
楽しいだけじゃダメな のか?渋谷イチの苦労人が語る「俺は苦しみに慣れちゃってる可能性がある」ーー高島康四郎【UNSTOPPABLES】#14
2025年6月12日
|
Article
「試合に出れない苦しみ。それがもう圧倒的に長いサッカー人生だから、耐性がついちゃってるのかもしれない」
チームのムードメーカーで、声がとにかく大きいゴールキーパー、高島康四郎。同じポジションである、しっかり者の積田や冷静沈着な木村とは対照的な性格で、どこにいても一発でわかる存在感だ。だが、そんな明朗快活なキャラクターの裏には、チーム随一と言っていいほどの苦労人の顔がある。
【UNSTOPPABLES~止められない奴ら~】
昨シーズン、関東2部への昇格を決めたSHIBUYA CITY FC。その栄光の背後には、ただの勝利以上のものが隠されていた。選手たちの揺るぎない自信と勢いは、彼らの人生に深く刻まれた歩みから来ている。勝利への執念、それを支える信条。止まることを知らない、彼らの真の姿が、今明らかになる。
第14回目は、大学卒業からわずか4年で4チームを渡り歩き、ようやくたどり着いた渋谷で、人生で初めての契約延長を掴んだ高島康四郎。なぜ、出場機会に恵まれずともサッカーを続けてこれたのか。人懐っこい人柄の裏にある、苦労と本音に迫る。
高島 康四郎(たかしま・こうしろう)/ GK
京都府京都市出身。1998年8月20日生まれ。192cm、90kg。仙台市の館キッカーズSSSでサッカーを始め、中学は石川県の松陽中学校サッカー部へ。その後は東山高校を経て、専修大学に進学。卒業後はヴァンラーレ八戸に加入し、退団後は当時JFL所属のFC神楽しまねに加入。翌年ブリオベッカ浦安に移籍し、昨シーズンからSHIBUYA CITY FCに加入。恵まれた体駆とここぞとばかりのシュートストップで、チームの勝負どころを救う守護神。
短すぎるキーパー歴
「俺、キーパーを始めて5年目なんです」
そう語る彼の言葉に、筆者の頭の上にはすぐにクエスチョンマークが浮んだ。思わず「はい?」と聞き返してしまった。なぜならば、彼がキーパーとしてサッカーを始めたのは小学5年生。単純計算で今年で17年目になるはずだ。どう考えても5年目は浅すぎる。だが、それが冗談でも誇張でもないことが次の話で証明された。
「大学4年のときまで、本当の意味で”キーパー”というものを知らなかった」
もちろん、サッカーを始めたときからキーパーというポジションは知っていた。高身長だったこともあり、小学生の頃から自然とその役割を任されてきたのだから。中学でも、ただただ楽しく、がむしゃらにボールを追いかけていた普通のサッカー少年。
高校でも特にこれといった実績を残したわけではない。むしろ、ピッチに立てない時間の方が長く、スタンドにいる応援団長としてチームを盛り上げていた。印象に残っていることで強いて挙げるならば、ロアッソ熊本のチャント「カモンロッソ」をサッカー部の応援歌として定着させたことぐらいだろうか。しかもそれは、バスケットボール部やバレー部といった他の強豪部活にも波及していったらしい。
少し話が逸れたのでもとに戻すがーー昔の彼にとってのキーパーとは、単なるポジションという認識。だが、そんな彼に少し遅めの転機が訪れる。
「大学4年のときが一番の青春だったんだよね。当時の映像を見たんだけど、俺の動き、本当にカスで。でもあの機会があったからこそ、今の自分がいる。そう言い切れるくらい変えてもらった」
そう語った彼が出会ったのは、とあるキーパーコーチ。現在では、彼の個人トレーニングを受けようものならば、社会人となった今の高島でも到底払えないほどの金額を提示されるというほどの、一流の指導者だ。とあるJ1の選手は、1日数十万円を払ってトレーニングを受けたという。そんなトップ中のトップの指導を、高島は大学4年の約2カ月間、ほぼマンツーマンで受けた。
それまで、彼らには専属のキーパーコーチがいなかった。そのため練習メニューはいつも手探り状態。YouTubeを漁って、マヌエル・ノイアー(バイエルン・ミュンヘン)のトレーニングを真似してみたこともあった。
「ずっとキーパーコーチがいない人生だったから、どうやればいいのか本当に分かんなくて。まあ、キーパーってピョンピョン跳ねて、サーカスみたいなトレーニングしがちなんだけど(笑)」
そんな彼に、コーチはこんなふうに言った。
「ノイアーがやってる練習はノイアーに必要なこと。大学4年生の、試合にも出ていないしょぼい高島康四郎がやるべきトレーニングではない。自分に必要なものが何なのか、もっと見極めろ」
そう言われたあとの景色は、一変した。個人の課題に合わせて必要な練習メニューは細かく組まれ、「今週はこういう理由で、こういうことをやる」と、週ごとに明確なテーマが提示された。

また、それに伴い練習時間も自然と増えていった。
「その1年間はAチームにいたんだけど、平日は朝6時半からBとCチームが先に練習を始めるんだよね。7時くらいからAチームが全面を使うから。でも、俺たちキーパーの11人だけは6時スタート。最初の30分はBとCに混ざってトレーニングして、そこからAチームに合流するっていう流れだった」
平日だけで1日3時間におよぶ練習。さらに夏場を除く土日も、午前中はみっちりグラウンドで汗を流した。
「俺が身につけるのに時間がかかるタイプだっていうことを、そのコーチは分かってくれてて。午前中の練習が終わってからも、『夜にキーパースクールをやるか?』って声をかけてくれたり。もうずっと練習してた」
ハードな練習だったため、もちろん身体はしんどかった。だが、それ以上にパフォーマンスは目に見えて変わっていった。
「俺ってそんなにスピードとかキレがあるタイプじゃないんだけど、スクールで子どもたちの前でお手本を見せるとき、セービングひとつにしても『形が綺麗ですね』って言ってもらえたりして。そういう基礎がちゃんと身についたのは、あの一年間があったからだと思う」

そして技術以上に大きかったのは、考え方や価値観の劇的な変化だった。
「キーパーが全員で11人いて、4年生になって俺がようやくリーグ戦に出られるようになったときにこう言われた。『お前はその11人の代表だよ』って」
それだけではない。コーチの言葉はさらに心に深く突き刺さった。
「プロって、いつからがプロなのか。お金をもらったら?Jクラブに内定したら?いや、そうじゃないだろ。お前がプロを目指すなら、今からそれ相応の振る舞いをしなきゃいけない。
だからもしこれから自分が試合に出たら、今までお世話になった人に対して、”ちゃんと試合に出れました。次も頑張っていきます”というお礼のメッセージを必ず送れ。そういうことをちゃんと大事にしろよ」
プレー外の姿勢までみっちり教え込まれた。その教えは卒業後も水の泡になることはなく、やがて形となって返ってきた。
現在、高島は個人でキーパーグローブブランド「uhlsport」からサポートを受けている。
「いろんな要素が絡み合って支給させてもらってるけど、客観的に見て関東2部で試合にも出てないゴールキーパーに、グローブを年間何本も送る企業って普通ないよ。Jリーガーですら、マイナーなブランドとしか契約できないことだってあるくらいなのに。だからこうやって今サポートしてもらえているのは、あのコーチが指導してくれたからだし、何より人としての振る舞いを大事にしてるからこそかもしれない」
恵まれた支援に感謝するのも、彼にとっては当然のこと。すべてはあの一年で培われたからだ。
「それまでは自分ができていないことにも気づいてなかったし、教えてくれる人もいなかった。高校は強豪だったけど、キーパーコーチはいなかったし。でも多分他の選手たちは、いいキーパーコーチに出会って、何かしらのエッセンスをつけ込まれて、何がいいプレーなのかを分かってきたと思う。でも俺は全く分かってなかった。だからようやく大学4年からゴールキーパーを始めたってことなんだよね」
そういうことだったのか。最初の「5年目」という言葉の意味が、ようやく腑に落ちた。
「ここ5年間ぐらい本当にとんでもない人生を送ってるから。だから他のみんなの記事とか見てて、人生の話の重心が中学~大学にあるんだよね。でも俺は大学卒業からだから。輝いてた時なんて全然ないし、みんなの経歴とか聞くとすげえなって思う。そんな人たちと今一緒にサッカーできてるから嬉しいよ」
そうやって自然に周りの仲間を称えられるところも、彼のひとつの魅力だ。そんなことを思いながら、彼の大学卒業後の人生ーーその波乱万丈のストーリーにこれから迫っていく。
みんなから愛される、しろうコーチ
「本当にサッカーをやった記憶がない」
そう振り返るのは、大学卒業後にJ3・ヴァンラーレ八戸へ加入したときのこと。選手でありながら、クラブのアカデミーでスクールコーチも兼任していた高島。そのスケジュールは、想像以上にハードだった。
午前中は自身が所属するトップチームの練習。それを終えると急いで帰宅し、昼食を取る。13時半にはアカデミーの事務所へ集合し、そこから幼稚園と保育園を回って、子どもたちにサッカーを教える。
「一番きつかった日なんて、幼稚園を2つ回って、その子たちの送迎。そのあとジュニアユースの練習を見て、帰りは何人かの子を決められたスポットに送り届けて、事務所に戻れるのが21時半。それから夜ご飯を食べて、次の日はまた自分のチームの練習。マジできつかった」
だが、そんな過酷な毎日でも弱音を吐くことなんてできなかった。
「しんどい顔なんて見せられなかった。アカデミーの子たちからしたら、”この人はヴァンラーレ八戸のトップチームの選手なんだ”って思われてるから。でも心の中では『なんで俺トップチームの選手なのに、ジュニアユースの子たちよりも家に帰るのが遅いんだろう?いや、おかしいよな』と思いながら、ハンドルを握ってて(笑)そんな1年でした」
プロ選手でありながら、サッカーをした記憶はほとんどない。出場機会はゼロ。とはいえ、子どもたちからの人気はチーム1だった。
「俺それぞれの年代の子たち全員と関わってたから、みんなからのあだ名が”しろうコーチ”だったのね。こうしろうコーチだと長いから、後ろの"しろう"だけ取って。試合にも出ていないのに、俺が一番スタジアムの中でファンが多かった(笑)」
子どもたちにとっては試合の勝敗なんてお構いなし。芝生席から大きな声で「しろうコーチ~!」と手を振ってくれる。そんな光景が何よりも嬉しかった。
「だから俺も、こうやって笑顔で振りかえすの」そう言いながら高島は、ニコニコしながら手を振る仕草をした。彼らしい人当たりの良さと、親しみやすさに、当時の光景がたやすく想像できる。

だが、先ほど彼が語る通りその裏には過酷な日々があった。
「子どもたちと接するのは本当に楽しかった。でもとにかくしんどかった。今思えば、よくあの状態で何の問題も起こさずに、子どもの指導ができてたなって思う。でも若かったからやれたのかもしれない。今の年齢で同じ生活をやれって言われたら、普通に怪我してるか、ストレスが溜まっておかしくなってたかもしれない」
とにかく、心も体もギリギリの毎日だった。それでも、”しろうコーチ”としての責任だけは、決して手放さなかった。
6か月半の無給生活、それでも辞めなかったワケ
1年で契約を切られた高島が次に進んだのは、当時JFL所属のFC神楽しまね。現在、京都サンガF.C. U-18でキーパーコーチを務める田中賢治が声をかけてくれた。だが、そこで待っていたのはサッカーどころではない、厳しい現実だった。
クラブは深刻な経営難に陥っており、半年間にわたって給料は支払われていなかった。そして最終的には、クラブ自体が経営破綻をしてしまった。
「みんな最初の段階でなんとなくわかってたよ。来年、このクラブなくなるなって。選手会のミーティングでも、『みんなで試合をボイコットしよう』っていう話も浮き上がってた。『なんで俺ら、お金ももらっていないのに試合やんなきゃいけないんだよ』って。マジで実行寸前まで話は進んでた」
重苦しい空気の中、ある選手が過去の事例を調べていた。それは日本サッカー界唯一のボイコット事件だ。
1986年、Jリーグが誕生する前のJSL(日本サッカーリーグ)時代に起きたのが、「全日空横浜サッカークラブ・ボイコット事件」。待遇改善を求めた選手たちが、試合直前にボイコットを表明したことで、日本サッカー界に大きな波紋を呼んだ。
その結果、クラブは3か月間の公式戦出場停止、6人の選手には無期限出場停止の処分が下され、監督やコーチ、役員としてサッカー界に関わることすら禁じられた。まさに事実上の永久追放だった(※なお、その後は数人の処分は解除され、現在ではすべての処分が見直しの対象となっている)。
「その処分の理由を紐解いていくと、決められた興行を自分たちの都合で止めることは、絶対にやっちゃダメらしい」
彼の言う通り、たとえ給料未払いという被害者であったとしても、選手たちは一方的に試合放棄はできない。試合は、スタッフや運営の努力、チケットを買って観戦を楽しみにしている観客、支援をしているスポンサーが関わっており、選手たちだけで作られているものではないという事実がそこにはあるからだ。
「そうなったら、これからサッカー界で生きていきたい選手もいっぱいいるし、ボイコットだけはやめようって話になって」
結局、選手たちのボイコットは回避された。だが、それで状況が好転することはなかった。アウェーへの遠征費すらままならず、クラブはクラウドファンディングに頼らざるを得なかった。当然、寄付者へのリターンをする余裕はない。それでも助けを求めるしかなかった。

そんな中、高島のもとには、かつての八戸時代に応援してくれたサポーターから、温かい支援の手が差し伸べられた。
「『せめてご飯だけでも食べられるぐらいにしてあげてほしい』っていうメッセージと一緒に、10万円ぐらいをポンって送ってくれた人がいた。でもそのお金って、俺らが使うべきものじゃなかったわけ。本来なら、その人の家族が美味しいものを食べに行ったり、欲しいものを買うために使われるべきだったのに、あんなことになって俺らのために使ってくれて。それでも全然足りてなかったし、未だに返せてないんだよね。他にも迷惑かけた人はいっぱいいる。
まだスポンサーさんとかだったら、名前を背負って戦うことに意義があるけど、顔も名前も知らない普通のサッカーファンの方も、少額でも俺らのために使ってくれた。そういう人たちがいたから、ここで自分が中途半端にサッカーを辞めるわけにはいけないなと思って、次のチームを探してた」
過酷な状況に置かれながらも、彼らのために本気で心を寄せてくれた人たちがいた。そしてその支えは資金面だけでなく、土地に根付いた人々の温かさもあった。
「6カ月半給料未払いだったけど、島根って土地柄的にすっごくのんびりしてて。だから心にはどこか余裕はあったかな。地元のレストランでご飯を振る舞ってもらったり、アレルギー対応の食品を作ってる人とか、ジビエ料理を作ってる人とか……いろんな人にお世話になった」
そんな日々のなか、こんな思い出話も。
「あとは、サッカースクールを引き継いだ先輩とイカ釣りもしたね。アオリイカっていうでっかいイカ!」
そう言って、両手でイカのサイズを表現する。
「もう、他になんもすることなかったからさ。『給料も払われてないからイカ釣りに行きましょうよ!』とか言って、一緒にイカ釣って食べて(笑)」
しまねでの日々は確かに過酷ではあった。だが、同時に自然の豊かさに包まれ、人の優しさにも気づくことができた、心あたたまる1年でもあった。
死ぬまでに見たい景色がある
チームがつぶれてしまい、その後に加入したブリオベッカ浦安。そこでまたしても1年で契約満了を告げられたときは、さすがに驚きがあったという。
「満了って言われて、一瞬ちょっと戸惑ったけど……まあ、そんなにサッカーは甘くないよなって」
単に実力不足の問題だけでなく、契約更新や移籍にまつわる複雑な事情があるのも、この世界のリアルだ。
ただの人数合わせや、二番手のような控え要員ではなく、自分のことをちゃんと戦力として見てくれるクラブに行けーーそうアドバイスしてくれたのは、大学4年のときに出会ったあのコーチだった。
その言葉を胸に、高島は昨年渋谷に加入。そして今季、人生初の契約更新を経験した。
実は取材前、筆者はチームマネージャーの角野から、彼の人柄について話を聞いていた。「経歴からわかると思うけどかなりの苦労人だよ」そう言っていた角野からの評判を彼に伝えると、部屋中に響き渡るぐらいの大笑いをした。
「マジ?よくわかってんじゃん!いろいろ出てくるからね、俺って」
苦労を重ねてきたからこそ、彼にはプレー以外でも果たせる役割があるはずだ。渋谷ではどうチームに貢献していきたいか、と尋ねると彼は即答した。
「今、俺がやってることが答えなんじゃない?もうあんな感じじゃない?俺の役割は」
普段の様子を見ればわかるでしょう、と言わんばかりの高島らしい回答だ。
「俺はどこに行っても変わらないから。基本誰とでもコミュニケーションして、いじれるところがあったらいじっていくスタンス。そうすればチームは上手くまとまると思うし、そういうキャラが1人いてもいいじゃん?いろんな人と話して、しょうもないことを言うのが好きだから。良い意味で、広く浅くやってるかもしれない」

持ち前の明るさで周りをよく笑わせる。そしてその分ちゃんと愛される。そんな彼にその秘訣を聞いてみた。
「俺って、割と言うことが結構コロコロ変わったりするのね。でも最近家族に言われたことで、1個だけずっと変わってないことがあって。『俺はサッカーでやっていく』っていうことだけは永遠に言ってるらしいの」
小学生の頃から、サッカーに関わる仕事を続けたいと母親に語っていた。高校の卒団式では、「Jリーガーになって監督を見返す」と言い切っていた。
「実際に八戸に加入してJリーガーにはなったけど、結局試合に出られなかったし、何も見返してないんだけどね」
そう笑ったあと、すぐ真剣な表情に戻る。
「サッカーを続けること。それだけは本当に変わってないから応援してくれる人たちがいるのかなと思う。『この人はサッカーを頑張る人なんだ』っていう見られ方をしてて、それに対して正しい方向で取り組みが続けられてるから、ちゃんと応援してくれる人がいるのかもしれない」
確かにこれまでの彼は試合には出られない時間が続いたとしても、腐らず、地道に努力を重ねてきた。その姿勢には一本筋の通った強さがある。「芯がありますね」ーーついこぼれた筆者の言葉に、彼は少し照れたようにこう返す。
「サッカーだけね。他は何もしっかりしてないよ」
そう冗談めかしながらも、将来の話になると少し顔を曇らせた。日頃から地域のサッカースクールに足を運び、子どもたちと積極的に関わっている彼だからこそ、その葛藤は深い。
「でもどうだろうね。自分がキーパーコーチになる未来があるかどうかは、正直わからない。今は現役選手として、自分のために積み重ねたことを、人に伝えることでアウトプットができてる。でも現役を終えた瞬間、見られ方がただのキーパーコーチになるわけじゃん」
少し言葉を選びながらこう続ける。
「俺の考え方のフローとしては、まずは自分のためにやって、それをみんなに伝えている。その結果、自分に返ってくるっていうイメージ。だけど、ただのいちキーパーコーチとして報酬をもらう立場になったら、子どもたちのサッカー人生に責任を持たなくちゃいけなくなる。自分の発言する一言が未来を左右するかもしれないから。そうなったらできるのかな?って自信がないかも」

そして彼が特に慎重になるのは、キーパーコーチという職業の特殊性にもある。
「キーパーコーチって指導者の中でも特別なポジションで、やっぱり自分でもボールを蹴らないといけない。だから怪我して蹴れなくなったら終わり。例えばどこかのチームでキーパーコーチになって、ボールを蹴れなくなったら、早く辞めてあげないと選手たちが可哀想でしょ?自分のせいで環境が成り立たなくなるから。それってつまり仕事を失うってこと。
監督とかだったら、ボールを蹴らなくても頭が使えればなんの問題もない。でもキーパーコーチは身体も使うし、リスクがでかすぎる。だから一本に絞ってやるのは難しいんじゃないかなって思ってる。でもサイドビジネスみたいな形で関わるのはアリかもしれないって思ってるかな」
それでもすぐに迷いを帯びた声に変わる。
「まあ実際そうなってみないと、自分がそこに覚悟を持ってやれるかどうかはわからない。今は”SHIBUYA CITY FCの選手”っていう肩書きがあるから、こんなに親身に伝えてくれるんだって思ってもらえる。それってめっちゃ両方にとってもプラスだし。でも現役じゃなくなって、”高島康四郎”って個人として見られるようになったら、軸が他人になるから続けられるのかなって。なんだかんだやってそうだけどね」
そんなふうに悩みを抱えながらも、彼にはしっかりとありたい未来もちゃんと持っている。
「でもマジで渋谷のスタジアムが代々木公園にある光景は、死ぬまでには絶対見たいね。自分がめっちゃ歳をとったときに、『こんにちは〜』って言いながら、みんなとはしゃいでさ。翔さん(小泉 翔 / 代表取締役CEO)と、『渋谷すごいですね〜』なんて言って一緒に試合を観たいな。自分がおっさんになって、渋谷に住んで家族と行けたら最高だよね。その辺に住むってことはさ、結構頑張って稼がないといけないけど」
そう言って笑うが、そこに込められた熱意は本物だ。
「でもそれぐらい未来のビジョンに惹かれて入ったチームだから、そうなってほしいなって思うし、できるならどんな形になっても関わり続けていきたい」

「試合に出れないのは監督のせい」
そんなふうに熱くビジョンを語る高島は、今年で渋谷に加入して2年目を迎えた。リーグ戦が中盤に差し掛かり出場機会こそ限られているが、ピッチに立ちたい想いは色褪せない。
「目の前のやつにシュートを決められたくない気持ちは、俺が一番あると思う。とにかく試合に出たいし、出なきゃサッカー選手としての価値が高まっていかないから。チームを勝たせたい気持ちもあるからこそ、もっとチームの戦術にフィットしなきゃいけない」
試合によってゴールキーパーの起用が変わる状況を、高島はこんなふうに捉えている。
「つみくん(積田)が出るか、キム(木村)が出るかで、その都度チームの戦術に違いが出る気がする。だから俺は試合になかなか出られないぶん、どっちのスタイルにも対応することが求めらてる気がしてて。正直難しいけど、だからこそ自分がどうしていくかはもっと考えていきたい」

巡ってくるチャンスの瞬間に、迷いなく力を発揮できるように。今この時間も、自分を磨き続けている。
「派手なセーブがいっぱいできて、めっちゃ動ける選手だったらいいんだけど、俺ってそういう精度は全然なくて。だから『体がでかいから、体のどこかにぶつかれ!』って思いながらやってる(笑)でも1対1を止める力とか、そういうのは強みとしてあるから、そこはガンガン出していきたい。あとは”声がでかいとなんとかなる”っていう謎理論もあるから」
そして、そんな言葉のあとには何よりの本音があふれた。
「シンプルに、マジで試合に出たい。出れないのは、監督のせいだと思ってる」
思わず一瞬ドキッとするような言葉。でもすぐにこう解説した。
「他責に見えるかもしれないけど、結局試合に出られるかどうかは監督が決める判断。だから俺は監督のせいだと思ってる」
そう語った彼は、昨年の全国社会人サッカー大会・関東予選1回戦のときのエピソードを話してくれた。スコアレスで突入したPK戦、高島は相手の4人目でストップして、チームに勝利をもたらした。

「もちろん、無失点で抑えてくれたフィールドの選手の頑張りもあってこそのこと。でも最終的にPKを止めたのは俺だから、次の試合も出れるかなって思ってたの」
しかし、そんな期待はあっさり裏切られる。次の準決勝のキーパーは高島ではなく、積田だった。
「キーパーがコロって変わって、これはもう監督のせいだと思うしかなかった」
納得がいかず、モヤモヤが溜まった。また、練習試合でも似たようなことがあった。
「自分的にはやる気の波があったとは認識してなかったんだけど、最初の15分くらいで交代させられてさ。その時は俺も他の人に対して『あいつもやる気ないっしょ』って言っちゃったこともあって。そういうのも含めて、マスさん(増嶋監督)は怒ってたんだけど、俺も納得いかない部分があって大喧嘩したんだよね」
最終的に決断を下すのは監督であって、選手にはどうしようもないこと。けれど、高島はその事実をただ受け入れようとする人間ではない。
「試合に出れないのは監督のせいだけど、試合に使いたいと思わせられなかったのは俺だなって思ったから。マスさんのことは、人としてもめちゃくちゃ大好きだし、アニキ肌でかっこいいなって思う。だからマスさんを嫌うとかっていう話じゃない。監督と選手っていう立場で、ぶつかることが正しさではないと思うし。でもやっぱり、喧嘩とまではいかないけど、自分がもっとギラつかないといけないって思った」
黙って引き下がるのではなく、自分の居場所を勝ち取るために。彼は自分にできることを探し、全力でやり続ける。次のチャンスを逃さないよう、もうすでに彼の目はギラついていた。

楽しさを超えた先に
これまで高島の人生を振り返ってきたが、渋谷に来るまで契約更新が叶わなかっただけでなく、試合にすら全く出れていない人生だった。
だが、それを誰よりも理解しているのは、他でもない本人だ。その現実を受け止め、むしろハングリーさに変えてきた。
「サッカー人生において、俺は試合に出てる時間が少なすぎる。でもサッカーやってる時だけは、プライベートで嫌なことがあっても本当に全部忘れられるんだよね。やっぱり自分がやりたいと思い続ける限りは、誰にもサッカーやることだけは止められないんだろうなって。『お前試合出てないじゃん』とか何を言われようが、『いや、俺はサッカーやりたいからやってる』って自信を持って言える」
そしてその愛は、何もサッカーだけに向けられているわけではない。
「彼女とか、めっちゃ仲がいい友達とか、自分が大事にしている人たちと一緒にいる時は、時間も気にせずにやりたいと思ったことをずっとやってる。さすがに練習が次の日にあったら切り上げるけど、そんなに縛りもないし、これやりたいっていうリクエストにできるだけ付き合っちゃう」
その行動の根っこにあるのは、彼がずっと持ち続けてきた共通する原動力だ。
「サッカーも人と話すのもすごく楽しい。いつも”楽しい”を優先しちゃうかも。それが原動力かもしれない。楽しくなかったら、サッカーやってる意味ないと思うんだよね。
一般企業に勤めてる友達とぶっちゃけたお金の話とかするけど、待遇面だけで見るとやっぱり一般企業の方がボーナスもあるし、旅行にも行けるからいいなって思う。『結婚して指輪こういうの買った〜』とかって話を聞くと、やべえなとか思うこともあるけど(笑)」
だが、迷わずこう続ける。
「それでも俺は”楽しい”を優先しているから、今でもサッカーをやってんだろうなと思う」
実際、「楽しい」を原動力に走り続けている選手は多い。でなければ、報われる保証のないこの世界で続けていくことはきっと難しい。事実、これまでの取材でも、筆者は何人もの選手から「楽しさが原動力」という言葉を聞いてきた。

だが、高島はそんな話のあとに「でも」と言葉を続けた。
「プライベートはいいんだけど、『サッカーって楽しいままでいいのかな?』とか、最近ちょっと思ってて。それって所詮、”それぐらいの付き合い方”しかしてないんじゃないかって」
楽しさをどこか浅さの象徴のように語る。だが、それは決して否定的ではない。むしろ、深く付き合いたいという欲求の裏返しだ。
「もっと自分を追い込みたいなと思ってる。楽しいままじゃダメだなって。楽しんでやってるうちは、まだ趣味とか、それぐらいのレベルなんじゃないかなって。周りから見たら『なんでこんなに結果も出てないのにやってんだろう』って思われてるんだよね。
でも俺は楽しいからやり続けられるけど、苦しいぐらいのところまで自分を持っていきたい。そしたら結果って変わるのかな?とか思ったり。楽しいから今結果が出ていないのかも」
自分を省みるように語ったあと、またあの事実が口をついて出た。
「だからそういう意味で、俺は苦しみに慣れちゃってる可能性がある。試合に出られない苦しみ。それがもう圧倒的に長いサッカー人生だから、耐性がついちゃってるのかもしれない。でもそれを表情に出したって、何にもプラスに働かないってことは、これまでのサッカー人生で痛いほどわかってる。だからそこに対しての慣れもある。年齢も年齢だからね」
そのあとはいつもの勢いが落ち着き、「うーん」と言語化するのに苦労する時間が続いた。ずっとまっすぐで、真正面から突き進んでいる彼が、そんなふうに悩みを抱いていることが少し意外だった。
「まだ具体的に何をやればいいかわかんないけどね。今、一緒にシェアハウスに住んでるエンジニアの人がいるんだけど、その人ずっと働いてんのよ。休みの日を設けてる感じが全くなくて、俺がいつ帰ってきてもずっと仕事してて。もちろん楽しいからやっている部分もあるんだろうけど、多分この人にもしんどい瞬間とか苦手なことってあると思うんだよね。でもそういうのを乗り越えた先に、何かがあると思う」
一拍おいて、「なんか哲学的な話だな」と苦笑して話を続ける。
「さすがに怪我をする可能性のあるところに行くのは危ないから、渋谷の練習以外でサッカーする場所に行ったら駄目なんだけど、本当に苦しくなるぐらいまでサッカーをやりたい。でも、いかんせんサッカーに使える時間はあの2時間の練習しかないし、どうしたもんかなって。
だからマスさんがよく言う、『2時間の練習にどれだけ向き合えるか』ってところは、本当に真剣に考えなきゃいけない。じゃあどういう向き合い方をするのかは、考えてるだけじゃ駄目なんだけどね。行動って言っても、監督が見えるところじゃなくて、人には見られてないところの生活の質を上げるとか、そういうことなのかなって思ってる」
「もっと頑張りたいね……」と最後は小声でつぶやく。だが、すぐにいつもの笑顔に戻り、「結論はもっと頑張る!」と笑い飛ばした。

最後に、今年の抱負を尋ねてみた。
「試合に出たら結果を出す。”出たら”っていうのは受け身じゃなくて、何回も言うけど、試合に出るか出ないかは監督が決めること。出れないのも監督のせいだし、出れたら監督のおかげだと俺は思う。だから与えられたチャンスの中でちゃんと結果を残す、それだけの準備は常にし続ける」
苦しみには慣れている。でもそれに甘んじる気はさらさらない。そして昨年からチームを見てきてこんな思いも芽生えてきた。
「あとは『渋谷のキーパーは康四郎だよね』って言われるところまでやっていきたい。去年から見てて思ったんだけど、渋谷のキーパーってあんまりフォーカスされてないというか、『この人だ!』みたいな選手ってあんまりいないじゃん?
他の選手には悪いんだけど、センターバックは(鈴木)友也がいるし、フォワードならときくん(政森)がいて、他にも(渡邉)千真さんとか新加入の(青木)友佑も気になるよねっていう話が聞こえてくる。でもキーパーってファン・サポーターの中でも、そんなに違いがわからないと思うんだよね。みんな『誰が出てもいい』って思ってるからこそなのか、フォーカスされたことってそんなにないなって。
実際、今シーズンはまだMVPにキーパーが誰ひとり選ばれてない。だからそこに自分の名前が出てくるようになれたら、チームにも恩返しできるんじゃないかなって思う」
目指すのは、存在感のある守護神。そして、勝利に直結するキーパー。
「この先も、監督に選んでもらえるような選手になり続けたい。もちろん目の前のシュートは止めたいけど、俺は何失点してもいいから最終的にはチームが勝てればいい。そのためにできることをやり続けたい」
そして最後にはスパッとこう言い切った。
「とにかく今は試合に出たい。出るための準備をする」
すがすがしく、迷いなく放たれた言葉。だが、そのあとは肩をすくめてこう続ける。
「まあ、どうなるか分かんないけどね。だって俺、1年間だけを見ても意味わからないくらいバタバタしてた生活だったし。毎年そうだから。でも本当に今、最高に楽しいよ」
笑顔ではつらつと言ったそのあと、ハッとしたように表情を引き締める。
「楽しいだけじゃだめだ!」
そう言って、またすぐにいつもの太陽のような笑顔に戻った。コロコロ表情が変わるのも、また彼らしい。

ここまで長々と書いてしまったが、伝えたかったのはただひとつ。どれだけ報われなくとも、二番手でも、三番手で生きてこようが、高島のようなキーパーがひとりチームにいるだけで、そのチームは確実に強くなる。彼の魅力は、陽気な顔の奥にある、諦めを知らない執念にある。
”楽しい”だけじゃ届かない場所、本気じゃないと辿り着けない未来へ、高島はこれからも走り続ける。たとえ誰にも見られていなくても、選ばれなくても。それでも、前を向いて。
取材・文 :西元 舞
写真 :福冨 倖希
企画・構成:斎藤 兼、畑間 直英
UNSTOPPABLES バックナンバー
#1 渋谷を背負う責任と喜び。「土田のおかげでJリーグに上がれた」と言われるためにーー土田直輝
#2 頂点を目指す、不屈の覚悟。全ては世界一の男になるための手段ーー水野智大
#3 冷静さの奥に潜む、確かな自信。「自分がやってきたことを発揮するだけ、『去年と変わった』と思わせるために」ーー木村壮宏
#4 這い上がる本能と泥臭さ。サムライブルーに狙いを定める渋谷の捕食者ーー伊藤雄教
#5 問いかける人生、答え続ける生き様。「波乱万丈な方へ向かっていく。それがむしろ面白い」ーー坪川潤之
#6 サッカーが導く人生と結ぶ絆。ボールがくれた縁を、これからも。ーー岩沼俊介
#7 楽しむことを強さに変えて。夢も、欲も、まっすぐに。ーー小沼樹輝
#8 誰かのために、笑顔のために。誇りと優しさが生む頂点とはーー渡邉尚樹
#9 九州で生まれた男の背骨。「やっぱり男は背中で語る」ーー本田憲弥
#10 選手として、父として。見られる過去より、魅せたい現在地ーー渡邉千真
#11 余裕を求めて、動き続ける。模索の先にある理想へーー宮坂拓海
#12 この愛に、嘘はない。激情と背中で示す覚悟の真意とはーー鈴木友也
#13 憧れた側から憧れられる側へ。ひたむきな努力が導く、まっすぐな未来ーー大越寛人
SHIBUYA CITY FC
渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ。「PLAYNEW & SCRAMBLE」を理念に掲げ、渋谷の多様性を活かした新しく遊び心のあるピッチ内外の活動で、これまでにないクリエイティブなサッカークラブ創りを標榜している。
渋谷駅周辺6会場をジャックした都市型サッカーフェス「FOOTBALL JAM」や官民共同の地域貢献オープンイノベーションプロジェクト「渋谷をつなげる30人」の主宰、千駄ヶ谷コミュニティセンターの指定管理事業など、渋谷区での地域事業活動も多く実施している。
お問い合わせ
担当:畑間
問い合わせはこちら