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器用貧乏?いや、今は違う「俺の中に神様はもういない」ーー青木竣【UNSTOPPABLES】 #19

2025年7月18日

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「学生のときはずっと、自分の中に”神様”がいると思ってた。その神様に恥ずかしくない行動をしようっていつも考えてた」


これといって特別な成果や実績があったわけではない。どちらかといえば目立たず、結果を見れば普通と言われても仕方ないかもしれない。それでも、心の中の”神様”を頼りにここまでやってきた。


【UNSTOPPABLES~止められない奴ら~】

昨シーズン、関東2部への昇格を決めたSHIBUYA CITY FC。その栄光の背後には、ただの勝利以上のものが隠されていた。選手たちの揺るぎない自信と勢いは、彼らの人生に深く刻まれた歩みから来ている。勝利への執念、それを支える信条。止まることを知らない、彼らの真の姿が、今明らかになる。


第19回は、今シーズン加入の青木竣。自らの内面に真摯に向き合いながら、独自のペースで成長を続ける挑戦者に迫る。


青木 竣(あおき しゅん)/ MF

1998年4月14日生まれ。東京都世田谷区出身。171cm、64kg。幼少期は桜SCからVERDY AJUNTでプレー。高校は福島県の強豪である尚志高校へ進学し、その後は神奈川大学へ進学。卒業後はジョイフル本田つくばFCに加入し3年半在籍。2023年夏にはヴィアティン三重に移籍し半年間プレー。今シーズンよりSHIBUYA CITY FCに加入。両足を使いこなすキックと豊富な運動量で、アシスト力を備えたサイドプレーヤー。



自分の武器って?


自分をひと言で表すなら、なんと言おうかーー。


そんな問いをされたとしたら、青木は「器用貧乏」と答えるだろう。なんでもそつなくこなす反面、思うように評価されなかったり、自分の努力と正反対の評価を受けることも少なくなかった。


「両足で蹴れることが特徴だけど、それを発揮できる局面ってあまりない気がする。セットプレーのキッカーだって、左足・右足のスペシャリストがそれぞれいる。俺はどっちも蹴れるから、そのスペシャリストに負けないつもりで練習してるんだけど、結局、全部平均値くらいかな。


だから今はまだ発展途上で、伸びしろがある段階。誰だって中途半端な時期はあるし、自分はそのレベル上げの最中だと思ってる」


それでも、「得意なプレー」や「みんなに見てほしいプレー」を書くプロフィール欄には、いつもなんて書こうか、迷ってしまう。これといった武器や特徴がないからだ。


それは、今に始まったことではない。大卒で加入したジョイフル本田つくばFC(以下、つくば)で3年半、ヴィアティン三重(以下、ヴィアティン)で約半年。長らく社会人チームでプレーしてきた青木にとって、目に見える結果は多くなかった。


つくば1年目の出場時間は、たったの3分。ラストワンプレーでピッチに送り出され、ゴールキックが蹴られた瞬間に試合が終わったこともあるそう。


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それでも彼には、クラブを離れる際には必ずと言っていいほど、周囲から評価されてきたことがある。


たとえば、つくばに加入した1年目。当時の監督は、水戸ホーリーホックのレジェンドとして知られる人物だった。現役引退後に指導者へ転身し、つくばで監督としてのキャリアをスタートさせた。青木はそのシーズン、出場機会には恵まれなかったが、監督が水戸へ戻る前に、こんな言葉をかけられたという。


「お前の練習に対する姿勢は、すごくちゃんとやってる。俺も使いたかったけど、チームとの兼ね合いで試合に出せなかった。でも、そういう姿勢は絶対にやめないで続けていってほしい」


ヴィアティンを離れるときも、同じような言葉を監督からもらった。チームメイトからも、「竣だったら紹介したいと思うから、もしチームが決まらなかったら言って」という言葉をもらった。


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一方で、青木本人は「周りの人に恵まれてきただけ」と謙虚に語る。だが、「竣だったら」と言わせる信頼の厚さや、指導者たちからの一貫して寄せられる評価の高さは、それだけでは説明がつかないものがある。


そう伝えると、何かを思い出したようなトーンでこう口にした。


「学生のころは置いといて、社会人としてのサッカーキャリアは、公式戦の出場数もそんな多くない。それでもいろんなチームでプレーできているのは、自分で言うのもあれだけど、日頃の積み重ねや毎回の練習に対する姿勢が評価されてきたからだと思ってる」


では、その姿勢とは一体どんなものなのか。話は少し、昔の記憶へとさかのぼっていく。



己と向き合うために


つくばでの夏のリーグ中断期間中、サッカースクールで仕事をしていたある日。その隣のコートでフットサルが行われているのを見ていると、そこには見覚えのある人物がいた。かつてつくばのセカンドチームで監督をしていた指導者で、当時はヴィアティンで分析官を務めていた人物だった。


偶然の再会がきっかけでヴィアティンの練習参加に誘われ、そこから約2週間ほどでトントン拍子に話が進み、8月には正式にヴィアティンへと移籍した。


そんな中で、クラブとの契約手続きにおいて、これまでにない驚きがあった。移籍にあたって、契約期間や報酬の詳細が書面で提示されたのだ。


これはいたって普通のことだが、契約書に目を通しながら、彼は「こういうふうにちゃんと書いてあるものなんだ」と感じたという。契約前に紙で内容を確認できることが彼にとっては新鮮だった。


提示された契約は、1月末までの半年契約。彼はそれが普通だと思い、特に疑問を抱かずに契約を結んだ。


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だが、入団後にチームメイトと話すなかで、思わぬ指摘を受けた。


「夏加入で半年契約?ふつう1年半で交渉するよ」


Jリーグ経験のある先輩たちは、そんな契約交渉を当たり前のようにしてきていた。その言葉を聞いたとき、彼は初めて「やらかしてしまった」と痛感したという。


「1年半あれば、最初の半年でチームに慣れて、次のシーズンで勝負ができる。でも自分は、半年で一度契約が切れる。そこから更新してもらえるかどうかっていう立場で入った。ミスだったというか、足元を見られたような感じだった」


それでも、死に物狂いで頑張ることには変わりはなかった。半年で結果を残し、契約を更新してもらえればいいだけの話だったから。


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サッカー選手たるもの、練習前の準備は基本中の基本だ。練習が始まる前に身体やコンディションを整え、気持ちを作っておく必要がある。青木の場合はその準備の一環として、前日の夜にノートを開くようになった。翌日の行動目標や意識すべきポイントを整理し、明確な心構えを持って練習に臨もうと、自分なりの工夫だった。


だが、問題はそこからだった。


夜のうちはモチベーションも高く、「明日はこう動こう」「こういうプレーを意識しよう」と意欲的になれる。しかし、翌朝目が覚めると気持ちは一変しており、前夜に描いた意識の高さを保ったまま練習に向かうことができなかった。


寝ぼけているわけでも、単に朝が苦手というわけでもない。自分でもうまく説明できない気持ちのズレが、どうしても解消できなかった。


「試合にすら出ていないのに、練習に対するモチベーションがないなんて言ったら、『お前やばいよ。もう辞めた方がいいよ』って言われると思ったから、誰にも相談できなかった。だから最低限の気持ちを保ちながら練習に臨んでいたんだけど、どうしても夜の自分に追いつけなかった。それは何よりの自分の弱さだったかもしれない」


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そんなある朝、ジョギング中に、チームメイトである谷奥健四郎に思い切って打ち明けてみた。経験豊富で、物事を論理的に考えるタイプ。話すならこの人だと思った。


とはいえ、内心は不安だった。「そんなやる気のないこと言うなよ」と怒られるんじゃないかーーそんなことが頭をよぎったそのとき、谷奥から返ってきたのは意外なひと言だった。


「お前、面白いことに気づいたね」


そう言って、谷奥は続ける。


「昔読んだ本に書いてあったんだけど、前の日の夜の自分と、次の日の朝の自分って、別人らしいよ。たとえば、夜中に書いたラブレターを朝に読み返すと恥ずかしくなるとか、夜に勢いで買ったものが朝にはいらなくなることと一緒。だからそれはおかしいことではない。むしろ普通なんだよ」


ずっと自分の弱さだと思っていたことが、「普通のこと」だと理解できた瞬間、心の持ちようが大きく変わり、救われたような気持ちになった。


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さらに、同じチームメイトの篠原弘次郎にも同じように相談した。すると篠原は即答した。


「そんなの簡単だよ。夜9時半に寝て、朝5時半に起きろ」


その理由も、実に明快だった。朝5時半に起きれば、9時の練習までの約4時間で、しっかり気持ちを整えられる。早起きして音楽をかけ、コーヒーを飲む。早めにグラウンドに着いて、筋トレや準備を済ませ、夜9時半には就寝ーーそれが習慣になれば、気持ちの波も自然に安定してくるというのだ。要するに、規則正しい生活をしろ、ということだった。


「その人はもう、男らしいパッション系のタイプで。加地亮さんとファジアーノ岡山で一緒にプレーしてたときに、加地さんが朝5時半にマネージャーにクラブハウスを開けてもらって、お風呂に入ったり筋トレしたり、準備をしていたらしいんだよね。それを見て、『一緒にやっていいですか?』ってお願いして、そこからずっと同じ生活を続けていたらしい。


俺はずっと、朝早く起きるっていう選択肢を自然と消してたんだと思う。仕事もあったし、早く寝るのって結構難しいから、12時に寝て7時に起きる生活をしてた」


だがその話を聞いてから、まずは夜9時半にベッドに入るために、逆算して行動するようになった。仕事を終えたらすぐに帰宅し、自炊や洗濯をスムーズにこなす。生活をルーティン化し、遅くとも11時には寝るように意識して切り替えた。朝は5時半に起き、音楽をかけてコーヒーを入れ、ゆったりとした時間を過ごす。


そうした生活を続けたことで、つくば時代からずっと抱えていたモヤモヤを解消することができた。


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そしてもうひとつ、今でも大切にしている習慣がある。それは「書くこと」だ。


日記と呼ぶには簡素なものだが、「今日の自分のあり方」と「なぜサッカーをするのか」。この2つの問いだけは、毎朝欠かさず向き合い、ノートに記しているという。これも夜に書くのではなく、必ずその日の朝に書く。先ほどの理由と同じで、眠る前ではなく、目が覚めたときの「今の自分」で向き合いたいからだ。


「今も持ってるよ」と言って、彼はリュックの中から2冊のノートを取り出して見せてくれた。少し丸みのある丁寧な文字で、ほんの数行ほどだが、日々の思いや感じたことが綴られている。中には、YouTubeで見つけた心に残った言葉や歌詞も記されていた。


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加えて、この記録にはちょっとしたルールがある。前の日の内容は読み返さないというのだ。


「一日一日が別人みたいなものだから。前の日の自分に影響されないように、その日の自分の考えていたことを書く。今日の自分のあり方とか、練習に対する姿勢をもう一度明確にしてから練習に行くようにしてる」


一日一日が別人ーー谷奥に教えてもらった考え方に通じるものがある。


そして青木は、きつい練習の日でもマイナスな言葉を使わないと決めている。メンタルトレーニングを勉強してからは、普段使っている言葉がメンタルやマインドに大きく影響することに気づき、無意識に使っていたネガティブな言葉を、できるだけ口にしないよう心がけている。


自分が本心で思っていなくとも、その場の雰囲気や相手に合わせて言ってしまうことはある。だが、それに流されないようにするために、朝に自分と約束する。


「たとえば、(小関)陽星から『昨日の練習はきつかったですね』とか『今日の練習きつそうじゃないですか?』って言われたとしても、『まあ、いつも通りじゃない?』って返す。そうすると陽星は『おっ、おう……』って戸惑うけど、自分との約束は守らなきゃいけないから。気まずさは少しあるけど、陽星ならいっかと思って(笑)ナベ(渡邉尚樹)からも似たようなことを言われるときもあるけど、『もうやるしかなくね?』って返してるかな。


言葉や考え方には癖があるから、強引にでも意識的に変えていかないと変わらない部分がある。だから朝にそういう時間を作ることは習慣化してる。それはどのチームにいっても変えたくないし、周りがやっていなくても、自分の基準でやらないとダメだなって思ってる」


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そう言って、あるスピリチュアルな表現が飛び出した。


「学生のときはずっと、自分の中に”神様”がいると思ってた。その神様はもう1人の自分みたいな存在で、その神様に恥ずかしくない行動をしようっていつも考えてた」


それは本田圭佑の「リトルホンダ」に似た、内なる声との対話だった。信じるものを外に求めるのではなく、自分の中に置くことで行動の指針にしてきた。


「例えば、炭酸やスナック菓子を食べるのをやめようって自分でルールを作るとする。誰も見てなければ食べちゃうけど、俺の中にいる神様は見てるから、やめとこうって思える。ゴミだって落ちてたら拾うし、結局は自分の捉え方なんだよ。


そしたら最近になって『メタ認知』って言葉も出てきて、物事を俯瞰してみることだって知って、そういうことだったんだって腑に落ちたんだよね。なんかもう……自分の中にしか答えがないなって。結局、俺は全部自分事として捉えるところがあるんだと思う」


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頑張った"ご褒美"


そう話しながら、つくばからヴィアティンに移籍したことも、よかったと振り返る。あと一歩でJFL昇格を逃したものの、そのレベルまでいくと個人昇格を果たすチームメイトは何人かいた。


青木は4年目での昇格を目標に掲げ、チームに残る決断をした。だが、翌年も同じようにうまくいくとは限らなかった。リーグ戦でも、全社(全国社会人サッカー大会)でも結果を残せず、シーズン途中で抜けることはあまりいい印象を与えないことも理解していた。


「でも監督をはじめ、つくばでお世話になった人たちからは『向こうから声をかけてもらったことだし、ステップアップだからチャレンジしていいよ』って快く送りだしてくれた。その言葉がすごく嬉しかったし、自分の行動をちゃんと見てくれる人もいるんだなって思った。そういう経験の積み重ねが自信になっているから、まずは最低限やるべきことをやって、プラスアルファで結果にこだわっていかなきゃいけないと思ってる」


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だからこそ、渋谷ではさらに一皮むきたいと、強く意気込んでいる。


「高校時代もヴィアティンのときも、過程を見てくれて結果もある程度ついてきてたからうまくいってた。でも多分マスさん(増嶋監督)の価値観は、ピッチで結果を残すことを何より大事にしている。俺はそう感じている。


ただ、そこを意識しすぎて空回りしちゃうことも、今までの経験上あり得ることだから、そこは気をつけつつ、その塩梅を見つけられたらいいなって。それがいいか悪いかは、人それぞれの解釈や価値観によるけど、俺は感覚でやるよりも考えてやってきたタイプだから」


つくばでの3年半は自分なりにできることを積み重ねてきた。その結果として、半年だけとはいえ、ヴィアティンから声かけてもらい、あの環境でプレーできたことは、ある種、つくばでの3年半の”ご褒美”のようにも思えたという。


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そして今、渋谷という新たな環境で、増嶋監督や三原雅俊コーチのもと、Jリーグでの実績がある渡邉千真、岩沼俊介、楠美圭史、坪川潤之らといった選手たちと一緒にプレーできている日々。大卒でどこのチームにも決まらなかったあのときの自分からすれば、まるで夢のような環境だ。


「前所属はJFLのヴィアティンだけど、今は関東リーグにいる渋谷でやれてる。カテゴリー的には下がってるけど、自分のなかではうまくいってるし、今までやってきたことの積み重ねがあったからこそ、やっとここでプレーできてる。だから神様が与えてくれた、次のステップへ進むための期間だったのかなって思ってる」


上には上がいる。でも、下を見ればいくらでもプレーできる場所は無限にある。だからこそ、今渋谷でサッカーができていることは決して当たり前ではないと、日々実感する。


「渋谷はもっと上を目指せるチームだと思うし、個人としても上に行ってプレーできる選手がたくさんいる。そんな環境でやれてるから、それは今まで自分が積み重ねてきたものに対して自信を持っていいかなっていうふうに、やっと思えるようになった。


試合で結果を残せなければサッカー選手としてはダメだけど、俺はこれまで褒められてきたところを変える必要はない。やってきたことを続けたうえで結果を出さなければ、この年齢までサッカーをやってる意味はないと思ってるから。


だから、自分が積み重ねてきた過程を結果に結びつけて、チームの勝利や目標の達成に貢献することにもっとフォーカスしなければいけない」


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まずは自分にフォーカスを


自分にベクトルを向けてきた分、ここまでサッカーを続けてこられた理由も、やはり同じところにある。


「もちろん、今まで応援してくれてた人たちに恩返ししたい気持ちはある。でも自分にとってはそこが一番ではない。結局は、自分が”こうなりたい”とか、”こんなプレーができるようになりたい”、”こんな選手になりたい”っていう気持ちが大きくて。自分の理想の姿を追いかけてるし、それができれば、自然と周りにも恩返しができると思ってる」


「悪い言い方をすると、自分のことしか考えてないんだけどね」そう謙遜しながらも、まずは自分を省みることで、それが後に誰かのためになると信じている。


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思い返せば、大学の学費は祖父が出してくれた。だが、社会人になってサッカーを続けることには猛反対された。


「『せっかくの新卒の肩書を使わずにサッカーなんて、もったいない。なんで就活はしないんだ?』って、しょっちゅう電話がかかってきてた。でも俺はサッカーを続けるって決めてたから、『サッカーやるって言っても、働かなきゃいけないだろう』って言われても、『あ〜、まあね?』ってずっと濁してた。でも結局3月までチームも決まらなくて、めちゃめちゃ心配されたけど、俺の中ではこれでいいって思ってた」


たとえ4月になってチームが見つからなくても、アルバイトをしながらサッカーができる場所を見つけて、そこから上を目指せばいい。そう考えていた彼には、焦りなんてものはなかった。


「でも別に、焦ってないことをわざわざ周りに言おうとも思っていなかったし、それは自分だけが分かっていれば十分だった。結果的に、自分が楽しく、普通に生活できればそれでいいと思ってたから。


でも現実的に難しいかもしれないけど、Jの舞台で活躍することは今も諦めてない。サッカーを続けていること自体が、誰にも止められないから」


とはいえ、その思いを公言することはない。目指す場所が自分の中ではっきりしていれば、わざわざ言葉で証明する必要なんてないのだ。


そのブレない思考は、サッカーに向き合う姿勢にも通じている。


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「今もそうだけど、試合に出れてない現状とか結果って、他の人からしたらそこでしか俺の頑張りは見えないじゃん。『出てないんだ。こいつもうダメなのかな』とか『落ち込んでるのかな』って思われるかもしれない。


もちろん俺も悔しさはあるよ。でも、落ち込むのとはまた別の話。試合に出てないからといって、上を目指せないとは思ってないから」


サッカー選手として成長するためには、より多く試合に出て経験を積んだほうがいい。だが、それはあくまで自分が成長するための手段のひとつだという。


「試合に出たら、責任感を持ってチームのために戦わなきゃいけない。でも、それも含めて俺は試合を、技術を発揮できるようになるための練習の場だと思ってる。だから試合に出れなかったら、それ以外のところで出てる人よりもやればいいだけなんだよね」


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そして、試合に出られない選手の気持ちにも目を向ける。


「試合に出られなくて悔しかったり、イライラしたり、落ち込んでいる人の気持ちのどこかに、”周りの目”を意識してる部分は多少はあると思ってて。応援してくれてる人からしたら、試合に出れない選手って、やっぱりちょっと残念だとか、同情する気持ちはあるじゃん。


SNSのメンバー発表の名前にも載ってなかったりすると、『あ、メンバー外で試合に出れないんだ』って思われて、恥ずかしさは少なからずあると思う。でも俺は、そういう落ち込みって、正直あんまり意味ないと思ってるんだよね」


もちろん、そのときのチーム内での評価が現れていることはある。でも、他人からどう見られているかという話になると、話は別だ。


「たとえば、シーズン終わったときに試合に出ていたら、今週の試合でメンバー外だったこと、6月の試合でメンバー外だったことを、10月に誰が覚えてるの?って思う。


だから考え方を変えて、シーズンの最後に笑ってればいいだけ。たとえ試合に出れなくても、それだけはどんな状況でもできること。試合に出られなかったからって、一喜一憂しない。


どうしたら試合に出られるかって考えると、目的が『出場すること』になっちゃう。でも、成長を目的に頑張れば、試合に出ることはその通過点になるって俺は思ってる。どんな状況でも、成長を意識して目指すことが大事だなって」


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「俺はずっと、ポイントポイントで結果を残してここまで来てる。だから、その原動力は本当に自分にしかない。


ただ、目指す先では周りに何かを与えたいとは思ってるよ。でもまだそこにたどり着いていないのに、周りに何かを与えようとしても説得力がない。だから俺が引退するときに、やってきたことにある程度の説得力を持って、何か残すにために今やってる。


影響力を与えられる人間になる手段なんて、俺はもうサッカーしかないから」


誰かに勇気や活力を与える人間になるためにーーその理想は、あくまで先の話だ。今はまだ、その準備をしている段階にすぎない。



神様はいったいどこに


青木は1998年生まれ。渋谷の同期には、土田直輝、鈴木友也、山出旭、高島康四郎、木村壮宏といった顔ぶれがそろう。


そんな同期たちのことを、こう評する。


「みんなクセは強いけど、どこのチームにいっても、98年組は本当に優秀な代だと思ってる。つくばのときもヴィアティンのときも同期がいたけど、みんなキャラが濃くて、サッカーも上手くて、すごく刺激的だった」


強い個性が集まる集団で、自分がどう立つのか。そのなかで見えてきた、自分にしかない強みはここにある。


「俺は一番自分にベクトルが向いてると思うし、そうでありたい。時には外に向いちゃうこともあるけど、それでもちゃんと自分と向き合えるのは、このチームで一番だと思ってる」


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そしてもうひとつ、青木には大切にしていることがある。


「誰に対しても優しくありたい。どんな時でも、いい声をかけたい。


やっぱりマスさんとか友也、旭は厳しめに言うタイプで、それもひとつの締め方だとは思ってる。でも、俺はその逆をいきたい。誰かが厳しく締めてくれているなら、ちょっと落ちている雰囲気を自分が盛り上げて、チームのバランスを取る。そんな役割があってもいいんじゃないかなって。


でも、まだ自分もできないときは全然あるし、やっぱり自分の心に余裕があるかどうかで、それができるかできないかに大きく影響するから。だから、いつでもそういう対応ができるように、自分の心を整える状態でいることを心がけたいし、そうなりたいとも思ってる。


誰かに何かを伝えるっていっても、自分の価値観だけを押し付けても響かないし、最後はその人自身の問題になっちゃうけどね。でもだからといって、見捨てたり、ただ自由にさせるのは違う。渋谷に来たからには、何かしらのアプローチはするべきだなって思うようになったかな」


「もう27歳だからね」とさらりと言ったが、その言葉とは裏腹に、年齢以上に大人びた視点と広い視野を持っている。童顔で実年齢よりも若く見えるが、物事を俯瞰して捉えられる冷静さも併せ持つ。


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そして、年下の選手たちが持つ、若さ特有のチャレンジ精神や大胆さからは、学ぶ意欲を忘れない。

「陽星とか(河波)櫻士はいろんな場面で発言できるから、そこはリスペクトしてる。必要な時にそういうことができて、なんでもこなせるようになったら一番強いから」


そう話す青木に、それはとても器用な状態になるのではないかと伝えると、「でも、それが中途半端になったら器用貧乏になるから」とキッパリ返ってきた。


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そんな自己理解があるからこそ、最近は左足のシュートに力を入れているとのこと。


「ヴィアティンでも一目置かれていたというか、シュート練習でもキーパーからの評価は高かった。他の人と差別化できる、自信を持てる武器なのかもしれない」


つくば時代には、火曜日のスクールの仕事終わりに、ジュニアユースのキーパーの子どもたちがゴールに入ってくれて、彼がひたすらシュートを打ち続けるという時間があった。千本ノックのように、黙々と左足を振り続けた。


「それを毎週やってて、本当に磨きがかかった。最初は子どもたちもまったくスピードについてこれなかったんだけど、数こなしているうちに、だんだん反応してきたりするんだよね。だから難なく決めたい気持ちと、反応される悔しさ、でもそいつらが伸びていくのが嬉しくて。当時キーパーやってくれた子が中3だったんだけど、その子が青森山田に入ったりして、そういうのはなんか嬉しいんだよね。自分の努力がつながってる感じもあって。


そこはやっぱり、他の人がやってない数を、左足のシュートで積み重ねてきたからこそ、身についたし自信にもなってる」


上手くなりたい、という気持ちよりも、ただ楽しいからやってこれた感覚が強かった。気づけば数をこなしていて、磨きがかかっていた。


またパッとひらめいたように笑顔になり、こう宣言する。


「左足は何回振っても疲労がこなくて、どうやら丈夫にできてるらしい(笑)今度からは、アピールポイントに”左足のシュート”って書ける!」


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そして最後に、また最近、あらためて気づいたことがある。自分の武器を磨くことも、自分にベクトルを向けることも、真摯に続けてきたからこそ、見えてきた感覚だ。


「自分の中に神様はもういないと思ってる。たぶん、もう必要なくなったから。それが大きな変化かもしれない」


かつて自分を律し、導いてくれたもう一人の自分と知らぬ間にお別れだ。別れられたのも、誰よりも一番自分と向き合うのが当たり前になったからだ。


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”神様”がいなくとも、もう大丈夫。矢印はいつだって、自分の内側にあるのだから。



取材・文 :西元 舞 

写真   :福冨 倖希

企画・構成:斎藤 兼、畑間 直英

UNSTOPPABLES バックナンバー

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#2 頂点を目指す、不屈の覚悟。全ては世界一の男になるための手段ーー水野智大

#3 冷静さの奥に潜む、確かな自信。「自分がやってきたことを発揮するだけ、『去年と変わった』と思わせるために」ーー木村壮宏

#4 這い上がる本能と泥臭さ。サムライブルーに狙いを定める渋谷の捕食者ーー伊藤雄教

#5 問いかける人生、答え続ける生き様。「波乱万丈な方へ向かっていく。それがむしろ面白い」ーー坪川潤之

#6 サッカーが導く人生と結ぶ絆。ボールがくれた縁を、これからも。ーー岩沼俊介

#7 楽しむことを強さに変えて。夢も、欲も、まっすぐに。ーー小沼樹輝

#8 誰かのために、笑顔のために。誇りと優しさが生む頂点とはーー渡邉尚樹

#9 九州で生まれた男の背骨。「やっぱり男は背中で語る」ーー本田憲弥

#10 選手として、父として。見られる過去より、魅せたい現在地ーー渡邉千真

#11 余裕を求めて、動き続ける。模索の先にある理想へーー宮坂拓海

#12 この愛に、嘘はない。激情と背中で示す覚悟の真意とはーー鈴木友也

#13 憧れた側から憧れられる側へ。ひたむきな努力が導く、まっすぐな未来ーー大越寛人

#14 楽しいだけじゃダメなのか?渋谷イチの苦労人が語る「俺は苦しみに慣れちゃってる可能性がある」ーー高島康四郎

#15 かつて自分も”そっち側”だったからこそ、わかる。「もう誰のことも置いていきたくない」ーー志村滉

#16 絶対の自信を纏う、超こだわり屋のラッキーボーイ「必ず俺のところに転がってくる。そう思ってるし、信じてる」ーー青木友佑

#17 SHIBUYA CITY FCに人生を懸けた男「俺をこんなにも好きにさせた、このクラブが悪い!」ーー植松亮

#18 絶対に壊されたくない、やっと思い出せた楽しさ「副キャプテンを降ろさせられるんだったら、それでもいい」ーー楠美圭史


SHIBUYA CITY FC

渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ。「PLAYNEW & SCRAMBLE」を理念に掲げ、渋谷の多様性を活かした新しく遊び心のあるピッチ内外の活動で、これまでにないクリエイティブなサッカークラブ創りを標榜している。

渋谷駅周辺6会場をジャックした都市型サッカーフェス「FOOTBALL JAM」や官民共同の地域貢献オープンイノベーションプロジェクト「渋谷をつなげる30人」の主宰、千駄ヶ谷コミュニティセンターの指定管理事業など、渋谷区での地域事業活動も多く実施している。


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