている鈴木の想いの根底には、強い原動力があった。


「選手より、スタッフの方がチームのことを好きなんじゃないかって思うんです。チームにかける時間や、現場の俺たちに対する労力、それが今までいたどのチームよりも強く伝わってくる。だからこそ、その想いにはどうしても応えたいんです」


その分、チームのために動けない選手がひとりでもいると、どうしても許せない。


「俺はあれこれ口に出すタイプではないけど、 内にはいろんな想いを秘めています。だからスタッフたちのチームに対する愛には、絶対に結果で返したいと思ってます」


なかなか裏側まで見ないと実際には気づきにくいことでは?そう問うと、はっきり首を振った。 


「いや、気付きますよ。 だって、こんなに選手のために環境を整えてくれて、スポンサー営業もどんどん外に広げて、クリエイティブにもこだわってる。こんなにどんどん充実していくことなんて、普通はありえないから。選手が欲しいものをちゃんと聞いてくれて、しかもそれをスピード感を持って揃えて、準備してくれることって基本ないですよ」


そう強く、温かい想いを語ってくれた鈴木。さらに彼は、自身の根底にある決意をこう表現した。


「何でもかんでも感情を口に出すタイプじゃないからこそ、自分の中にある思いや決意は絶対に曲げないです。


もうひとつ、『士道』って言葉が好きなんですけど、まさにその通りで。自分で決めたこと、大切にしようと思ったこと、人に対しても、絶対守る。誰かのためにやることって、めっちゃ自分の力になるし、そういう生き方が自分は好きなんです。 自分に関わってくれる人は、絶対に裏切りません」



そして、その愛は決してチームや仲間だけに向けられたものではない。


「もしも自分に奥さんと子どもができたら、贅沢をさせてあげたい。行きたいところには絶対に行かせてあげたいし、やりたいと思ったことも全部やらせてあげたい。生活に困らせるようなことは絶対にしたくないんです。そういう人たちが何不自由なく暮らせることが、自分にとっての頂点かもしれないです」 


身内の中でも特に強く想いを寄せるのは、未来の妻と子ども。その理由には、彼なりの背景があった。


「うちの実家は、別に裕福でもなければ、すごく貧乏だったわけでもない。 基本的に、やりたいことはやらせてもらっていました。必要なものもちゃんとあったし、困ったこともない。食べるものがないとか、ご飯が少ないとか、そんな思いをしたこともなかった。食べたいものは絶対に作ってくれました。小学校の時も水泳や習字、英会話、塾、陸上とか、いろんなことを経験させてもらいました。小5の時にはハードルで市の大会で1位になったこともあるんです。


どうやってそういう環境を用意してくれたのかはわからないですけど、それってお父さんとかが、一生懸命働いてくれたからなんだと思います。今でも食材を送ってくれたり、『1点取ったら1万円やるよ』なんて言ってくれたり、たまにそういうことをしてくれるんです」


そんな温かい家庭に支えられたからこそ、今度は自分がそのバトンを受け取り、次の誰かに渡していく番だと意気込んでいる。


「自分がかっこいいなって思う男性像って、自分の一番大切な人を幸せにできる人だと思うんです。だから、自分もかっこいいお父さんになりたい。奥さんに『これやれよ』みたいな昭和っぽい考え方は全くないし、家事全般は18歳から一人暮らしをしてきたので料理や掃除、洗濯も得意だから全然やるつもりです。だから別に奥さんと子どもには甘やかしてもいいと思っています。厳しいことは、自分で経験すればいい。何事も、それを乗り越えていくのが経験だと思うから」


さらに、こんな未来の話までしてくれた。


「(本田)憲弥も言ってたけど、俺は本当にいつ死んでもいいと思っています。自分がやり残したことや、してみたいことって、結婚して家庭を持つこと以外、ほぼ自分でできることなので。1人で旅行に行ってみたりもしたし、あと残っていることって、結婚して自分の家庭を持つこと以外、もう何もないじゃんと思って。そしたら別に、もういつ死んでもいいなと思ったから。


だからこそ、何不自由なく生活できる家庭が欲しい。自分の行きたいところに行って、やりたいことをやる人生にしたいんです。安定した職業に就きたいとか、まったく思わないし、自分、社会不適合者なので(笑)。


いろんな仕事を経験してきた中で、自分の性格や価値観がだんだん変わってきたんです。安定とか肩書きより、本当に自分がやりたいことを、やりたい人と一緒に、そのときにやれることの方が、自分の人生が絶対に豊かになるんです。自分の人生は自分で絶対作るものだし、そういう人生を送りたいと思っています」


ただ自分の人生を謳歌するだけではなく、周りにもまっすぐ向き合えるのは、心の奥にある信念があるからだ。


「自分はそんなに喋るタイプではないけど、自分が大切にしたいと思っているものには誰よりも愛が深いから」



人生で関わる大切な存在ーー仲間、スタッフ、サポーター。そして、未来に現れるであろう家族。そんな人たちに、最大限の感謝と覚悟を捧げて生きていく。時に厳しい言葉をぶつけるのも、献身に徹するのも、その裏返し。


その姿に宿るのは、尽きることのない、深く熱い愛だ。


取材・文 :西元 舞 

写真   :福冨 倖希

企画・構成:斎藤 兼、畑間 直英


UNSTOPPABLES バックナンバー

#1 渋谷を背負う責任と喜び。「土田のおかげでJリーグに上がれた」と言われるためにーー土田直輝

#2 頂点を目指す、不屈の覚悟。全ては世界一の男になるための手段ーー水野智大

#3 冷静さの奥に潜む、確かな自信。「自分がやってきたことを発揮するだけ、『去年と変わった』と思わせるために」ーー木村壮宏

#4 這い上がる本能と泥臭さ。サムライブルーに狙いを定める渋谷の捕食者ーー伊藤雄教

#5 問いかける人生、答え続ける生き様。「波乱万丈な方へ向かっていく。それがむしろ面白い」ーー坪川潤之

#6 サッカーが導く人生と結ぶ絆。ボールがくれた縁を、これからも。ーー岩沼俊介

#7 楽しむことを強さに変えて。夢も、欲も、まっすぐに。ーー小沼樹輝

#8 誰かのために、笑顔のために。誇りと優しさが生む頂点とはーー渡邉尚樹

#9 九州で生まれた男の背骨。「やっぱり男は背中で語る」ーー本田憲弥

#10 選手として、父として。見られる過去より、魅せたい現在地ーー渡邉千真

#11 余裕を求めて、動き続ける。模索の先にある理想へーー宮坂拓海


SHIBUYA CITY FC

渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ。「PLAYNEW & SCRAMBLE」を理念に掲げ、渋谷の多様性を活かした新しく遊び心のあるピッチ内外の活動で、これまでにないクリエイティブなサッカークラブ創りを標榜している。

渋谷駅周辺6会場をジャックした都市型サッカーフェス「FOOTBALL JAM」や官民共同の地域貢献オープンイノベーションプロジェクト「渋谷をつなげる30人」の主宰、千駄ヶ谷コミュニティセンターの指定管理事業など、渋谷区での地域事業活動も多く実施している。


お問い合わせ

担当:畑間

問い合わせはこちら



bottom of page