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考えたからこそ、”あえて”何も考えない「今日もやっちゃおーよ」ーー小関陽星【UNSTOPPABLES】 #20

2025年7月25日

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「今まで戦術とかチームのやり方とかで、どう自分の強みを出すのかっていうのは迷いがあったけど、ようやく何も考えずに本能でプレーできるようになってきた」


これは今季リーグ第7節・エスペランサSC戦の試合前日に行ったインタビューでの小関のコメントである。普段は何も考えずに感覚でプレーしているという彼が、「ようやく」という言葉をこぼしていたことが印象的だった。


どういった心境の変化があったのかを尋ねると、淡々とこう答えた。「楽しむことの再確認をした。考えすぎない。負けたくない。それだけです。余計なことは考えない」と、シンプルながらも、その裏には彼なりの葛藤と試行錯誤が隠されているように感じた。


【UNSTOPPABLES~止められない奴ら~】

昨シーズン、関東2部への昇格を決めたSHIBUYA CITY FC。その栄光の背後には、ただの勝利以上のものが隠されていた。選手たちの揺るぎない自信と勢いは、彼らの人生に深く刻まれた歩みから来ている。勝利への執念、それを支える信条。止まることを知らない、彼らの真の姿が、今明らかになる。


第20回は、”感覚”でプレーする男、小関陽星。試合前後のコメントではいつも「感覚でやってます」とサラリと言うが、それは生まれ持った才能なのか、それとも悩みや苦しみを乗り越えてたどり着いたスタイルなのかーー。


小関 陽星(おぜき ようせい)/ FW

2000年4月18日生まれ。東京都町田市出身。169cm、64㎏。町田高ヶ坂SC 、 町田JFCを経て、関東第一高校へ進学。1年時から注目のドリブラーとして活躍し、一時はボランチも経験。その後は桐蔭横浜大学へ進み、卒業後は藤枝MYFCに2年間在籍。今季より、SHIBUYA CITY FCに加入。相手の逆を突く果敢なドリブル、カットインから放たれる左足のシュートでチャンスを生み出す攻撃のキーマン。



「ガチで自分のことを天才だと思っていた」


中学時代の小関といえば、絶対的な自信に満ちあふれていた少年だった。その自信は並々ならぬもので、サッカー界の頂点に君臨するあのスターと自らを同じレベルだと信じていたほどだ。


「本気で俺、メッシとあんまり変わらないんじゃないか、本当にメッシと同じくらい上手いんじゃないかって思ってた。ガチで自分のことを天才だと思っていたし、自分よりうまい人なんて、いないんじゃないかって。


自分のことを天才だと思っていたもんだから、試合前とか練習前のボードとかあるじゃん?それを見なくても、スタメン発表を聞かなくても、100%自分はスタメンで出れるってわかってた。練習のパフォーマンスなんか気にしたもことなかったし、プレッシャーを感じたこともなかった」


では、そんな強気な思い込みはどこから生まれてきたのだろうか。それは当時の彼の中にあった、「サッカー=ドリブル」というきわめて単純明快な思考回路にあった。


「そのときのチームはパス禁止みたいな戦い方だったから、全員ドリブルしかしないようなとんでもないチームで。自分がドリブルをしたら相手にボール取られなかったし、本当に全員抜けてそのまま点取れてた。パスなんて知らなかったし、自分でもドリブルはマジでうまいなと思ってたから、『サッカーってドリブルなんだ!』ってずっと思ってた」



そのスタイルは高校に進んでからも変わらず、ひたすらに自らの感覚を貫いた。その活躍ぶりは衰えを知らず、実力は自他共に認めるところとなり、まさにチームの中心的存在だった。


自分のやりたいプレーを思うように出せば、自然と結果がついてくる。そんな当時の自分を、彼は「王様だった」と振り返る。ただし、それは横柄な態度や傲慢さを意味するわけではなく、事実としてチームの中心にいたということだ。


「戦術の中心が俺だったから、監督が『陽星に早くパスを出せ』って言ってたし、いくら自分がボールを長く持っていても、周りのやつからも『早く出せ』なんて言われることもなかった。だからめっちゃやりやすかったね」


小関に任せとけば大丈夫ーーそんな空気があったなかで、のびのびとプレーができた。事実、それで勝利に貢献していたのだから、誰も文句の言いようがなかった。そしてその中で磨かれたドリブルの技術は、今でも変わらず彼の武器であり、プレーの核となっている。



こんなふうに、一見すると天才肌のように見える彼だが、それに見合うような努力もあった。その秘訣は「圧倒的な量」だった。


「小さいときから365日毎日、お盆も正月も、旅行先でもボールを持って行って、お父さんに朝起こされて、一緒に朝練してた。お母さんは『お正月ぐらい家族の時間にしなさい』って怒ってたけど(笑)


それもあってか、自分の中では努力をするというより、『人より量はやらないといけない』っていう習慣が身についた。意識的に頑張ろうとするんじゃなくて、それが普通というか、当たり前だったんだよね」


実は彼の父は、かつて実業団で活躍していた元マラソン選手。競技は違えど、アスリートとしての観点から、結果を出すために必要なことを熟知していた。


「お父さんはサッカーのことは無知識だったけど、まず量を積まないと上にいけないことをちゃんと知っていた。だから妥協はマジでしない人だった」


そんな父の存在が、彼に努力を習慣にする力を与えてくれたのは間違いない。積み重ねることの大切さを、身体にしみ込むほど叩き込まれたからこそ、必然的に自信に溢れていた。



だが、順風満帆だった日々にやがて陰りが差す。


「ドリブルに特化しすぎて、大学ではかなり苦しんだ。みんなが中学の時に学んでたものをやっと学び始めたから。本来のサッカーを学ぶのが遅かったぶん、苦しんだかな。


大学に行っても、自分が王様でやらせてもらえたらいいけど、ドリブルしてたら『お前、早くパス出せよ』って言われるし、監督からは『球離れが遅い』って指摘された。そこで初めて『あ、俺の武器は武器じゃないんだ』って気づいた。だからようやく普通のサッカー選手っぽくなれたね」


これまで当たり前のように手にしてきたスタメンの座は奪われ、突如としてベンチを温める日々へと変わった。1年時には目立った活躍もできず、ベンチで試合を眺めている光景が夢にまで現れ、そのまま目が覚めることもあった。要はそれほどまでに悔しかった、ということだ。



一時は不貞腐れることもあったが、そんな苦しい状況に直面したことで、初めて他者の立場で物事を考えられるようになった。


「めっちゃ愚痴りまくったけど、そのときに初めて、試合に出られない人たちの気持ちがわかった。高校のときは『なんであんなに監督に文句ばっか言ってんだ?』って思ってたし、自分が試合に出れないことはなかったから、出られない人の気も知れなかった。


だから大学で『ああ、こういうことだったんだ』ってようやく理解した。出れなくても必死に練習を頑張ってる人たちのすごさも知ったし、出られないのもきついんだなって。俺はどんな状況でも頑張るのなんて当たり前だろって思ってたけど、そんな簡単なことじゃなかった。だから高校の時の俺の振る舞いは間違ってたんじゃないかって、心配になったよね」


全国から選りすぐりの猛者たちが集まる大学の舞台で、彼は出鼻をくじかれ、かつての自分の考えを恥じることになった。しかし、その挫折は大きな視点をもたらし、物事の見方を変える貴重な収穫となったのだ。



たぎらせすぎた2年間


「(志村)滉も同じことを言ってたと思うけど、本当にどん底だった」


そう表現した、人生で最も苦い思いを味わった藤枝MYFC(以下、藤枝)時代のこと。今の楽観的で朗らかな姿を見ると想像しにくいが、当時の彼は心に余裕がない、張りつめた日々を過ごしていた。


「必要以上に『毎日早く寝ないと』って思いすぎたり、試合の前日は自分のリズムを乱されたくなかったから、誰とも喋りたくないぐらい神経質になってた」


こうした状況に陥った背景には、プロの世界に足を踏み入れた若手選手ならではの道なのか、周りの意識の高さに圧倒されたからだ。


「『こういう準備をしないといけないんだ』と思い込んで、そういう真似から入ってた。その人には合っているやり方でも、俺には合ってなかったのに、『準備が足りないからダメなんだ』って自分を責めてて。


自分を曲げないでやり続けてプロになれたっていう経験があったから、藤枝でも自分の武器だけは曲げずにやってきたつもりだったつもりだったけど、準備に関しては影響を受けまくって、いろんなことを試しまくった」


それもそのはず。彼はもともと好奇心旺盛で、オススメされたトレーニングやケア方法があれば、とりあえず何でも取り入れてしまう性格。周囲のストイックさに感化されたのも、ある意味不思議なことではなかった。



だが、それで自身のコンディションが向上したかといえば、むしろ逆の結果を招いていた。


「プレッシャーなのかわからないけど、めっちゃきっちり準備したのに、全くダメで。そのやり方は間違っていたんだ、ちゃんとやるのが正しいわけじゃないんだ、俺には俺のやり方があるんだって学んだ。今まではずっと遊び感覚だったから」


そんな心持ちのまま過ごしていたため、練習では懸命に取り組むものの、肝心の試合ではなかなか起用してもらえなかった。どれだけ準備をしても、自分らしさを出せず、気負いや空回りばかりが先立っていた。練習中も、監督に「使いたい」と思わせるほどのギラつきや、アピール力が足りなかった。



だが「本音で言うと」と切り出して、当時の正直な胸の内を明かす。


「途中出場で出て、10分の間に何かしろと言われても、俺はそういうタイプではないと思っていたし、長い時間出場したほうが良さが出るタイプだと思ってた。でも、そんなこと言ってられなかったけどね。


やっぱり短い時間でも結果を残していくのがプロだと思うし、その10分でどんな形でもいいから点を取れなかったことが自分の実力だった」


そう冷静に自分を省みる一方で、別の本音も隠しきれない。


「でも、そのチャンスが少なすぎて、『もっとやれんのにな』っていう思いがあった。でもそのときの俺は、軽い気持ちの遊び感覚で臨めるほどの余裕がなかったし、もう自分をたぎらせまくってた。


病んだまではいってないけど、なんかあったね。プレッシャーなのか。せっかくつかんだ夢だったし、もっと上に行きたいって思いもあったし。それが間違ってたわけじゃないけど、試合前には自分を奮い立たせまくってたから。


いざ、ピッチに立つってなったときは『この10分で人生を変えるんだ』って、何度も言い聞かせてたから、いざ試合になると空回りして、身体が重すぎて。真面目にやりすぎたのが良くなかったのかもしれない」



あのときの自分は精一杯だったーーそう認めるからこそ、その経験を否定することはない。むしろ、今の自分の糧になっている。


「今思うと、軽い気持ちで挑んでなかったらこそ、結果が出てなかったっていうのはすごく思ってる。だからもしも、もう一回Jに戻ったら、今のまま変わらずやるかな。反省というか、学んだね」


「反省」という文字通り、かつての失敗を彼は決して悪だとは思わない。むしろ、「あの2年間があったからこそ」と、胸を張って言える。


「あの経験があったから、今こうやって余計なことを考えずに、試合への気持ちの持っていき方を学べた。だから今は”あえて”考えないし、”あえて”変な準備もしないっていうふうに戻した。戻したというか、その2年で学んだかな」


”あえて”という言葉をやや強調させながら、迷いのない口調で言った。


かつてのように、自分を追い詰めていた頃とは違う。今はまるで雨上がりの空のように、濁りのない視界で自分を捉え、スッと前を向けるようになった。



そして、そんな彼を陰で支えてくれた存在がいる。それが、藤枝MYFCトップチームコーチ・養父雄仁(やぶ・ゆうじ)氏だ。


「どんなにきついときでも、養父さんはずっと付きっきりで、練習後も毎回呼ばれてトレーニングを見てくれて。最後のランニングまで毎日一緒にやって、浜辺で走ったりもした。


J2はシーズンが終わるのが早かったから、トライアウトまで1ヶ月半ぐらい空いたんだけど、そのときも養父さんが『絶対に身体動かした方がいいから』って言ってスケジュールを組んでくれて、毎日グラウンドで練習してた。


サッカーの技術だけじゃなくて、試合への気持ちの持っていき方も、『めちゃくちゃ怒った状態で試合に入った方がいいプレーができるんじゃないか』って言われたから、わざと怒った感情で入ったり、逆に遊び感覚で臨んだり、いろんなことを試したね」


「養父さんのおかげで練習も続けられたし、本当に感謝している。あれだけ選手と向き合えるのは、すごいと思った」と、深い尊敬の念を込めて語った。



そして、そんな彼を高め合おうとしたのは養父コーチだけではなかった。


「俺のためじゃないかもしれないけど、自分と同じように試合に出れない先輩たちもずっと一緒に練習してくれて。助け合って、どっちかがサボってたら、『今お前サボってるよ』とか『一緒に頑張っていこう』って声をかけあってた。スタメンでちょっとだけ出るときも、毎回声をかけてくれる先輩がいたからやってこれた。どれだけ出られてなくても、キャプテンも本当にずっと気にかけてくれて、すごくあたたかいチームだったな。


あと2年目からパーソナルトレーナーをつけて、その人もほぼ無料で毎回トレーニングしてくれて。家族で応援しに来てくれたり、家にも呼んでくれたりもした。自分ひとりだったらサボってたかもしれないけど、周りがいい人たちばかりだったからやってこれた」


つきっきりで親身になって指導してくれたコーチ、互いに刺激を与え合った仲間、そして無償で尽力してくれたトレーナー。そんな環境で支えられてきた背景には、やはり周囲が期待をかけてくれていたのだろうかーーそう聞くと、ふと思い出したようにこう語ってくれた。


「期待だったのか……でも、養父さん自身も現役時代に苦しい思いをしてきて、そこから這い上がった経験があったから、同じようにもがいてる選手を助けたい気持ちがあったんだと思う。あとは、俺が絶対に練習で手を抜かないタイプだったから、花を咲かせてあげたいって思ってくれてたのかもしれない。


半分いじりなのかわからないけど、『お前はヒーローの卵だ』って言ってくれて。そういったおかげでマジで頑張れた」


本当は藤枝でしっかり結果を残して、養父コーチに直接恩返しがしたかった。だが、思うようにはいかない現実もある。


「渋谷に決まったときに、『藤枝で成長させてもらいましたって言えるぐらい、活躍してこい』って言われたから、俺は絶対に結果で恩返しをしたい。あの2年があったからめっちゃ成長できたし、サッカー選手としても、人間としても養父さんに全部教えてもらったから」


悔しさを土台にし、自分を育ててくれた時間だったと今なら胸を張って言える。まっすぐに語る彼の姿からは、すでに恩返しの一歩を踏み出しているようにも見えた。




自分を理解したからこそ


結果論として、藤枝での2年間を「いい経験だった」と振り返るが、では藤枝を離れて今季渋谷でプレーするまでの間に、どのあたりで気持ちの変化があったのか。そして、その影響が今も尾を引くことはないのかーーそう尋ねると、彼はどこか納得した表情でこう語った。


「渋谷に入ってからも最初はきっちり準備してたけど、それであんまりうまくいかない時期があって。結局、何も考えずに自分の性格をちゃんと理解したって感じかな。


いろいろなタイプの選手がいるじゃん?自分を奮い立たせないと力を出せない人もいれば、逆に自然体でいるほうが集中できるタイプもいる。そこはちゃんと自分で自分を理解した。あえて考えず、楽しもうという思いだけあれば、勝手に集中できるし、内から負けたくない気持ちも湧いてくる。ちょうどいい塩梅を見つけたね」


それがまさに、エスペランサ戦の前日インタビューの時期だった。6月上旬、渋谷に加入してから、まだ半年も経たないタイミングだ。



率直に「今、渋谷での生活はどうか?」と聞くと、晴れやかな顔で「めっちゃ楽しいよ」と答えた。しかしすぐに「でも」と言葉を続ける。


「いろんなことを学んだからこそ、どんな環境に行っても楽しめる気がする。もちろん、渋谷だから楽しいのもあるとは思うけど、別にどこに行っても楽しむ方向に持っていけるし、性格的にもどんな環境でも楽しめる。周りのメンバーだって関係なく楽しめるし、誰が何言ってるかとか、そういうのは気にしないから。渋谷の選手たちもみんなめっちゃ面白いし」


メンバーというと、なかでもとりわけ良い影響を受けているのは、彼のひとつ上の植松亮だ。


「亮くんとは一緒に2人でモーニングに行く機会が多くて。本当に兄貴気質だから、自分とは考え方も全然違うし面白い。それこそつぼくん(坪川潤之)とかもそうだけど、行動力がすごいし、ちゃんと自分を売り込んで、次につながるようなことを常に考えてるから、めっちゃ刺激をもらえる。俺もそうなりたいとは思ってるけど、知識もなければ、どう動いていいかもわからない。でも彼らはすぐ動くから」



元気で行動力のある個性豊かな仲間たちに囲まれながらも、毎日が刺激に満ちている。なかでも特に、気が合うというレベルでは語れない存在がいる。日頃から行動を共にする、同期の河波櫻士だ。


「櫻士はめっちゃ自分と似てるというか、考えが一緒というか。話しかけたときの返答の仕方とかも『俺もそう返しそうだな』っていう感じの返答ばっかりで。しかも、一緒にいてもめっちゃ適当だから似てるんだよね。たぶん俺よりも適当だと思うくらい、本当に何も考えてない。けど逆にそれが良さだと思うし、武器でもあると思う」


プライベートでも仲の良さは健在で、最近は河波と青木竣の3人で初めてループ(電動キックボード)に乗ったという。「誰にも止められない瞬間はどんなとき?」と聞くと、少し考え込んだ末に、そのときのことを挙げた。


「バカ楽しかったし、あの瞬間は本当に誰にも止められなかった。それくらい楽しかった」と無邪気な様子でそう言うので、そのときの様子を想像するとほほえましい。


そして河波とは考え方や性格だけでなく、見た目まで似ている。実際、彼らが加入したての頃、筆者は見分けがつかなかったし、双子かと思っていた。「いや、似てないでしょ!」と小関本人からは即座に否定されたが、どうやらその勘違いは他の場所でも起こっているらしい。


「職場でも部署が一緒だから余計に、どっちがどっちか分からないってよく言われるんだよね。『河波くん』って間違えて呼ばれたこともあるし、(吉永)昇偉からも『雰囲気めっちゃ似てる』って言われた」



いつも一緒にいるがゆえ、さらに似てくるのかーー。


実は小関がここまで楽観的思考になるようになったきっかけも、河波から借りた一冊の本だった。


『考えすぎない人の考え方』(堀田秀吾著)。タイトル通り、「あえて考えすぎない」ことの大切さが書かれたこの本は、大きな気づきを与えてくれたという。


「今ちょうど途中まで読んでるんだけど、考えることが正しいわけでもないとか、人間は考えていない時の方が脳をよく使えてるっていう研究が書いてあって。例えば、めっちゃ考えてる時って、意外と頭が働いていなかったりするけど、シャワー浴びてる時とかボーっとしてる時の方が脳を使えてるみたいな考えがあるらしくて。


俺もプラス思考だから、それを読んで『考えすぎないことって、めっちゃいいことなんだ』ってより強く思えた」




「まあ、なんとかなるでしょ」


そんな楽観的だという性格のルーツをたどると、どうやらその背景には、母親の存在が大きく関係しているようだ。


「お母さんも考え方がちょっとぶっ飛んでて(笑)超ポジティブだし、超明るい。そういう環境で育ったから、俺もこうなったのかもしれない」


まるで"陽"そのもののような母親のキャラクター。そのエネルギーは、自然と息子にも受け継がれていった。


「俺はどれだけ嫌なことがあっても、30分ぐらいで忘れられる。いい思い出だけ残せるし、嫌なことをプラスに変換するのはめっちゃ得意。だからそんなに悩まないし、基本『なんとかなるでしょ』って思ってるし、最悪『まあ、どうでもいいか』って。あんまり落ち込まないし、何も考えてない」



あっけらかんと話すが、もちろんサッカーにおいて、負けた試合や交代の瞬間に悔しさを覚えることはある。だが、その感情に囚われ続けることなく、少し時間が経てば「終わったことはしょうがない」と割り切り、一切ひきずらない。


「嫌なことはすぐに忘れて、逆によかったプレーはしっかり覚えてるし、嬉しい気持ちはちゃんとうまく記憶から消さない。今までの人生でも、本当に嫌な記憶ってあんまり残ってないし、覚えてない」


まるで記憶のフィルターがポジティブ選別をしているかのような思考。だがその一方で、こうした楽観的な気質が時に、マイナスの方向に動いてしまうのではないかという不安もある。


「それで成長できるかって言われたら、正直分からない。ちゃんと落ち込んで、かみ砕いたほうが成長につながるのかな?って思うこともある」



そう語って、ふと思い出したように藤枝時代の同期との思い出を話し始めた。


「俺と性格真逆で、めっちゃ落ち込むし、すべてを気にするタイプのやつがいたのね。そいつが俺に『マジでお前みたいになりたいわ』って言ってきたことがあって。まあ実際、成長できるのはそいつみたいなやつなんだろうけど」


お互い、ないものねだりなのかーーそう問うと、彼は笑って間髪入れずに否定する。


「いや、俺はそっちにはなりたいと思わなかった。なんか、大変そうだから。だからサッカーも私生活も基本何も考えてない。そのほうが楽だよ」



そして試合前には、もはやおまじないのように唱える一言がある。


「『今日も楽しみますか~、やっちゃおーよ』くらいの気持ちでいる方が、変なことも考えないし、試合が始まったらめっちゃ動ける。それで集中できないこともないし、戦えないわけでもない。むしろ受け身にならずにいられる」


その言葉は、たびたび彼のInstagramのストーリーにも登場するーー「やっちゃおーよ」。追い込まず、気負わず、ただ楽しむこと。それが彼にとっての最適解だ。




楽しみたいから、負けたくない


そんな楽観的な姿勢と並んで、彼の根底を支えるもう一つの大きな軸がある。それが、強烈な”負けず嫌い”という性格だ。


藤枝時代には、その強すぎる負けん気が日常生活にも影響を及ぼすこともあり、悔しさで食事が喉を通らない日もあった。


だが、渋谷に来てからは、オンとオフの切り替えがうまくできるようになったという。


「今まで生きてきた中でいろんな人を見てきたけど、自分は本当に負けず嫌いだと思う。でも、今は自分がそういう性格だってこともちゃんと理解できてるから、わざわざ試合前に無理に自分に言い聞かせようともしない。始まれば、スイッチなんて勝手に入るから」


目の前に相手がいれば自然と競争心が湧く。それは試合に限らず、日々のトレーニングでも同じだ。


「練習の中でも、たとえ味方でも絶対に負けたくない。それは意識しなくても、もう勝手にそういう気持ちが出てくる。だから余計な気持ちは持たなくていいんだよね。


あとはこれも特別意識してるわけじゃないけど、練習では絶対に手を抜かないタイプで。小学生の頃から”練習は120%でやる”って決めてて、それは今でも変わらない。


だから藤枝にいた頃も、どれだけきつくても、練習の2時間だけは絶対に全力でやろうって、そこは意識的に思ってた。今だってたとえ仕事で疲れてても、練習だけは誰よりも本気でやろうって思ってる。手を抜いたことは一度もないし、これからもそれは自分の中で持ち続けたい」



そしてここまでやってこれた原動力を聞くと、彼は迷わず「家族の存在」を挙げた。


「高校の選手権のときも、両親が自分以上に喜んでくれてる姿とか見てたし、パンフレットに載ったら、同じものを何冊も買ってきたり、新聞に名前が出たら嬉しそうに持って帰ってきたり。プロ内定したときも、自分以上に喜んでくれてるのを見てきたから」


何かを成し遂げるたびに、まるで自分ごとのように心から喜んでくれる。変わらず近くにいてくれる家族の存在が、気づけば自分のエネルギーになっていた。



そして、もうひとつ。いたってシンプルで、どこまでも真っすぐな想いがある。


「単純にサッカーが誰よりも大好きだと思うし、何より自分が楽しみたい。楽しむためには負けてたらつまらないから」


そう言う彼に、サッカー以外でも負けず嫌いな一面はあるのかと聞いてみると、首を横に振った。


「いや、あんまない。サッカー以外どうでもいいやって思ってる。マジでどうなってもいい」


あっさりとした口ぶりだったが、裏を返せば、それだけサッカーに対する思いが強いということだ。


「サッカーだけは負けたくない。負けず嫌いっていうのが自分の中で一番大きいから、『こんなもんじゃないでしょ』『こんなところで負けたくない』って常に思ってる」




人生どうにでもなる


こんな話を聞いたところで、最後に彼が人生で大切にしていることを尋ねてみた。返ってきたのは、やはりというべきか、想像通りの即答だった。


「楽しむこと。あとはさっきも言ったけど、嫌なことは忘れて、いいことだけを覚えて、何でもポジティブに変換するようにしてる」


勢いそのままに、言葉を止める間もなく、早口で続ける。


「だから後悔もしないし、したくない。したくないというか、もうしないかな」



こう言い切ったあと、一拍おいてから続ける。


「きっと多分、一生しないと思う。今までの人生のなかで一回も後悔したことがないから。まあ、したとしても記憶から消してるだけかもしれないけど。嫌なことはすぐ忘れちゃうから」


だが、そのあとには苦笑を浮かべて、少しだけ困り顔になる。


「これで人生困るかもしれないけどね、適当すぎて。どうなるか分かんないけど。まあ、こういう感じでやってるかな」



とはいえ、少し気になったことがあったので聞いてみたーー考えてないという自覚があるということは、逆を言えばそれについて考えているのではないか、と。


その問いに、彼はどこか納得したように頷く。


「そうかもしれない。たしかに、自分を理解したうえで、あえて考えないようにしている可能性がある。でも、そこは自分でまだ理解しきれていないかな」


そう自信なさげに言うのも、無理はない。彼には、もともと繊細な一面があるからだ。


「かなり心配性なんだよね。これで平気かなとか、こんなちゃらんぽらんで人生ちゃんとやっていけるのかなとか、たまに思ったりするよ。でも、それすら自分でもよくわかってなくて。あえて、『どうでもいいでしょ』って思い込ませるのかもしれない」



少し考え込む間があったが、すぐにまたあの感情に帰結する。


「でも結局、考えても意味ないことが多いから、自己分析ができたうえで『まあ、どうでもいいっしょ』って思う。藤枝の2年間も経験して、さらにどうでもいいやって。あの2年間は考えすぎてて、どうでもいいなんて思えなかったし、思わないようにもしてたけど、それが間違えてたから」


だからこそ、明確な夢や先々の目標は持たず、今この瞬間を生きることができればそれで十分だという。これができたらいいなとか、ちょっとした目標もないのかと聞くと、超即答で「ない。なんでもいい。今が楽しければいいかな」と答えた。


この楽観的な思考も、殻を破ったからこそ手に入れたもの。渋谷に来てからの彼は、もう過去のように自分を縛ることなく、ただのびのびとプレーするだけだ。



「自分は声を出してチームを盛り上げるタイプではないけど、どんな練習でも、どんな日でも、絶対に手を抜かないで練習するっていうのは、モットーとしてあるから。結果的にそれが周りにいい影響を与えられたらいい。まあ、意識的にそう思ってはいないけど。


あとは、上からっぽく聞こえるかもしれないけど、そこは試合でも練習でもちゃんと見せていきたい。ましてや、後輩も今は2人だけだし、だからこそ、チームの空気がイマイチ乗ってない時でもそういうのは変えたくない」



そう語ったあと、しっかりと宣言する。


「自分は、自分の全力で毎日やれるし、やってきたし、これからもやるつもりだから」


最後は三拍子のリズムで、そう言い切った。その言葉には一切の迷いはなく、聞いているこちらも、「彼なら大丈夫だ」と思えてしまうほどの説得力があった。今の彼には、かつて抱えていたもどかしさはもうない。向上心をしっかりと持ちながら、自分のスタイルで突っ走るのみだ。


普段のおちゃらけた姿からも伝わってくるが、この取材を通してあらためて、本当にこういう人なんだな、と感じたのでそう伝えると、「逆にそう見えてた?見えたでしょ?」と笑いながら返され、こう続けた。


「俺は別に深い人間ではないよ。なんかいろいろいるじゃん?『自分の考えはこうで~』みたいな深そうな人。でも俺は全然そういうのはない。だから語りとかないし、嫌なことも覚えてないからね」


そして今、胸を張ってこう言える。


「今は確信をもって言える。なんとかなる。どうにでもなる。俺に合ってるのはこれだから」



かつてのように、もう自分を追い込みすぎることはもうない。その代わり、余計な力を抜いた今の自分だからこそ、違う形で熱くなれる。自分らしく、情熱をたぎらせながら。



取材・文 :西元 舞 

写真   :福冨 倖希

企画・構成:斎藤 兼、畑間 直英

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#2 頂点を目指す、不屈の覚悟。全ては世界一の男になるための手段ーー水野智大

#3 冷静さの奥に潜む、確かな自信。「自分がやってきたことを発揮するだけ、『去年と変わった』と思わせるために」ーー木村壮宏

#4 這い上がる本能と泥臭さ。サムライブルーに狙いを定める渋谷の捕食者ーー伊藤雄教

#5 問いかける人生、答え続ける生き様。「波乱万丈な方へ向かっていく。それがむしろ面白い」ーー坪川潤之

#6 サッカーが導く人生と結ぶ絆。ボールがくれた縁を、これからも。ーー岩沼俊介

#7 楽しむことを強さに変えて。夢も、欲も、まっすぐに。ーー小沼樹輝

#8 誰かのために、笑顔のために。誇りと優しさが生む頂点とはーー渡邉尚樹

#9 九州で生まれた男の背骨。「やっぱり男は背中で語る」ーー本田憲弥

#10 選手として、父として。見られる過去より、魅せたい現在地ーー渡邉千真

#11 余裕を求めて、動き続ける。模索の先にある理想へーー宮坂拓海

#12 この愛に、嘘はない。激情と背中で示す覚悟の真意とはーー鈴木友也

#13 憧れた側から憧れられる側へ。ひたむきな努力が導く、まっすぐな未来ーー大越寛人

#14 楽しいだけじゃダメなのか?渋谷イチの苦労人が語る「俺は苦しみに慣れちゃってる可能性がある」ーー高島康四郎

#15 かつて自分も”そっち側”だったからこそ、わかる。「もう誰のことも置いていきたくない」ーー志村滉

#16 絶対の自信を纏う、超こだわり屋のラッキーボーイ「必ず俺のところに転がってくる。そう思ってるし、信じてる」ーー青木友佑

#17 SHIBUYA CITY FCに人生を懸けた男「俺をこんなにも好きにさせた、このクラブが悪い!」ーー植松亮

#18 絶対に壊されたくない、やっと思い出せた楽しさ「副キャプテンを降ろさせられるんだったら、それでもいい」ーー楠美圭史

#19 器用貧乏?いや、今は違う「俺の中に神様はもういない」ーー青木竣


SHIBUYA CITY FC

渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ。「PLAYNEW & SCRAMBLE」を理念に掲げ、渋谷の多様性を活かした新しく遊び心のあるピッチ内外の活動で、これまでにないクリエイティブなサッカークラブ創りを標榜している。

渋谷駅周辺6会場をジャックした都市型サッカーフェス「FOOTBALL JAM」や官民共同の地域貢献オープンイノベーションプロジェクト「渋谷をつなげる30人」の主宰、千駄ヶ谷コミュニティセンターの指定管理事業など、渋谷区での地域事業活動も多く実施している。


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