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渋谷で語る、再びの覚悟とサッカー人生の答え「僕は恵まれている。もう、それしか言えない」ーー吉永 昇偉【UNSTOPPABLES】 #22

2025年8月7日

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「カテゴリーは下がりましたが、別に自分自身が下がったとは思っていません。覚悟を持って、チームとともに一緒に上がっていきたいです」


新たな舞台・渋谷に降り立った生粋の大宮っ子、吉永昇偉。ユース時代に根付いたサッカーへの情熱と、人とのつながりに支えられてきたキャリア。大宮アルディージャ、ザスパクサツ群馬、愛媛FC、テゲバジャーロ宮崎ーー各地で得た経験を糧に、いま再び新たな一歩を踏み出す。


【UNSTOPPABLES~止められない奴ら~】

昨シーズン、関東2部への昇格を決めたSHIBUYA CITY FC。その栄光の背後には、ただの勝利以上のものが隠されていた。選手たちの揺るぎない自信と勢いは、彼らの人生に深く刻まれた歩みから来ている。勝利への執念、それを支える信条。止まることを知らない、彼らの真の姿が、今明らかになる。


第22回は、柔らかさと芯の強さを併せ持つ吉永昇偉の”これまで”と”これから”。新たな挑戦を前にした今、その歩みと胸の内を語ってくれた。


吉永 昇偉(よしなが・しょうい)/ MF

2000年4月18日生まれ。埼玉県さいたま市北区出身。大宮早起きサッカースポーツ少年団を経て、小学5年時に大宮アルディージャのアカデミーに所属。ユース時代には頭角を表し、2018年にU-18日本代表に選出。同年のクラブユース選手権では大会得点王とMVPに輝いた。さらに、高円宮杯JFAU-18サッカープリンスリーグEASTでも通算18得点を記録し、得点王に輝く。2019年に大宮アルディージャのトップチームへ昇格。2021年にはザスパクサツ群馬へ期限付き移籍し、翌年に大宮へ復帰。2023年より愛媛FCへ育成型期限付き移籍をし、契約満了後はテゲバジャーロ宮崎へ完全移籍。今年6月よりSHIBUYA CITY FCに期限付き移籍で加入。スタミナとスピードを活かしてサイドを切り裂き、当たり負けしないフィジカルで抜群の強さを見せる。



新天地・渋谷での刺激的な毎日


今年6月初旬、J3のテゲバジャーロ宮崎(以下、宮崎)から渋谷に期限付き移籍で加入した吉永昇偉。朗らかな人当たりの良い性格で、新天地での適応にも時間を要さず、すぐにチームに溶け込んでいった。


移籍の決断は早く、オファーを受けたその日に代理人へ加入の意向を伝えていたという。


「オファーをもらったとき、周りの人たちから『えー!SHIBUYA CITY FC?!』って驚かれました。カテゴリーは下がりますが、魅力あるクラブだと感じましたし、自分がここで結果を残して、未来あるチームとともに上を目指したいと思ったのが決め手でした。もう直感でしたね」


また、大宮アルディージャユース時代の先輩であるキャプテンの土田直輝、そして在籍最長の植松亮の存在も、このクラブへの馴染みやすさにつながっていた。渋谷で再び彼らとプレーできることについて、ユース時代の思い出を交えて振り返った。


「つっちー(土田)は、雲の上のような存在でした。僕が中学1年生でセンターバックをやっていたとき、3年生だったつっちーが同じポジションでめちゃくちゃうまくて。ある日、監督が僕とつっちーを呼んでくれて、つっちーが練習前にロングボールの蹴り方を教えてくれたのを今でも覚えてます。


それくらい、2つ上の代は追いつけないくらい強くて、とにかく面白い集団でした。寮生活でも毎日のようになにかしら起こってて、すごくにぎやかでした。



(植松)亮も、僕が小学6年生で彼が中1のときに、ジュニアユースで一緒に練習したことがあります。亮はその頃から走れるし、ボールもつなげるし、何でもできるタイプでした。寮でも僕たちの部屋にふらっと来て、いじって出ていくような感じで、年下にも壁なく接してくれる。みんなから慕われていましたね。でも、ピッチに立てばしっかり求めてくる。サッカーとプライベートをちゃんと分ける、いい先輩でした。


まあ、亮に関してはあまり褒めたくはないんですけどね(笑)でも、そんな2人とまた一緒にプレーできることは、すごく嬉しいです」


植松については茶化しながらも、にじみ出る尊敬と親しみ。現在のチーム内では、植松がやや”いじられにくい存在”になっているようだが、昔からの関係性がある吉永からすれば、その姿は少しもの足りない。


「今の亮のインスタの投稿は、ちょっとインスタグラマーっぽい感じになっているので、そろそろいじろうかなと思ってます。『いやいや、キャラじゃないでしょ!』って。本当の姿は全然違いますからね。いじるし、いじられるし。だから今の状態には満足してないですよ、彼は。まだ隠してるはずです。少し王様ぶってるところあるからなあ。


でもこうやって亮の話をすると、まためんどくさいんですよ。後から絶対、『結局俺の名前出すじゃん!』って言われるので(笑)」


まるで同い年のような軽妙な話しぶりからも、2人の関係の深さが伝わってくる。実際、吉永が移籍を決めた際も、合流する2日ほど前に植松から食事に誘われ、チームの情報や雰囲気を教えてもらったことが心強かったという。



もっとも、新しい環境にすぐ馴染めたのは、先輩2人の存在だけが理由ではない。他にも顔なじみの選手がいたからだ。


同じ埼玉のクラブチームということもあり、グランデFC出身の大越寛人とは過去に対戦経験があり、渋谷に加入した際には吉永の方から話かけに行ったという。さらに、鹿島アントラーズジュニアユース出身の小沼樹輝のことも、小学生のころから名前を知っていた。


「ジュニアユースのときに鹿島と対戦したんですけど、樹輝が本当に上手くて『こういうやつがプロになるんだな』って思ったのを覚えています。まさかそんな選手と、同じチームでプレーすることになるとは思ってなかったので、『え、じゃあ渋谷ってめっちゃ強いじゃん。やばいな』って焦りましたね」



その印象は、実際にチームに加わってからすぐに確信へと変わった。練習の負荷は高いが、チームメイトたちは皆、真剣に、かつ前向きにサッカーと向き合っている。その姿勢に、良い意味で感化される毎日だ。


「みんな、あれだけハードな練習をしているのに、午後からは仕事に行ってるんです。でも僕は今仕事をしていないので、弱音なんて吐けない。そう思わせてくれるみんなの存在が本当にすごいです。


『あ~、今日もきつかったな』と感じながら練習から帰っているときも、『今ごろみんなは仕事をしているんだよな』って思うと、自然とジムに通っちゃうし。練習後に食事を済ませて、トレーニングとケアをして、家に着くのは夕方ごろ。でも『それぐらいはしないと』っていう気持ちになれます」


午後の時間には決まった予定がないぶん、スポンサー訪問や地域イベント活動などのクラブ活動には積極的に参加したいという思いを持っており、その意向はすでにクラブ側にも伝えているという。


「他のみんなは仕事の関係で行けない代わりに、自分がそうした場面でチームに貢献できればと思っています。でも、なかなか依頼が来ないんですよね(笑)これからあるらしいので、ぜひ参加したいです。まったく同じ環境ではないけど、同じようなことはしていたいと思わせてくれる仲間がいるのは大きいです」




驚異的な運転愛


実は吉永には趣味というより、もはや特技ともいえる、ある特別な時間がある。この企画のテーマにちなんで、「誰にも止められない瞬間」を尋ねたところ、「運転している時間」と答えた。


試合や練習の行き帰りに、自分の好きな音楽をかけながら運転する時間は、ひとりきりの大切な空間となっている。頭の中を整理したり、サッカーについてじっくり考える時間になるという。友人と過ごす時間も好きだが、それと同じくらいひとりの時間も欠かせない。夜にふらっとドライブに出かけることもある。



ここまで聞くと、単なるドライブ好きだと思うかもしれない。だが、これまで複数のクラブを渡り歩いてきた吉永ならではの、驚きのエピソードがある。


「移籍のときは、いつも車に最低限の荷物だけを積んで、自分で運転して移動してるんです。宮崎から埼玉までだったら、約1200kmで、だいたい17時間くらいかかりました。夜に出発したので多少短縮されましたが、それでも休憩は少なかったです。休むといっても1時間ぐらいで、あとはトイレに寄るくらいですね。


ここに来るまでも、『渋谷に行ったらどうしよう、やっていけるかな。でも(植松)亮もいるし、大丈夫か』って、悩みながら運転してました(笑)」


同様に、愛媛FCに移籍した際も、埼玉から車で約8時間かけて移動した。運転中はコーヒーを飲むことが多く、それが眠気覚ましになっているため、長距離移動も不思議と苦にならない。


船や飛行機を利用すれば、移動時間を大幅に短縮でき、身体への負担も少ない。だが吉永にとっては、ハンドルを握っている時間こそが最も心地よく、落ち着けるひとときなのだ。


「サウナとかも好きなんですけど、周りに人が多いじゃないですか。電車も同じで、それがちょっと苦手なんです。でも車なら、誰も乗せなければ完全にひとりの時間。自分のペースで移動できるし、好きなタイミングで休める。


嘘だと思われるかもしれないけど、嘘じゃないんですよ。本当に休まないでいけちゃうタイプなので。みんなにはこの良さを共感してもらえないけど、自分にとってはいろんな感情と向き合える、大切な時間なんです」




背中でつなぐ意志、苦さの中にあった気づき


"とにかくやりきれ"


移籍のたびに、吉永が必ず持っていくものがある。それはこの言葉が書かれた一枚の応援タオルだ。ユース時代、サポーターが掲げてくれていたもので、今も変わらず大切にしているという。タオルに記されたこの言葉を見るたびに、胸が熱くなる。


「『負けてもいいから、やりきってくれ。そういう姿が見たいんだ』って、ずっと言ってくれたんです。僕らの代からじゃなくて、もっと前の世代から応援してくれている方々ばかりで、本当に孫のように思ってくれて、すごくあたたかいんです。今でも渋谷の試合を観に来てくださる方もいますよ」


目尻を下げてにんまりと笑う、その表情はまるで仏様のようで、周囲を和ませる穏やかな人柄が感じられる。どのクラブに移籍しても、サポーターから「昇偉は笑ってほしい」と言われることが多く、笑顔はまさに彼のトレードマーク。「なんか、めっちゃ恥ずかしいんですけどね」と照れつつも、どこか嬉しそうだ。



普段から穏やかでいることを心がけ、他人に対して怒りの感情をぶつけることは、ほとんどないという。「怒るメリットを感じない。自分が疲れるから」と語るように、常に前向きなマインドを保っている。


だが、現在のような心持ちに至るまでは、苦い経験を重ねてきた背景がある。ユース時代の自分を振り返ると、今ほどの柔らかさはまだ備わっていなかった。


「後輩たちは、僕のことをあまり好きじゃなかったんじゃないかな……。今でも連絡くれる子はいますけど、当時はたぶん怖がられていたと思います。あの頃の自分は、自分のことを上手いと思っていて、天狗になっていた部分がありました。プロに入って、上には上がいると思い知らされてからは、考え方が変わりましたけど。


だから、後輩のみんなには申し訳ない気持ちがあります。キャプテンという立場もありましたけど、なんであんなに強く言ってしまったのか。もっと違った接し方ができていればよかったと、反省しています」



さらに記憶を遡ると、話題は再び先輩・植松との思い出に戻る。植松が高校3年生だった年、チームは高円宮杯JFAU-18サッカープレミアリーグEASTから降格。翌年、吉永の代はプリンスリーグで戦うこととなった。「これ、ちゃんと書いてくださいよ。亮たちが落としたんです!」と、冗談めかしながら笑う。


実はこのエピソード、以前に植松を取材した際にも話題に出たことがある。彼はそのとき、「昇偉たちに申し訳ないことをした」と語っていた。そのことを吉永に伝えると、それまでの軽やかな口調から一転、落ち着いたトーンでぽつりぽつりと口にする。


「そう言うけど、違うんですよね。3年生にもいい選手はたくさんいたんですけど、ありがたいことに、当時は2年生の自分たちが多く試合に出させてもらっていたんです。だから、負けたのは僕たちの責任でした。亮たちが卒業したあとに、僕らの代ですぐにミーティングを開いたんですけど、最初に『3年生が落としたんじゃない』って自分が話した記憶があります。


それに、『3年生が落としたと思ってるやつがいるんだったら、昇格なんてできない』というのは、僕が言葉にしなくても、みんな分かっていました。だからこそ、『自分たちもプレミアリーグでやりたかった』と口にするような選手はいなかったです。


一個上の先輩たちと会うと、今でも謝られることがありますけど、そうじゃないんですよね。反省すべきは僕らだったから。だから、亮が謝る必要はないんです。でも、あの人はやっぱり責任感が強いからなあ」



もちろん、主力として試合に出続けていたからこそ、上の舞台で戦いたい気持ちは強かった。だが、その思いを上回る、ある気持ちが湧き上がってきたという。


「めちゃくちゃうまい後輩たちが多かったので、『プレミアに残してあげないと』というのは、僕たち3年生の中で話し合っていました。僕らの代は3年生が多く出ていたので、『絶対に上がって、後輩たちにプレミアの舞台を経験させてあげないとダメだよね』って。


大体どのメンバーも、小中高とずっとアルディージャで育ってきているので、『恩を返すにはここしかない』っていうのは、3年生のミーティングでずっと出ていた話です。だからこそ、それを目標にして取り組んでいました」


そのように「次の世代のため」と縦の関係性が強いのも、吉永らが1年生だったころ、3年生の土田たちの姿を間近で見てきたからだという。もちろん、植松たちの代も然り。サッカーの実力は申し分なく、ピッチ外でも優しく、面倒見の良い先輩たちの振る舞いは、自身のあり方や価値観の指針となった。


「アルディージャは学年問わず仲がいいですね」と語るように、そんなあたたかい空気感を、チームカラーであるオレンジが象徴しているかのようだ。



一方で、宮崎在籍時にも苦しい時期を経験した。なかなか試合に出られず、練習が”試合のため”ではなく、”練習のための練習”のように感じられることも少なくなかった。結果が出ないからこそ、練習で手を抜くことはできなかったが、それがかえって心の余裕を奪い、純粋にサッカーを楽しむことが難しくなっていた。


もちろん環境のせいではなく、「そこに食い込めなかった自分の力不足があった」と、冷静に振り返る。ただ、自身の明るい性格ゆえに、沈んだ感情をうまく周囲に打ち明けることができず、心の内に抱え込んでしまっていた。



「でも、仲のいい人たちは気づいてくれるんですよ。そしたらみんな、励ましてくれる。宮崎の選手は、それがすごくわかりやすい(笑)でも、もっと自分から感情を見せればよかったなとも思っています。出すのがダサいと思ってたけど、素直に助け船を出していたら、もっと楽になれたんじゃないかなって」


思い残すことは多々ある。だが、渋谷への移籍を報告をした際には、「カテゴリーは下がるけど、大丈夫なのか」と心配の声が挙がったが、最終的には理解を示し、後押ししてくれる仲間ばかりだった。


さらに、渋谷に移籍してからしばらく経ったある日、宮崎の選手からはこんな言葉をかけられたという。


「試合に出たあと、インスタに僕が思いっきり笑っている写真を載せると、みんなが言ってくれるんですよ。『昇偉があんなに楽しんでサッカーをやってるの、久々に見たわ』『そういうのを見ると、俺も嬉しくなる』って。


相談にも乗ってくれて、自分が出した答えも肯定してくれる。そういう人がたくさんいたので、本当に救われました」




すべては人との巡り合わせ


こうして振り返ると、自分のサッカー人生には、数えきれないほど多くの人との縁があった。


少年団の同期が、今でも試合を観に来てくれることがある。毎年年始に開かれる集まりでは、自分の代だけ毎回10人ほどが顔をそろえる。群馬時代の同期や先輩とは旅行に行き、大宮時代にお世話になった先輩たちとは、毎年クリスマス会を開くのが恒例になっている。昨年は、愛媛の同期と、結婚式の場で再会を果たした。


宮崎から渋谷に移籍する前にも、最後にみんなで集まろうという話になり、当初は数人で予定していた食事会が、気づけば10人もの仲間が集まってくれた。その日は、笑って、騒いで、賑やかで、記憶が曖昧になるほどだった。だが翌日、自宅で写真を見返したとき、胸にこみ上げてくるものがあった。「自分はこんなにも素敵な人たちと、サッカーをしていたんだ』と思ったら、不意に涙があふれていた。



思い返せばキリがない。それほどまでに、自分はつくづく”人”に恵まれていた。そう、心から思う。


「僕の運がいいのかもしれないんですけど、今まで所属していたチームは、本当に全員仲が良かったんです。アルディージャも、ザスパも、愛媛も、宮崎も、今の渋谷も。どこが一番なんて決められないくらい、全部楽しかったんです。


環境というか、僕は本当に”人”に恵まれて育ってきました。今ここにいるのも、いろんな人との巡り合わせがあったから。サッカーをずっと楽しく続けてこられたのも、人との出会いのおかげですね。


今は自分でもサッカーをすごく楽しくできている実感がありますし、その楽しさを感じ取ってくれる人たちが喜んでくれるのも、すごく嬉しい。心から『楽しい』と思える状態なんです」



感謝の気持ちを胸に、今できるすべてをピッチで表現すること。それが、自分に関わってくれた人たちへの、何よりの恩返しだと信じている。


「このチームでJリーグまで行けたら、『めちゃめちゃいいサッカー人生だったな』って終われる気がします。自分がいる間にそれを成し遂げられたら、プロになった時よりも、もっと嬉しいと思える気がします。まだまだ、いたくなるチームです」


最後は、どこか満ち足りたようなため息をついてーーそして、お得意のスマイルでこう言う。


「全部、人、人、人のつながりなんですよね。結局どこに行っても、みんないい人ばかりです。本当に僕って、つながりがなかったら多分、何もない人間なんですよ。だから、僕は恵まれている。もう、それしか言えないです」



そうして出会いを重ねてこられたのも、彼の人柄があってこそ。これから先も、また新たな縁を呼び込むだろう。そして、そこにもきっと変わらぬ笑顔がある。


取材・文 :西元 舞 

写真   :福冨 倖希

企画・構成:斎藤 兼、畑間 直英

UNSTOPPABLES バックナンバー

#1 渋谷を背負う責任と喜び。「土田のおかげでJリーグに上がれた」と言われるためにーー土田直輝

#2 頂点を目指す、不屈の覚悟。全ては世界一の男になるための手段ーー水野智大

#3 冷静さの奥に潜む、確かな自信。「自分がやってきたことを発揮するだけ、『去年と変わった』と思わせるために」ーー木村壮宏

#4 這い上がる本能と泥臭さ。サムライブルーに狙いを定める渋谷の捕食者ーー伊藤雄教

#5 問いかける人生、答え続ける生き様。「波乱万丈な方へ向かっていく。それがむしろ面白い」ーー坪川潤之

#6 サッカーが導く人生と結ぶ絆。ボールがくれた縁を、これからも。ーー岩沼俊介

#7 楽しむことを強さに変えて。夢も、欲も、まっすぐに。ーー小沼樹輝

#8 誰かのために、笑顔のために。誇りと優しさが生む頂点とはーー渡邉尚樹

#9 九州で生まれた男の背骨。「やっぱり男は背中で語る」ーー本田憲弥

#10 選手として、父として。見られる過去より、魅せたい現在地ーー渡邉千真

#11 余裕を求めて、動き続ける。模索の先にある理想へーー宮坂拓海

#12 この愛に、嘘はない。激情と背中で示す覚悟の真意とはーー鈴木友也

#13 憧れた側から憧れられる側へ。ひたむきな努力が導く、まっすぐな未来ーー大越寛人

#14 楽しいだけじゃダメなのか?渋谷イチの苦労人が語る「俺は苦しみに慣れちゃってる可能性がある」ーー高島康四郎

#15 かつて自分も”そっち側”だったからこそ、わかる。「もう誰のことも置いていきたくない」ーー志村滉

#16 絶対の自信を纏う、超こだわり屋のラッキーボーイ「必ず俺のところに転がってくる。そう思ってるし、信じてる」ーー青木友佑

#17 SHIBUYA CITY FCに人生を懸けた男「俺をこんなにも好きにさせた、このクラブが悪い!」ーー植松亮

#18 絶対に壊されたくない、やっと思い出せた楽しさ「副キャプテンを降ろさせられるんだったら、それでもいい」ーー楠美圭史

#19 器用貧乏?いや、今は違う「俺の中に神様はもういない」ーー青木竣

#20 考えたからこそ、”あえて”何も考えない「今日もやっちゃおーよ」ーー小関陽星

#21 どんな場所でも、俺はここで貫く「納得いかないことに対しても、納得いくまでやり続ける」ーー佐藤蒼太


SHIBUYA CITY FC

渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ。「PLAYNEW & SCRAMBLE」を理念に掲げ、渋谷の多様性を活かした新しく遊び心のあるピッチ内外の活動で、これまでにないクリエイティブなサッカークラブ創りを標榜している。

渋谷駅周辺6会場をジャックした都市型サッカーフェス「FOOTBALL JAM」や官民共同の地域貢献オープンイノベーションプロジェクト「渋谷をつなげる30人」の主宰、千駄ヶ谷コミュニティセンターの指定管理事業など、渋谷区での地域事業活動も多く実施している。


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