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「渋谷は脳汁が出るような楽しさ」熱狂の再現性を求め、ファインダーの向こうに広がる野望「クリエイティブチーム側から“渋谷の試合”を」ーー福冨倖希(フォトグラファー)【UNSTOPPABLES】 #28

2025年12月26日

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今シーズンのチームスローガン「WE WON’T STOP」にちなんでスタートした本企画。これまで26名の選手の歩みを追い、彼らが前へ進み続ける人生にスポットを当ててきたが、「止まらない」のは選手に限った話ではない。その裏側には、クラブの前進を支える大きな力となっている者たちがいる。


どれほど劇的な瞬間や、会場をひっくり返すほどの歴史的なゴールであっても、その興奮や感動は時間とともに薄れていく。だが、もしあの一瞬を、当時の空気や熱量ごと残すことができたとしたらどうだろう。今回は、そんなクリエイティブな視点から渋谷を紐解いていく。


【UNSTOPPABLES~止められない奴ら~】

昨シーズン、関東2部への昇格を決めたSHIBUYA CITY FC。その栄光の背後には、ただの勝利以上のものが隠されていた。選手たちの揺るぎない自信と勢いは、彼らの人生に深く刻まれた歩みから来ている。勝利への執念、それを支える信条。止まることを知らない、彼らの真の姿が、今明らかになる。


第28回は、クラブ専属フォトグラファーの福冨倖希。23歳という若さながら、スポーツに限らず多様な現場で経験を積み、活動の幅を広げてきた。フォトグラファーを志した原点、遠回りに思えた苦悩の時間、仕事人として譲れないこだわり、渋谷というクラブで実現したい野望に迫る。


福冨倖希(ふくとみ・こうき)/ フォトグラファー

2002年4月2日生まれ。茨城県神栖市出身。東京ビジュアルアーツ・アカデミーの写真学科スポーツフォトコースを卒業後、2023シーズンよりSHIBUYA CITY FCの専属フォトグラファーとしての活動を始める。現在はクラブでの撮影に加え、サッカーダイジェスト編集部やスポーツメディアサイト「FERGUS」でも活動中。



「背中」に惹かれて。転機となった写真展


たった一枚の写真を見ただけで、不意に懐かしさがこみ上げてくることがある。それが必ずしも温かな記憶とは限らなくても、張り詰めた空気や静かな余韻まで、相反する感情を何度でも確かめることができる。それこそが写真の持つ力であり、記録を超えた価値なのだろう。そして、その一瞬を形にするのがフォトグラファーだ。


渋谷にとって、クリエイティブはひとつの武器であり、アイデンティティそのものだ。これまで多くの選手たちに取材をしてきたが、加入のきっかけとして、白と黒を基調にしたビジュアルに惹かれたと語る者は少なくない。その世界観を支えている基盤が写真であり、なくてはならない要素のひとつである。


その一瞬に宿る熱量を収めているのが、クラブ専属フォトグラファーの「トミー」こと福冨倖希である。2023シーズンから渋谷での活動をスタートさせて以来、およそ3年間にわたりクラブの歩みを記録してきた。ファインダー越しにチームを見守ってきた彼もまた、歴史をともに創り上げてきた一人と言えるだろう。


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もっとも、専門学校に進むまでは、フォトグラファーという職業に目を向けたことはなかったという。カメラは趣味でもなく、将来の夢と結びつく存在でもなかった。


転機が訪れたのは、高校3年に進級する直前のこと。新型コロナウイルスの世界的流行により日常は一変し、学校生活や進路をめぐる見通しも不透明になった。将来について明確な展望をもてないまま、足元が定まらない時間だけが過ぎていった。


そんな先が見えない時期に足を運んだのが、フォトグラファーの千葉格氏による報道写真展『BACK-GROUND』だった。そこには、サッカー選手らの「背中」をテーマにしたスポーツドキュメンタリー写真が並び、サッカージャーナリスト・解説者の細江克弥氏による文章が添えられていた。


もともと「背中」を捉えた写真に惹かれていたうえ、地元クラブである鹿島アントラーズのサポーターでもあった福冨。シャルケ04時代の内田篤人氏の写真も展示されていると知り、会場へと吸い寄せられたことは必然だったのかもしれない。


会場には千葉氏と細江氏本人も来場しており、直接言葉を交わす機会があったという。その際に紹介されたのが、写真や映像、デザインなど、エンターテインメントとクリエイティブの技術を学ぶ専門学校、東京ビジュアルアーツ・アカデミーだった。


サッカーを最も近い距離で見られる職業は何か。そう考えたときに真っ先に思い浮かんだのが、スタンドからではなくピッチのすぐそばで感動の瞬間に立ち会える「フォトグラファー」という選択肢だった。



慢心が生まれた専門学校時代


思い立ったが吉実、写真そのものに強い関心があったわけではないが、直感に近い感覚で入学を決意した。もともと楽観的な性格ということもあり、専門学校に進むことで将来の選択肢が狭まるのではないか、といった不安や躊躇いはなかった。


入学後、授業を受けるにあたって各自がカメラを用意する必要があった。学校には貸出用の機材もあったが、自分が選んだものを使ったほうが技術が身につくと考え、コンビニのアルバイトでコツコツと貯めたお金で、約20万円のカメラを購入した。


1年次の前期は、カメラの基礎中の基礎を、文字どおり広く浅く学ぶところから始まった。


「最初は座学で、カメラの歴史なんかを学びました。正直、『何だこれ?俺はこれをやるために来たんじゃねえよ』と思いながら受けていて(笑)。そこからカメラの設定方法を教わったり、学校内のスタジオでライトを立てて撮影したり。現像や編集のやり方まで、一通り教わりました」


後期に入ると、週に3日ほど、各自が選択したコース別の授業が始まった。福冨が選んだのはもちろんスポーツフォトコース。担当教授は千葉ロッテマリーンズのフォトグラファーを務めており、スポーツ現場の最前線を知るプロフェッショナルだった。


そして意外なことに、このコースの受講生はわずか5人。福冨以外は全員が女子生徒という、なかなかの少人数のクラスだった。


なかでも福冨は、週末になると鹿島アントラーズの試合に足を運び、観客席から写真を撮り続けていた。あくまで試合観戦の延長線上で撮影していただけだが、そうした積極的な姿勢が認められ、教授の目に留まった。


「他の生徒たちもスポーツやカメラは好きだけど、頻繁に撮りに行くわけではなかったと思います。撮影時間は、自分が圧倒的に長かったんじゃないかと。写真のクオリティは一旦置いとくにしても、個人的に行っていた実習の回数と経験値は明らかに違っていました。そこで先生に気に入ってもらえて、『ちゃんと撮りに行ってる』っていうスタートラインには立てたんです」


コースの授業は週に1回のみ。大前提として、撮影をしていなければフィードバックを受けられないどころか、評価の対象にもならない。明確な課題のノルマが課されていたわけではないが、フォトグラファーを目指して専門学校に通っている以上、主体的に現場へ足を運ぶことが求められていた。


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2年次に進級すると、就職活動が本格化する。進路に悩んでいた福冨に対し、教授が紹介したのが、撮影した写真をニュース媒体などに提供する大手企業だった。選考は順調に進み、4月の時点で内定が決定。周囲と比べても、かなり早いペースだった。


内定先でのインターンを経験するなかで、だんだんと技術の手応えも感じられるようになっていった。


「スポーツフォトに関してはマジで自信があったんです。『俺は技術があるのか?』と迷うこともあったけど、他の人がやらなすぎて、それに比べたら『いや、さすがにやっているほうでしょ』と思ってましたね」



「運」を引き寄せた回り道


本格的にスポーツフォトグラファーを志すようになるにつれ、いつまでたっても観客席から撮影しているだけでは限界があると感じるようになった。この道で生きていくためには、次の段階としてピッチレベルでの撮影経験が不可欠だからだ。


しかし、その時期は新型コロナウイルスの影響が色濃く残っていた。以前であれば、学校と提携するスポーツチームや各種媒体を通じて、ピッチレベルの撮影実習の機会も用意されていたが、感染拡大防止の観点から外部フォトグラファーの受け入れは軒並み中止。現場に立ちたいという思いとは裏腹に、入口そのものが閉ざされていた。


そこで教授の助言を受け、2年次の6月、半ばダメもとで関東社会人サッカーリーグに所属する全チームへ撮影申請のメールを送った。数あるクラブのなかで、幸いにも唯一、撮影許可が下りたのが南葛SCだった。初めてピッチレベルに立つ舞台として与えられたのは、栃木シティとのリーグ戦だった。


しかし、いざシャッターを切ってみると、これまでの自信はあっけなく崩れた。観客席からでは見えていなかった距離感やスピードに追いつかない。ピッチに降りたことで初めて、自分の現在地を突きつけられた。


「『マジで俺って、下手クソだな』って思いましたよ。たまにGoogle フォトで『何年前のあなた』みたいに昔撮った写真が流れてくるじゃないですか。本当に、あの頃の写真は見ていられないです。サッカーの知識はあったけど、やっぱりフォトグラファーとしての経験が足りていなかった。撮影の流れもカメラの設定も自分の中で確立できていなかったので、見直すことばかりでした」


反省点はあまたに及んだが、ピッチに近いからこそ得られた気づきもあった。いまになっても実感していることだというが、選手たちの立ち振る舞いが、これまでとは違って見えたのだ。


「Jリーガーとかもそうですけど、選手ってみんな“いい人”だと思います。観客席やスタンドから見ていると、どうしても態度が悪く見えるときもあるじゃないですか。でも、実は細かい場面での気遣いがあるんです。


例えば、プレーが切れたタイミングで相手選手に水を渡したりとか、意外とレフェリーに対しても、見た目以上に強く当たっていなかったりする。ファンやサポーターとして遠くから見ていた印象とは全然違いますよ。抗議の声が聞こえることもありますけど、実際はそこまでキツく言っていないですし。個人的にはそのギャップが面白いなと思いました」


プレーの裏にある人間性まで見えてくる。そうした振る舞いを間近で見れるのも、フォトグラファーとしての特権だろう。


だからこそ、この学びの一戦を一度きりで終わらせないようにと次の機会を求めに動き出すことにした。


7月、栃木シティ戦で撮影した写真をポートフォリオにまとめ、再び関東リーグ所属クラブへ撮影許可の申請を送った。その次に巡ってきたチャンスが、ブレオベッカ浦安・市川でのアウェイフォトグラファーとしての撮影だった。


「あれ(南葛SCでの撮影)をやったから、浦安でも撮る機会をもらえたと思います。先生からもしっかりフィードバックをもらえたし、ちょっとずつ良くなっていった感覚はありました。本当に良い経験でしたね」


だが、季節が秋へと移る頃、春先に内定が決まっていた企業について、思わぬ噂を耳にした。真偽は定かではなかったものの、その内容は決して前向きなものではなく、悩んだ末に内定を辞退する決断を下した。


進路は一度白紙に戻り、あらためて将来と向き合わざるを得ない状況に立たされる。それでも当時の福冨は「フリーランスでもどうにかなるだろう」と、どこかあっけらかんと構えていたという。


模索は続いたが、卒業後の明確な進路が定まらないまま、地元で成人式を迎えることになった。旧友たちとの再会を楽しみつつも、心の片隅には少しばかりの不安も残っていた。そんな中、成人式を終えた直後にインターネットで渋谷のフォトグラファー募集の告知を目にする。


これまで撮影許可を求めて各クラブに連絡を取るなかで、自然と社会人チームに詳しくなった。当時東京都1部に所属する渋谷の存在も認識していたが、そのクリエイティブの完成度は想像以上だった。自分の技術ではまだレベルが達していないのではないかと思い、挑戦を見送っていた。


だからこそ、この募集は絶好の機会だった。何より、いまの自分にはポートフォリオという武器がある。「ここに突っ込むしかない」と腹をくくり、即座に応募を決めた。


3月初旬、採用の知らせが届き、渋谷専属フォトグラファーとしての活動が始まった。振り返れば、遠回りに思えた選択や挑戦の一つひとつが、すべてこの瞬間につながっていた。


「自分はこの業界に、いわゆる正規ルートで入ってきたわけじゃない。新聞社などに入って、そこから独立してフリーになる人が多い中で、そういう道ではなかった。でも自分で動いたからこそ、渋谷の話も転がってきたわけで。運が良かっただけだし、『ラッキー』って思ってましたけれど、その『運を掴むための努力』はずっとしてきました。


南葛やブリオベッカでの撮影がここで生きたんですよ。ピッチレベルで撮影した写真がなければ参考基準がないので、あの経験をして本当に良かったです」



「遊び心」を持った挑戦の場


現在は渋谷での撮影を軸に活動しながら、サッカーダイジェスト編集部やスポーツメディアサイト「FERGUS」など、複数のスポーツメディアの仕事に携わっている。ほかにも、スポーツブランドやファッション分野の撮影現場にも関わるなど、活動の幅は着実に広がっている。


もともとファッションは趣味の一つでもあり、息抜きも兼ねて、原宿や表参道周辺のアパレルショップで働く友人の広告撮影を手伝うことも多い。ジャンルの異なる撮影経験を積むことで、表現の引き出しを増やす時間にもなっている。


「ファッションの撮影をするときは、Pinterest(ビジュアル探索型のSNSプラットフォーム)とか、めちゃくちゃ参考にします。だいたいは知り合いの仕事なので気楽にやれますけど、逆にスポーツブランドのような、いわゆるお堅い系の案件は、向こうから具体的な要望を出してくれるので助かりますね。『いい感じにセンスで』って言われる仕事もたまにあるので、それは困りますけど(笑)」


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いまとなっては各方面で柔軟に対応できているが、渋谷での1年目は試行錯誤の連続だった。2023シーズンまで在籍していた仁科貴博氏(現サンフレッチェ広島レジーナオフィシャルフォトグラファー)の写真を手本に、見よう見まねでシャッターを切る日々。クラブのトーンやカラーを意識するあまり、自分自身の感覚をそのまま落とし込むことはできなかったという。


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「『渋谷のフォトグラファーは、こういう写真だよね』っていうフォーマットがあると思っていたんです。でもそれだったら仁科さんに高いお金を払えばいいだけなので、『自分の好きなようにやりなさい』と背中を押されてからは、少しずつ自分の好きなように撮れるようになりました。


Jリーグの現場では構図や逆光か順光かなどの細かい調整はきっちり考えますけど、渋谷ではそこまで気にしていないんです。『日が当たりそうだな』とか『この選手は次にどこへ動きそうか』みたいなことも、実はあまり考えていなくて。普段からサッカーを見ているので、そうした予測はだいたい分かる。だから撮影中は、考え込まずに“感覚”に任せています。それはそれで味になるので」


今季の後期リーグ、横浜猛蹴戦はまさにそのスタイルが生きた一戦だった。夏特有の日暮れの遅さを生かし、あえて光の調節をせず、その場の空気ごと写し取った。


「あれは狙っていました。Jリーグの現場では、オーソドックスに普通の写真を撮ります。色をつけないで、余計なことはしない。それもあってサカダイ(サッカーダイジェスト)に入ったんです。フォトグラファーとしてそういう写真も撮れないといけないので。だから渋谷は、自分にとって『挑戦できる場所』なんです」


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そして、その「挑戦」を成り立たせているのは撮り方以前の準備だという。


“感覚”に任せてシャッターを切るためには、撮影時に迷わない仕組みを先に整えておく必要がある。すなわち、スピードとワークフローを含めた土台づくりだ。


試合前には、あらかじめ写真を納品するためのフォルダを作成し、撮影後の編集工程には、自身の色味やトーンが反映された設定を組み込んでおく。一枚ずつ細かく調整する手間を最小限に抑え、最初から渋谷らしさに着地させるための工程である。


また、作業が少しでも滞る原因があると感じれば、SDカードリーダーを疑って買い替え、周辺機材もより性能の高いものへと更新してきたという。感覚に集中するための環境への投資は惜しまない。


「ぶっちゃけ写真って、デザインや撮り方はもう“出尽くされてる”感じがします。カメラの性能も、正直かなり天井に近い。だったら自分がやるべきことは、編集の速さや正確性だと思っているんです。


『こういう写真を撮ろう』と参考にすることはよくあります。でも結局は、長く関わっている自分が『これがいい』と思える写真が、渋谷にとっても一番いいのかなと。いろいろ工夫して撮るのも大事ですけど、それで絶好の瞬間を逃したら意味がないので」


感覚に任せて撮る。その裏には感覚を信じきるための準備がある。遊び心や自由さは行き当たりばったりなのではなく、そうした前段階があってこそ成立するものだ。


では、十分に経験を積んだベテランのフォトグラファーたちが揃う現場で、その差をどう埋めていくのか。年齢やキャリアの壁を、どのように捉えているのか。


その問いに対し、福冨は意外なほど淡々と答える。


「トゲのある言い方をすると、年齢だけ。Jリーグの現場って、縁故採用というか、長く同じフォトグラファーさんが入っているケースが多いんです。これは仁科さんともよく話すんですけど、フォトグラファー側もいざるを得ないし、クラブ側も頼まざるを得ない状況なんですよね」


であれば、技術面では勝っている部分もあるというのか。そう水を向けると、大きくうなずいた。


「まあ、そうですね。なんなら同じぐらいだと思っています。Jクラブのオフィシャルフォトグラファーを見ていると、試合中に写真を送ったり、その場で編集しているチームなんてほとんどいないですよ。いたとしても、FC東京、ヴィッセル神戸くらいです。多くの場合はフォトグラファーがハーフタイムにSDカードを広報に渡して、後半用のカードと交換する形なんです。なので(浦和)レッズの試合後に出るFULL TIMEの画像も、前半のカットが使われていますよね。


だからこそ、それに新しく挑戦しているのが仁科さん。あの人すごいんですよ。自分で撮った写真をそのまま広島の公式InstagramとXに投稿しているんですから。ストーリーも含めて、すべて完結させているんです」


もし後半に決定的瞬間が生まれても、その写真が使えないことがある。撮影から発信までどう設計するのか。話を聞くなかで、フォトグラファーの仕事のあり方や、クラブ広報が抱える課題の一端も見えた。


あの興奮を、もう一度


今年で渋谷に入って3年目。気づけば、なにかとせわしない生活を送るようにまでなった。7月から9月までの2カ月間で、休暇はわずか4日。2週間のうちに渋谷のリーグ戦に加え、長野へ3回足を運び、さらに福島、栃木、神戸、千葉と各地を転々とした。


ハードな夏だったことには間違いないが、「(仕事は)いっぱいもらえるうちが嬉しい」と言い切れるタフさがある。体力に自信がある彼にとってはこの仕事は天職だ。


1年目は、撮影技術の未熟さからメンタル面での苦労はあったが、それでもフォトグラファーとして活動を始めてから今日に至るまで、体調を崩したことは一度もないという。


その自負は根性論ではなく、ひとりのプロフェッショナルとして、替えのきかない仕事であること、そしていつその座を失ってもおかしくない世界に身を置いていることを、常に意識しているからだ。


「とにかく寝坊はしないようにする。あとは体調管理と、忘れ物をしないこと。フォトグラファーは忘れ物をしたら終わりなので。自分の場合は、いつも寝る前に全部準備をして玄関に置いておきます。結局は、当たり前のことをちゃんとやるだけです。


あとはなんだろう……“ハッピー”でいることですかね」


唐突に飛び出したカタカナ四文字に、一瞬なんのことかと思ったが、それは人としてどうあるべきかという基盤だった。


「ポジティブに生きるって、大事ですよね。カメラを撮るうえでも、結局、静かな人ってあんまりよくないかなって。そういう意味ではコミュニケーション力も大事だと思います。


なので、その4つぐらいかな。『寝坊しない』『体調管理』『忘れ物をしない』『ハッピー』」


いたって普通のことかもしれない。だが、それをどれだけ一貫性をもって継続できるかということだ。信頼と信用を失わないために、そして積み重ねてきた時間を水の泡にしないためにも、当たり前のことから目をそらさない。


そうした積み重ねは、いつかの自分に感謝されるのだろう。そこにいる自分は、いまよりももっと高い舞台に立っているはずだ。


「いつかはチャンピオンズリーグを撮りたいですね。今年はいろいろと断念して叶わなかったので、20代前半までには行きたいです。ただ正直、そこに行けるルートがわからなくて。ずっと模索しているし、どうしようかなと悩んでいます。しかも来年からJリーグはシーズン移行しちゃうし。でも、来年か再来年にはもう一回チャレンジしたいです」


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夢や目標は大きく、そのために日々行動している。だが、心の行きつく場所は変わらない。この企画名にちなんだおなじみの質問である、「誰にも止められない瞬間」もそこにあった。


「こうは言っているし、他の仕事も本当に楽しいけど、やっぱり渋谷が一番です。いや……ベクトルが違う『楽しい』というか。渋谷は“脳汁”が出るような楽しさがありますね。ポイントではなくて、“線”で3年間ずっと関わってきているから。シンプルに楽しいし、『無心』で撮っていられるんです」


ただ一番大きいのは、渋谷にはフミさん(田口文也)や(白崎)圭吾さんのようなデザイナーさんがいることです。自分が頑張って写真を撮って、かっこよくクリエイティブを作ってくれるので、それが嬉しい。入り口と出口がちゃんとあるんです」


自分の手によって収めた一瞬が、クリエイティブの力によって「作品」として形に残る。その過程こそが、この仕事の醍醐味でもあり、やりがいだ。


そして、そんな「無心」でシャッターを切っていたからこそ、思わぬ事態に直面した出来事があった。


後期のEDO ALL UNITED戦だ。試合終盤、政森宗治の劇的ゴールで逆転したあの瞬間は、こちらが多くを語らずとも記憶に新しいだろう。前日に政森の個人インタビューの記事(政森宗治【UNSTOPPABLES】 #25)が公開されており、まさに有言実行の一撃だった。


「きっと、みんなあの時のトキくん(政森宗治)の写真は全部撮れてると思ってるでしょ?でも、撮っていて初めて、手が震えてピントが合わなくなったんです。今まではいくら興奮してても、こんなことはなかったのに。震えましたね、あれは」


そういって「震えた」その一枚を見せてくれた。


「ほら、手が震えて奥にピントがいってボタンが軽押しみたいになっちゃって…」


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「なかったんですよ、今までこんなこと。初めてです」


なんとか興奮を抑えながら、最低限のカットは押さえた。それでも、あの瞬間に身体を支配した高揚感は、あとから振り返っても言葉にしきれない。この3年間を通しても、お気に入りの一枚だという。手ブレがあったカットでさえ、よき思い出だ。


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だが、そんな感動の瞬間に立ち会えたとしても、渋谷のフォトグラファーは「トミー」だと称賛されたとしても、立場に甘んじるつもりはない。ハングリーさと野心、そして現実を見据える冷静さを併せ持つ彼だからこそ、最後にこう言い切った。


「もちろん、フォトグラファーの仕事ができるのは楽しいです。でも、いま自分がこんなに儲かってるのは『一過性』かなと思っています。自分の年齢が若いっていうブランド感だけかなと。頑張ってはいるけど、客観的に見ると結局はそこかなって。


だから渋谷でも、『ずっといるから頼んでいる』からではなくて、『今一番いい写真を撮っているのがトミーだから写真をお願いしたい』って思ってもらいたいし、そういうクリエイティブチームであってほしい。それに負けないように、自分も含め、クリエイティブチーム側から“渋谷の試合”を創っていきたいです」 


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運や偶然性もあるだろう。だが、それを特別な一戦で終わらせるのではなく、毎試合の営みとして再現していくために。ひとりのプロフェッショナルとして、カメラという武器を手に、試合という物語を、記録にも、記憶にも残していく。



取材・文 :西元 舞 

写真   :福冨 倖希

企画・構成:斎藤 兼、畑間 直英

UNSTOPPABLES バックナンバー

#1 渋谷を背負う責任と喜び。「土田のおかげでJリーグに上がれた」と言われるためにーー土田直輝

#2 頂点を目指す、不屈の覚悟。全ては世界一の男になるための手段ーー水野智大

#3 冷静さの奥に潜む、確かな自信。「自分がやってきたことを発揮するだけ、『去年と変わった』と思わせるために」ーー木村壮宏

#4 這い上がる本能と泥臭さ。サムライブルーに狙いを定める渋谷の捕食者ーー伊藤雄教

#5 問いかける人生、答え続ける生き様。「波乱万丈な方へ向かっていく。それがむしろ面白い」ーー坪川潤之

#6 サッカーが導く人生と結ぶ絆。ボールがくれた縁を、これからも。ーー岩沼俊介

#7 楽しむことを強さに変えて。夢も、欲も、まっすぐに。ーー小沼樹輝

#8 誰かのために、笑顔のために。誇りと優しさが生む頂点とはーー渡邉尚樹

#9 九州で生まれた男の背骨。「やっぱり男は背中で語る」ーー本田憲弥

#10 選手として、父として。見られる過去より、魅せたい現在地ーー渡邉千真

#11 余裕を求めて、動き続ける。模索の先にある理想へーー宮坂拓海

#12 この愛に、嘘はない。激情と背中で示す覚悟の真意とはーー鈴木友也

#13 憧れた側から憧れられる側へ。ひたむきな努力が導く、まっすぐな未来ーー大越寛人

#14 楽しいだけじゃダメなのか?渋谷イチの苦労人が語る「俺は苦しみに慣れちゃってる可能性がある」ーー高島康四郎

#15 かつて自分も”そっち側”だったからこそ、わかる。「もう誰のことも置いていきたくない」ーー志村滉

#16 絶対の自信を纏う、超こだわり屋のラッキーボーイ「必ず俺のところに転がってくる。そう思ってるし、信じてる」ーー青木友佑

#17 SHIBUYA CITY FCに人生を懸けた男「俺をこんなにも好きにさせた、このクラブが悪い!」ーー植松亮

#18 絶対に壊されたくない、やっと思い出せた楽しさ「副キャプテンを降ろさせられるんだったら、それでもいい」ーー楠美圭史

#19 器用貧乏?いや、今は違う「俺の中に神様はもういない」ーー青木竣

#20 考えたからこそ、”あえて”何も考えない「今日もやっちゃおーよ」ーー小関陽星

#21 どんな場所でも、俺はここで貫く「納得いかないことに対しても、納得いくまでやり続ける」ーー佐藤蒼太

#22 渋谷で語る、再びの覚悟とサッカー人生の答え「僕は恵まれている。もう、それしか言えない」ーー吉永 昇偉

#23 フェイクじゃ終われない「もっと突き詰めていれば…」吹っ切れた先に見えた景色ーー河波 櫻士

#24 人として在るべきために、追い求める理想像「本当の意味で、“大きい人”に」ーー積田 景介

#25 「俺が」決める。数奇な29年を経て、背番号9が背負う矜持「もう覚悟は決まっている」ーー政森宗治

#26 人生を変える覚悟を胸に。背番号10を背負う渋谷のニューヒーロー「まだまだこれから」ーー宮川瑞希

#27 「自分の情熱を捧げられる仕事に」父からの教えを胸に、10年前に芽生えた夢を追いかける22歳「それが達成できたらもう、死んでもいいくらい」ーー 角野天笙(主務)


SHIBUYA CITY FC

渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ。「PLAYNEW & SCRAMBLE」を理念に掲げ、渋谷の多様性を活かした新しく遊び心のあるピッチ内外の活動で、これまでにないクリエイティブなサッカークラブ創りを標榜している。

渋谷駅周辺6会場をジャックした都市型サッカーフェス「FOOTBALL JAM」や官民共同の地域貢献オープンイノベーションプロジェクト「渋谷をつなげる30人」の主宰、千駄ヶ谷コミュニティセンターの指定管理事業など、渋谷区での地域事業活動も多く実施している。


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