
絶対の自信を纏う、超こだわり屋のラッキーボーイ「必ず俺のところに転がってくる。そう思ってるし、信じてる」ーー青木友佑【UNSTOPPABLES】 #16
2025年6月26日
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「絶対、俺は運が巡ってくるんだよね。絶対に何か持ってるし、最後は良い方向に向かっていく。将来のことも全然大丈夫だと思ってる」
普段はどこかあっけらかんとしていて、年相応のおちゃらけた一面を見せるが、かつては世代別代表にも選ばれ、FC東京ユース時代には将来を渇望された逸材である青木友佑。だが、高校・大学での二度の大怪我により、順風満帆とは言い難い道を歩んできた。
その一方で、実はとある趣味に人生レベルでハマるほどの熱量を持ち、サッカーでも日常生活でも、細部にとことんこだわる職人気質の持ち主。怪我に苦しんだ有望株としての印象が先行しがちだが、それだけでは語りきれない深みが彼にはある。サッカー選手・青木友佑よりも、その中身の方が何倍もクセがあって面白いはずだ。
【UNSTOPPABLES~止められない奴ら~】
昨シーズン、関東2部への昇格を決めたSHIBUYA CITY FC。その栄光の背後には、ただの勝利以上のものが隠されていた。選手たちの揺るぎない自信と勢いは、彼らの人生に深く刻まれた歩みから来ている。勝利への執念、それを支える信条。止まることを知らない、彼らの真の姿が、今明らかになる。
第16回は、大卒加入の期待のルーキー・青木友佑。その素顔に触れると、彼には意外な気質と熱狂的すぎる趣味があった。そしてどこか憎めない自信家な一面も。経歴だけでは見えてこないそのギャップに、きっと驚くだろう。
青木 友佑(あおき ゆうすけ)/ FW
東京都江東区富岡出身。2002年8月30日生まれ。171cm、67kg。FC東京U-15深川ではU-15日本代表に選ばれ、高円宮杯全日本ユース(U-15)では全5戦連続で得点を挙げ、大会得点王に輝いた。その後のFC東京U-18でも、U-16日本代表としてAFC選手権やドリームカップなどに参加し、世代屈指のストライカーとして評価を高める。2020年には2種登録選手として登録される。その後は新潟医療福祉大学へ進学。3年時には北信越選抜に選ばれる。今シーズンからSHIBUYA CITY FCに加入。両足でのシュートやトラップの巧みさ、献身的な守備対応を武器とする期待のルーキー。
こだわりの強さならピカイチ
青木の中学・高校時代のキャリアは、まさに輝かしいものだった。U-15、U-16と世代別代表に選出され、全国でもトップクラスの実力を誇った。まさにエリート街道をまっすぐに歩んできた選手と言っていい。
本人も、特に中学時代については「絶好調、最高潮だった」と自負する。
「なんか俺だけ、他のみんなよりも成長が早かった気がする。足も速かったし、得点感覚もあったと思う。才能っていうか……まあ、才能か。ちょっとはあるけど、運だよ。あとは自分の性格的にちょっと、こだわりが強いんだよね」
”こだわり”。その言葉が気になったので、さらに掘り下げてみた。
「一本のパスにしても、バウンドするのは嫌だから滑らせるように出す。トラップひとつにしても、ボールの回転にこだわってたし、練習で走るときも一人でも抜いてやろうっていう意識をしてた。あと俺、トラップがめっちゃ上手いと思うんだよね。両足でシュートも打てるし。そういうのがあったから上に行けたのかも」
だが、サッカーへのその強いこだわりも、もっと細かくこだわっていて、もっと上手い選手もいるのではないか?ーーそう問いかけると、今度は私生活でのこだわりについて話し始めた。その内容は想像以上に綿密で、しかも意外なものだった。
「掃除とかめっちゃするよ。部屋の中がぐちゃぐちゃなのとか、嫌なんだよね。あと物の位置も気になっちゃう。なんか、几帳面なんだよね」
ふと、机に置かれていた筆者のノートが少し斜めになっていたので、冗談半分で「これも気になる?」と聞いてみた。
「うーん、結構ね。まあ、人のは気にならないけど自分が使う物はつい気になっちゃう。スパイクも絶対これじゃないとダメっていうのがあって」
サッカー用品にこだわるのはいかにも選手らしい。だが、それだけではない。大学時代、最初の2年は寮生活、残りの2年は一人暮らしをしていた彼には、隠れたスキルがある。それが料理だ。
得意料理はチャーハン、カレーライス、オムライス、親子丼。釣りが趣味で、自分で釣った魚を捌くこともできるという。
「あと、味付けが得意なんだよね。味噌汁も、ちゃんとだしから取るタイプ。だしひとつ、塩ひとつにしても、なるべく良いものを使いたいんだよね。……やめてよ、その顔!『きも』って思ってるんでしょ!(笑)」
もちろん気持ち悪いとは思っていない。ただ、そのギャップに驚いて無意識に表情が固まってしまっただけだ。勝手ながら、彼に対して大雑把なイメージを抱いていた筆者は、「意外ですね」と返した。
「家事全般できるし、洗濯物もめっちゃ綺麗に、しかもめっちゃ早くたためるんだよね。畳み方とか干し方にもこだわりがある」

そう言いながら、彼の”こだわり”はどんどん広がっていく。
「あと、匂いも気になっちゃうのよ。ご飯を作ってると、たまに煙とかで服に匂いがつくじゃん?それが嫌だから、すぐ着替えちゃう。柔軟剤も自分の気に入る匂いがあるまで試し続けたよ。結局たどり着いたのが、ボールドにビーズを混ぜるのが一番しっくりきた。もう、開発しました」
潔癖症とまではいかないが、それに近いようなものがうかがえる。ただ、そのこだわりがどこまでも強いかといえばそうでもない。服や靴といったファッションに関しては、驚くほど無頓着だ。
「正直、服の価値があんまり分からなくて鈍感なんだよね。だって実際、白いユニクロの半袖Tシャツに、黒い短パンで全然オッケーじゃん。もちろんTPOに合わせた服は着るけどね。けどさ、そこまでお金をかける必要が分かんないっていうか……おしゃれするのもかっこいいとは思うけど、それなら自分の趣味だったり、自分に投資したいって思うんだよね。
O型だからなのか分かんないけど、気になるところはめっちゃ気になるし、気にならないところは本当に大雑把」

こだわる部分と、そうではない部分の差がハッキリしているからこそ、一度ハマったものに対してはとことん突き詰める。そんな凝り性な性格は、どうやら「作ること」自体にも通じているようだ。
「こまごましたものを作るのが好きなんだよね。昔はよくプラモデルとかモーターカーを組み立ててたし、美術系は苦手だけどDIYは得意。木で椅子を作ったりしたこともある。あと、裁縫も得意」
さらっと飛び出した「裁縫」というワードが出てきたので驚いていると、こんなスゴエピソードを教えてくれた。
「小学生のときの家庭科の授業でトマトのマスコットを作ったら、それが東京都展で入賞したんだよね。俺、結構器用だから今でもまつり縫いとか本返し縫いとか普通にできるよ。だから余計に、女の子に嫌われるかもしれないね」
「”ちょっとできるんだよ”ってアピールをするってこと?」と聞くと、首を横に振った。
「わざわざ言わないけど、『できないか~』って、心の中で思うだけ(笑)。だから結局、俺がなんでもやっちゃうかもね」
ここまで話を聞いていると、本当にサッカー選手の話なのかと疑いたくなるほど、多彩な特技のオンパレードだ。そして話題は再び、サッカーの話に戻っていく。
「なんか、全部にこだわっちゃうんだよね。パスひとつにしても、もう『これだ!』って決めたら、とことんやりまくる」
本人も「こだわりの強さなら、渋谷の中でもダントツでトップ」と誇るほどで、一度こだわり始めると、誰にも止められないという。
「自分でも頭おかしいって思うくらい、めっちゃこだわるもん。もう、病気なんじゃないかってくらい」

そしてどうやら、そんなこだわり気質の彼が新たな挑戦を始める。渋谷とつながりがあるFCトリプレッタで、スクールコーチとしての仕事をスタートさせるのだ。渋谷に加入してからは「サッカーに集中したい」という思いから、あえて仕事をせずサッカー一本に絞っていたが、取材の翌日からはついに人生初の仕事に臨む。
社会人サッカー選手なら大概の者が直面する「仕事とサッカーの両立」という壁。周りのチームメイトたちもそれぞれの形で向き合う中、彼も少しの不安を抱えながらも、自分なりの前向きな姿勢を示してくれた。
「やっぱりサッカーと仕事を両立すると、どうしても忙しくなってきて、だんだんきつくなってくると思うんだよね。だからこそ、休みの日の過ごし方にはこだわっていきたい。どうしたらしっかり休めるかとか、何を食べるかとか。何より、自分自身が辛くならないようにして、サッカーに100%以上の力で向き合えるように、前向きな気持ちで取り組めるように、ちゃんとこだわっていきたい」
もっと、もっとできる。やれる。
冒頭でも触れたとおり、中学時代は順風満帆な日々を過ごしていた青木だが、そこから先は、だんだんと下降していくような道を歩んでいく。
高校1年時ではプレミアリーグ開幕戦でも途中出場をするなど順調な滑り出しを見せていたが、高校2年の春に右ひざの後十字靭帯を損傷してしまい、2か月の離脱。その数か月後には、今度は左ひざの半月板を損傷。トータルで約1年、思うようにサッカーができない期間が続いた。
「高3で復帰して、最初のほうの試合でめっちゃいいゴールを決めたから『これで波に乗れるかも』って思ったんだけど、そのタイミングでコロナが重なっちゃって、トップチームのキャンプにも行けなくなっちゃった」
進路に関わる大事な時期に怪我と社会的混乱が重なり、チャンスをつかみきれないまま高校生活は終わった。さらに追い打ちをかけるように、大学4年目の春にはアキレス腱の大怪我に見舞われる。プレーをしながら徐々に回復を目指していたが、「最後のインカレで納得のいくパフォーマンスをしたい」という強い思いから、半年以上サッカーから離れ、治療とリハビリに専念した。
なんとかインカレ直前には復帰できたものの、J クラブへの練習参加など、次のステージに向けたアピールの機会は完全に失われていた。しかもその怪我は完治したわけではなく、現在も接骨院に通いながら身体と向き合う生活が続いている。
中学時代から注目を浴び、その才能が評価されてきただけに周囲の期待は大きかった。だからこそ、「大事な時期に限って結果が出せなかった選手」と見られていたのではないかーーそう問いかけると、少し笑いながらうなずいた。
「まあ、そう見られてるよね。中学のときが輝かしすぎて。中学3年からプレミアリーグに出させてもらってたし。そうなったら『俺、もっと上に行ける!』って思うよ。もちろん、自分の全てが通用するわけじゃなかったけどね。でも、その舞台に立てるっていうことは、自分の中でも『いけるんじゃないかな?』っていう気持ちはあったけど、そんなに甘くなかったよね」

「大学でも、4年生になれば自分の立ち位置はある程度確立はしてきたけど、最後怪我しちゃったから振り出しに戻った感じ。今でも、高校・大学の最後の1年間を無駄にしなければなって思うよ。そこでプロに行けるか、行けないかが決まる、一番大事な時期だったから。毎回、大事なところで怪我しちゃうんだよね」
「でも、そんなキャラじゃないんだけどね」と冗談めかしながらそう付け足すが、やはり胸の奥には、いまだに拭いきれない思いがある。
「当時の代表メンバーも、俺以外はみんなプロになってるし、同い年のFC東京のやつらもほとんどプロになってる。だからやっぱり悔しいよ。でもそれ以上に、焦りがめっちゃある。練習中もずっと、『今のプレーじゃダメだ』って思ってて。ゴールも、決められたら嬉しいんだけど素直に喜べないんだよね。『いや、まだまだ全然足りない』って、どこか冷めちゃう自分がいる」
プロになれなかった現実と、いまも変わらず追い続ける目標。かつては自身も輝いていたがゆえに、焦燥が募ってしまう。そして現実では、「プロ」の仲間たちが、自分の身近に存在している。
「だから俺、あんまりSNSとか見たくないんだよね。友達がスタジアムでプレーしてたり、ゴールを決めた写真とか映像が流れてくるから。相手は気にしてないかもしれないし、友達として、人としては好きだから話すけど、やっぱりサッカー選手としては悔しいよね」
その感情は、誰かを妬むようなものではない。ただただ悔しいのだ。かつての仲間たちのことが好きだからこそ、なおさら。
実際に、渋谷に加入してからの5月11日に行われたFC東京とのトレーニングマッチでは、かつての旧友たちと再会する機会があった。
「だから正直、その試合も『やってやろう』っていう気持ちと、あまり乗り気じゃない気持ちがあったんだよね。しかも、行くなら試合に出たかったし。俺、あのとき怪我してたから」
最後の最後で結果を残せない選手ーーいつしか、そんなイメージが自分にまとわりついていることも、自分自身が一番よくわかっている。怪我のせいにすれば、それで片付けられるかもしれないが、この世界はそんな甘くない。

でもだからこそ、今はそれをバネにする。
「最近は、『もうやんなきゃ』って思うことの方が多い。もちろん、周りの目も気になるよ。でも、そんなことを考えてもダメだなって。その心の変化に、これといった特別なきっかけがあったわけじゃないけど、ただ自然と『あ、このままじゃダメだな』って思うようになった。でもミスしたり、怒られたりとか、いろんなことをめっちゃ引きずるタイプなんだよね」
そうやって自分の弱さをさらけ出せるのも、自分で全部受け入れているからだ。そしてむしろ、その繊細さこそが、今のチームの中で活きるものがあると語る。
「このチームって、いじる人は多いけど、いじられる人ってあんまりいないじゃん。そうなると、俺っていじられるキャラなのね。年齢がどうとかじゃなくて、ミヤ(宮坂拓海)と俺が並んだら、絶対俺いじられるじゃん?(笑)」
同じ大卒組で、同い年でもある宮坂の名前を出しながら、自身を「いじられ役」と評した。それもまた、チームの空気を和らげる大切な役割だ。
「……っていう役も、やらないといけない。やっぱり若さ、貪欲さ、元気さを出していかないといけないよね」

そんなふうに自分の立ち位置を理解し、求められる役割を受け入れていく。それはピッチの上でも同じであり、プレーでも果たそうとする意識は誰よりも強い。
「球際でも激しくいったり、走りでも最後の1本を一番に走りきるとか。そういう最後の最後のところで頑張るようにしてる。あとは誰かが攻撃から守備の切り替えで戻れていなかったら俺が戻ろうって思うし、チームが楽になるために自分からボール奪いにいく。
それは中学生の頃から『ゴール取る以前に守備からやれ』ってずっと言われてきたんだよね。実際、守備を頑張れば自ずと点は取れていたし、その感覚が今もあるから、まずは守備からやろうって思える。だから俺、守備は上手いよ。仲間のために走ろうっていう気持ちがどこかにあるんだと思う」

とはいえ、いまもチーム内では宮坂ら同世代と行動を共にすることが多く、ピッチ上でもどこか遠慮が残っているようにも見える。事実、今シーズンの公式戦では、いまだ1ゴールにとどまっている。
もっとあの時の悔しさを、心の奥にあるハングリーさを、今以上に全面に押し出してもいいのではないかーー。彼が渋谷に加入してからずっと感じていたその思いを、質問というよりも要求に近いかたちで、ぶつけてみた。
一瞬、目を丸くしつつも、「本当?なんか、ありがとう」と照れ笑いして返された。つい熱く語ってしまったが、その言葉の意味を一番理解しているのは、きっと彼自身だ。
「たしかに。それは俺も思うよ。オラつき、でしょ?だから自分でももっとやれるなって思う。渋谷の中でも、俺は下から突き上げる役。先輩たちのケツを叩くような、そういう存在にならなきゃダメかなって思ってる」
ハッキリとそう口にした姿に、もう迷いは感じなかった。彼はこれからもっと、渋谷の地でギラついていく。ここからまた、這い上がっていくために。
釣りも、サッカーと同じ
「あの4年間は一番濃かった」
そう語るのは、新潟医療福祉大学で過ごした日々のこと。「濃い」と聞くと、怪我の話を思い浮かべるかもしれないがーーここで彼が口にした濃さというのは、それだけではない。いや、「それ以上に」といったほうがしっくりくるだろうか。
前置きしておこう。先述したとおり、彼の趣味は「釣り」である。しかも、ただの釣り好きではない。並々ならぬ、筋金入りの釣り愛好家だ。

「そこに海があったから」
そうドヤ顔で語ったのは、大学1年生の頃のことだ。学校のすぐ真裏に広がる日本海。ある日、先輩に誘われ、本当に魚が釣れるかどうか、半信半疑で足を運んだ。するとどうだろう、初めてにも関わらず、本人もびっくりするほどの釣果だった。
それをきっかけに、どっぷりと釣りの沼にはまっていき、気づけば釣りは日常の一部となっていった。
「大学の真裏が海だから、大学4年間かなりの頻度で釣りに行ってた。練習が午後3時からだったから朝の運動も兼ねて、釣りをしてたね。さすがに試合前は行かなかったけど」
基本的にはひとりで釣る日々。でもだからといって、寂しさを感じることはなかった。そこにはいつも顔を合わせる、自分より一回り、二回り年上の、地元のベテランアングラーたちがいた。そこで彼は、自分だけの界隈を広げていった。

そんななか、思いがけない出会いが訪れる。釣りをしていた彼に、見知らぬ男性が声をかけてきた。
「最初、俺のことを店員さんだと思ってたらしくて。そこから『うち寿司屋やってるから、釣った魚を持ってきていいよ』って言ってくれて」
それがきっかけとなり、釣った魚を持ち込んでは、お店で自分で捌いたり、店主に捌いてもらったりと貴重な経験をした。ときには練習帰りにご飯を食べに立ち寄ることも。気づけば、店主とは親子のような関係になっており、まるで自分の息子のように可愛がられた。釣り場での偶然の出会いから、あたたかな人とのつながりへと広がっていった。
「寿司屋に行くと、いろんな人が来るんだよね。常連のお客さんたちも、『お!青木君じゃん!』って声をかけてくれて。『野菜持ってきたよ』とか『フルーツあるから持ってって』とか。最終的には、サッカーも応援してくれるようになって、すごく嬉しかった。あの4年間は濃かったって言えるのは、あの出会いがあったからだと思う」

そんなふうにして、いつしか彼は堂々と「趣味は釣り」と言うようになった。釣り道具へのこだわりも強く、リールを分解して中にオイルを指すなど、細かなメンテナンスも自分でこなす。そういったことも、これまで語ってきた"こだわり"とも通じる。だが、釣りに限っては、もはやその域を超えている。
「渋谷に加入して、最初の1、2か月は新潟に月1回行っていたんだよね」
日曜と月曜のオフを使って、なんと片道2時間かけて新潟へ。そこまでするのには確かな理由がある。
「釣った魚を食べる目的もあるから、やっぱり海の綺麗さで言ったら東京湾じゃちょっと厳しい。新潟の海のほうが全然綺麗だし、何より寿司屋のおじいちゃん、おばあちゃんに顔も見せたいんだよね。本当の自分の子どものように可愛いがってくれて、めちゃめちゃ応援してもらってるし」
その代わりに、若くて元気な自分が、できることをして恩返しをする。重い荷物を運んだり、高い場所の掃除を手伝ったり。ほんの些細なことかもしれないが、そこに込める思いはまっすぐだ。

そして普段の練習後には、ケアと筋トレを終えたあと、海を見ながら心を落ち着かせており、それが日課になっているという。
「俺、他の人とは熱量が強すぎて合わないんだよね」
もちろん、それはサッカーではなく、釣りに対する熱量のこと。
「例えばさ、『朝早く行こう』って言っても、みんな6時とか7時でしょ?でも俺は夜中の1時とか2時に出発するからね。毎回じゃないけど、それぐらい本気でやってる」
そこまでしてわざわざ夜に行く必要はあるのか?と聞き返すと、少し得意気に、食い気味でこう返ってきた。
「夜だと沢山釣れるんだよ。アジとかさ。半日くらいぶっ通しでやるよ。みんなそこまでして釣りをしたいと思わないじゃん?でも俺はそこまでして行きたい。っていうこだわりがある」

そして、そのとことん向き合う姿勢はサッカーとも重なるという。
「釣りもサッカーと一緒なんだよね。全部つながってる。潮の満ち引きがあるじゃん?そのタイミングで潮が動くと、魚の活性も上がって、ご飯を食べるようになる。そこで海に行って、どんなルアー(エサ)を投げて、どういう動きで誘うか。そういうのを常に考えながらやるから楽しいんだよね」
海の変化を読み取り、相手の動きを想像しながら、ベストな一手を選んでいく。ひたすら試行錯誤を繰り返すそのプロセスは、まさにサッカーと同じだ。
「あとやっぱり運だよね。特にフォワードなんてさ、どこにボールがこぼれてくるかとか、ごっつあんゴールとかさ、あれも予測とかセンスもあるけど、運も関係してるじゃん。
だからサッカーと釣りって似てるんだよね。釣り場に行くと堤防に人がずらっと埋まってて、その中でも釣れない人はいっぱいいる。俺はサッカーやってるから、そういうセンスとかは多分活かせてるだろうね。どこに立つか、どのポイントに入るか。でも、結局運もあるから、釣れるってことは"持ってる"ってこと。これマジで日頃の行いと関係あるよ。俺、自信あるもん」

飽きないんですか?と聞くと、間髪入れずにこう返ってきた。
「飽きないよ。もっと釣りたいんだよ、魚を。もうプロです」
怪我に悩まされた大学時代。そのイメージが強かったが、実はその4年間を彩っていたのは、「釣り」というもう一つの情熱だった。
寝る時間を惜しんででも、手間をかけてでも、本気で取り組む。そんなふうにして何かに夢中になれることは、彼の大きな武器であり、アイデンティティそのものだ。
俺は絶対大丈夫
まさかそこまで釣り好きだったとは、正直予想外だった。それが「こだわり」なのか、ただただ純粋な「好き」なのか。その境界は曖昧だが、おそらく両方なのだろう。
サッカー選手でなければ漁師になっていた未来もあったのではないかーーそんな冗談交じりの問いかけをしたが、それでも彼は大きく頷いた。
「本当にそうかもしれない。っていうか、周りからはよく『早いうちから仕事した方がいいんじゃない?』って言われるんだよね。それも一理あるなとも思うけど、俺は好きなことして生きていきたい。
寿司を握りたかったら寿司屋で働けばいいし、一番はサッカーで生きていきたい。自分の短い生涯の中で、自分の好きじゃないことに時間を使ってお金を稼ぎたいと思わない。もちろん有名になりたいっていう欲もあるけど、それ以上に今まで応援してくれた人たちに恩返しができる。
好きなことばっかりやって、他の人からは『逃げだ』とか思われるかもしれない。でも全然俺は気にならない」

その姿勢はなんとものびのびとしていて、とても自由だ。ただ、聞き手としてはひとつ疑問が浮かぶ。好きを追いかけるという生き方は、口で言うほど簡単ではない。お金のこと、将来のことなど、リスクは決して小さくない。不安にならないのかーーそう水を向けると迷わずハッキリと言い切った。
「そこが俺の強いところなんだよね。何事も、絶対なんとかなると思ってる」
それはただの強がりでも、無根拠な自信なんかではない。彼はこれまで、何度もキャリアの危機に直面してきたからだ。
「普通に考えて、大学4年で怪我して、サッカーもまともにできてない。そんな中で、サッカーを続けられる進路なんてひとつも見えてなかったんだよ。でも、俺は結局ここに来れた」
転機は思わぬ形でやってきた。彼が現在通っている、実家の近くにある接骨院で起きたこと。
「そこで元プロ選手の人と出会って、その人がいろいろ動いてくれて、最終的にマスさん(増嶋監督)とつなげてくれたの。だから本当にその人と出会ってなかったら、俺は渋谷にも出会えてなかった」

だからこそ、こう宣言する。
「絶対、俺には運が巡ってくるんだよね。絶対に何か持ってるし、最後は良い方向に向かっていく。だから将来のことも全然大丈夫だと思ってる。もちろんそれだけに甘えちゃうと駄目だよ。ひとりで何もできなくなっちゃうから。だから今料理とかも自分でやってるし。でも最後は、絶対に成功すると思ってる。
結局今回の仕事も、俺は新加入組よりも入り始めが少し遅かったから、運良くサッカーコーチっていう枠が空いてて。サッカーも好きだし、コーチも全然できると思ってるから。俺のやりたい方向に自然と進んでいる感じ」
幾度も「絶対」と言い切るその確信は、かつての怪我に対しても同じだ。
「怪我して、結果プロになれなくて悔しいけど、でも治ったし。その期間、サッカーできない葛藤もあったけど、俺は『オフがあったからラッキーだな』ぐらいに思ってるの」
将来を左右する大事なタイミングで、二度も怪我をしてしまったというのにも関わらず、楽観的すぎる。
「あ、そう。俺めっちゃ楽観的!引きずるわりには楽観的。自分がよければいいっていうか、『別によくない〜?』みたいな。
でもサッカーで自分がミスして『やっちゃったな』って本当に心から思うときは、めっちゃ引きずるんだよね。PKを外したとか、この前のEDO戦のシュートとか。あの時は『うわ、マジか』って落ち込んだね。
自分がこだわりを持ってるものに対して失敗した時には『うわ、やっちゃったー』って思う。それこそ釣りの竿折っちゃったとか」
でも、最後にはやっぱりこう言って笑う。
「落ち込むけど、結局めっちゃポジティブ!全部めちゃくちゃいい方に捉えられる。だから勘違いで結構いいところまでいったのかもしれない(笑)」
几帳面で繊細。それでいてこだわりが強い、ややこしい性格。本人も自ら「難しいよね」と認めるほど。だが、「これだけは」と語った次の言葉にこそ、何よりの魅力が詰まっている。

「必ず俺のところに転がってくる。そう思ってるし、信じてる。だから将来に対して不安はない」
誰よりも己を信じ抜く胆力と、かつての悔しさを反動に。そして何よりも、自分自身に期待をかける。絶対の自信をまとった天性のラッキーボーイに、次に転がってくるのはどんな幸運だろうか。
取材・文 :西元 舞
写真 :福冨 倖希
企画・構成:斎藤 兼、畑間 直英
UNSTOPPABLES バックナンバー
#1 渋谷を背負う責任と喜び。「土田のおかげでJリーグに上がれた」と言われるためにーー土田直輝
#2 頂点を目指す、不屈の覚悟。全ては世界一の男になるための手段ーー水野智大
#3 冷静さの奥に潜む、確かな自信。「自分がやってきたことを発揮するだけ、『去年と変わった』と思わせるために」ーー木村壮宏
#4 這い上がる本能と泥臭さ。サムライブルーに狙いを定める渋谷の捕食者ーー伊藤雄教
#5 問いかける人生、答え続ける生き様。「波乱万丈な方へ向かっていく。それがむしろ面白い」ーー坪川潤之
#6 サッカーが導く人生と結ぶ絆。ボールがくれた縁を、これからも。ーー岩沼俊介
#7 楽しむことを強さに変えて。夢も、欲も、まっすぐに。ーー小沼樹輝
#8 誰かのために、笑顔のために。誇りと優しさが生む頂点とはーー渡邉尚樹
#9 九州で生まれた男の背骨。「やっぱり男は背中で語る」ーー本田憲弥
#10 選手として、父として。見られる過去より、魅せたい現在地ーー渡邉千真
#11 余裕を求めて、動き続ける。模索の先にある理想へーー宮坂拓海
#12 この愛に、嘘はない。激情と背中で示す覚悟の真意とはーー鈴木友也
#13 憧れた側から憧れられる側へ。ひたむきな努力が導く、まっすぐな未来ーー大越寛人
#14 楽しいだけじゃダメなのか?渋谷イチの苦労人が語る「俺は苦しみに慣れちゃってる可能性がある」ーー高島康四郎
#15 かつて自分も”そっち側”だったからこそ、わかる。「もう誰のことも置いていきたくない」ーー志村滉
SHIBUYA CITY FC
渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ。「PLAYNEW & SCRAMBLE」を理念に掲げ、渋谷の多様性を活かした新しく遊び心のあるピッチ内外の活動で、これまでにないクリエイティブなサッカークラブ創りを標榜している。
渋谷駅周辺6会場をジャックした都市型サッカーフェス「FOOTBALL JAM」や官民共同の地域貢献オープンイノベーションプロジェクト「渋谷をつなげる30人」の主宰、千駄ヶ谷コミュニティセンターの指定管理事業など、渋谷区での地域事業活動も多く実施している。
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